監督とキャプテンとエースの意味に今更気づいた話
字面では理解していたこれらの言葉がようやく根本から理解できたという話。水星の魔女第13話様々である。
監督とキャプテンとエースと雑兵
監督 (社長)
ゴール目標とそれまでの道筋を示す人。理論計画的な支柱。
キャプテン (リーダー、店長)
全メンバーより信頼されていて、この人の言うことなら聞くよと感情的情緒的な繋がりの構成能力が高い人。多種多様なメンバーをまとめあげる精神的な大黒柱。
エース
そのチームの課題達成や困難やトラブルやら、成し遂げようとする道の障害を乗り越える実務力が一番ある人。チームの精神的支柱。
雑兵、コマ、手下
その他大勢。動く人間。物量。
物事を成し遂げるには、成し遂げるためのプラン計画がいる。完全でなくてもよいが、これこれだからこちらへ向かうべきだ、こちらの道を通ろうという話だ。
しかし、これこれだから~の理論的な部分を皆が理解できるとは限らないし。理解しなくても周りに着いていけばいいのなら、深く考えずに鼻から理解しようともしないかもしれない。そんな無理解の輩が、予定した道を間違えないように、キャプテンが一人一人をケアする。気にかける。引っ張りあげる。
実際に道を進む上での障害は、エースの出番で、一番うまいあの人なら絶対解決できる任せられる。自分が失敗してもあの人が後ろにいるのなら、なんとかなるはずと前向きに進める。気持ちで負けないという部分だ。
雑用やら人の手は相応数いるので、その他大勢の雑兵があとを連ねる。
兼任と不在
監督がいない場合、行き当たりばったりのプランとなり、崩壊する。あるいは監督が不在の場合、どうしてもキャプテン(人望ある人)が兼任する形となるが、キャプテンにプランニング能力がない場合、プランの失敗がそのままキャプテンの地位低下求心力低下に繋がり、同じく崩壊する。
キャプテンがいない場合。プランをもとにした指示命令系統が機能せずに、いろんな解釈や付けたしがされて、ブレブレに進む。そして辛い大変複雑な目標道筋になるほど、思ってたのとなんか違うと結束力の弱さゆえに離反され自然崩壊していく。キャプテンが不在の場合、監督がでばってきて直接プランを浸透させようとキャプテンを兼任するような動きとなる。しかし、現場を知らない、理論重視のせいで人望がない(理論がわかる人には浸透するがそれ以外には理解されない)。人をまとめることができずに離反され、大規模な縮小になる。
エースはそのなかで一番の人が得る称号なので、エースは必ず存在する。しかし、エースがエース足り得ない場合は、エースで出来ないなら仕方ないよねという縮小縮小のよわよわ負け癖集団になる。エース足りうるとは、常にエーズでいるようその道に精通する努力を欠かさない気質性質の人のことだ。エースは常にどこぞの誰よりも輝かなければいけない。また、エースということで一目置かれる訳だが、分をわきまえて、キャプテンや監督的の領分に手をつけない。混乱のもとになるだけだからだ。
運用について
おそらく兼任出きるような人はほぼいないと思う。理論家は理論を突きつめようとするから理論家なのであり、対極に位置する求心力や人望とは無縁で専門外だし。エースも自分の成績や技術への関心が高いから、そこに全力を注いできたわけで、全体を見据えた理論や考え方とは無縁だ。技で人を魅せてのせることはできても、その人の言うことを聞くとはならない。
その人の能力範囲や能力値、規模やら様々な要因はあるが、適時に監督、キャプテン、エース、雑兵を兼任させないように振り分けていく必要がある。
終わりに
集団は基本的にはこんなメンバーを抱えて自然発生していくものだと思う。人望や能力がある一部の人の周りに人が集まり、集団として機能していく。そして、いつしか理論的な人物が腹心(監督)となり、キャプテンを導いたり、たしなめる。もっと実務家のエースが仲間になったりもする。
大事なのは、上でのべた通り、規模や能力や兼任の問題点を十分に把握しながら、適時、割りふることだと思う。
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