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存在しない価値に、存在する価値をつけてる


そして

存在する価値に、存在しない価値をつけてる。

今、大学に向かう電車のなかで書いています。

本当はすごく価値があるのに、
何もしなくても揺るぎない価値なのに、
“ないんだ”と無意識のうちに価値を決めつけてしまっていて。

2日前、わたしは私に
「食べなければ価値がない」
と無意識に思っていたことに気がついた。(だいぶ大きな一歩)

だから、お腹は空いてなくても食べて食べて、「食べな」って言われたらお腹がいっぱいでも食べてた。そうしたらおじいちゃんもおばあちゃんも、みんなが喜んでくれてた(ように見えた)から。

きっと、
嫌だと断れば不機嫌になる両親が怖くて、いつのまにか断ることを恐れて、断われずにいたら、誰かが喜んでくれるもんだから、「これで喜んでくれるんだ。じゃあ食べよう!」って。こんな思い込みがあるなんて知らずにその根だけ育っていった。
あと「いかなるときでも食べないとしぬ!」とも思ってるっぽい。

そんなことないのにね。食べなくても私の価値は揺るがずあるのにね、それがわかんないんだよね。


もう十何年もそうやって思い込んで生きてきたみたい。

当時のことも覚えているから、過去の私を責めることはないけど、どうしたらいいのかわからない。


💔

褒めればいいってわけじゃない、と思う。

褒め言葉として放ったものが、相手の身体を覆う呪いの膜になってしまったら怖い。

でも、いいなって思ったところは言ってもいいのかな。

🛣️


人生って長いっていうじゃないですか。
だからゆっくり行けばいい、とか
だから今これをしとかないと後悔するぞ、とか
だからちゃんとしたところを卒業しなさい、とか

なんなんだよ、と思う。

どっちなんだよ、私の人生だろう。
私の「やりたい」を少しくらい尊重してくれたっていいじゃないか。
否定せずに、まず落ち着いて話を聞いてくれたっていいじゃないか。
頭ごなしに怒らなくたっていいじゃないか。
「そんなの知らなかった」って、話を聞こうともしてくれなかったじゃないか。
「なんで言ってくれなかったの?」って話せるような環境を作ってくれなかったじゃないか。言ったって否定されてきたから、話すのが怖くなってたんだよ。

どうしてこれを言ってもわかってくれないんだろう。

話し合いすらまともにできなみたい。

自分が心地いい感覚を、私に押し付けないでよ。
私は妹みたいにはなれないよ。


私は私の意見を言ってもいいんだと、自分に教えた。私は私の純度100%の意見を言えるようになるんだ。


🥀

生きるために、死にたいって思うんだ、と思ったり思わなかったり。

誤解されたくない。

最初から希望なんてなかったら、どうなってたんだろうね。

結局、私は勝手に周りを気にしてこの道を選んだ。
私はわたしの意志を尊重できなかったのかな。尊重してあげれなかったのかもしれないい。よくがんばってきたと思うんだけどな。わからない。むずかしい




わたしがわたしのこといちばんに愛してあげたい。

ちょっとずつだね。

(下書きから何日か経ってしまいましたが、投稿しておく。)

いつも、ありがとうございます。



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