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久遠

まもなく3年

久遠を起こした時の言葉です!!

kiten代表の北山です。

このたび新規事業として“くおん”を起こしました。まずは近辺の“食”にスポットを当てていきます。

きっかけは一つの出会いから。鎌倉本社の近くで、三浦野菜やそれを使ったお弁当とお惣菜を販売する女性と知り合ったことです。彼女が作る惣菜はどれも美味しく身体を優しくいたわってくれるような味でした。彼女の名は田畑菜穂実さん。言葉を交わすうちに三浦野菜への深い愛情と、内に秘められた静かな情熱が伝わってきました。やがてフリーとなった田畑さんから相談を受けるほどの信頼関係も出来ていて、この稀有な人をいかにお手伝いできるかを考えたとき、今回の事業の輪郭が定まったのです。その後、何人かの共感を得て自然発生的に集合体ができたのは予期せぬ喜びでした。



「衣食住」は、いうまでもなく人が生きる上での三要素です。私は住の部分を生業として久しく、これまでも住宅や店舗、集合施設など、多種手掛けてきました。施工の工程こそ同じですが、施主のニーズは様々。職種や家族構成、生活環境が違うのですから当然のことです。そこを掬い取り、それぞれの方らしい暮らしを彩ることが出来たとき私は喜びを感じます。



では、衣と食は無関係かというと、決してそうではありません。

住という環境をより良くと努め、依頼主の喜びへ繋げたいと真摯に願えば願うほど三つの要素が切り離されないどころか、美しく織り上げた布のように一体となっていることに気づかされるのです。その気づきの途上で、業種や立場こそ違え、意気に感じる実践に巡り合ってきました。田畑菜穂実さんしかりです。興味深いことですが、そういう方々は総じて組織の歯車にはなり得ない、特異かつ強固な方向性を秘めておられます。しかもそれと意識していない場合がほとんど。私にはまるでダイヤの原石のように見えるのです・



こういう人々を繋げたいと思うようになったのは自然の成り行きだったと思います。かといって組織の一員にするつもりは毛頭ありません。適材適所でいかに持ち味を活かしていただけるかが第一義です。指揮者という言い方はおこがましいかもしれませんが、全体を俯瞰し、どこで何が足りないか、あるいはどこで何を求められているかを見極めて舵を取るのが私の役割。さらに、Aの人をBの人に繋げると発信力が倍増し、さらにCの人が参加することで個々では成し得ない成果が創出されるのが見えるのです。その伝でいえば、指揮者であると同時に“触媒”であるかもしれません。



人類の歴史とともに時代に合わせてゆっくり進化してきた衣食住。産業革命以降は経済効率優先へと目まぐるしく変化を遂げ、企業は自社の利潤を追い求めることに終始してきました。またその流れが、技術革新や進歩に貢献したことはまぎれもない事実であります。

しかし、これもまた諸刃の剣。スピードが優先されれば振り落とされるものもあります。私たちは守るべき先達の遺産をいくつも失ってきました。嬉しいことに、いつの時代にも、そのことに気付き、足元に目を向ける人々が少なからず存在します。そういう人たちを孤立させてはいけません。なぜなら、彼らこそ残された文化の護り手なのですから。



そうはいってもボランティアではないので、存続していくための利益は目指します。私が申し上げたいのは、もはや規模の大小にかかわらず、企業がもっと積極的に地域社会に貢献すべき時ではないかということです。前述の食は、現在の環境における現実的な第一歩ということになります。



“くおん”では、失ったものや本物でないものを嘆いたり誹謗したりするのではなく、埋もれている実践やその賜物を掘り出して皆さんにぜひご紹介したいと願っています。原則として半径35キロ内を目指すのは、身土不二こそいま人が取り戻さなければならない起点だと考えるからです。ここからどう広がるかは私にも見当がつきませんが、一筋の湧き水が大河となるように、無理のない展開で大きな潮流になるでしょう。



“くおん”という言葉そのものも、過去現在未来が一本の糸として輪になり、空間や時間をも超越する無境界をイメージしています。こう申し上げれば身土不二が決して狭い範囲を意味するのではなく、私たちの足元から無限に広がる可能性であることをご理解いただけるでしょう。

つまり“くおん”は、何が飛び出すか分からない集合体。ここからどんな流れが生まれていくのか、私たち自身も楽しみにしています。どうぞぜひご一緒に楽しんでください。


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