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境界

「国もモラルも宗教も、生まれては消えていくことを考えると、
人類が本当に進歩しているのか疑わしくなってくる。
「新しい」世代は伝統的に、
進歩したと見栄をはるものなのだろうか。
有史以来、人間の性質はほとんど変わっていない。
そうであるなら、技術の発達はすべて、昔と同じ目的――物を手に入れる、
異性(あるいは同性)をものにする、競争に勝つ、戦争をする――を達成するための単なる新しい手段、と書きかえなければならない。二〇世紀という幻滅の世紀に発見された残念な事実は、科学は中立的ということである。
科学は人を癒しもすれば、殺しもする。新しいものを創りだし、
あっという間に破壊する。「知は力なり」というフランシス・ベーコンの言葉は、もう適切とは思えない。
中世やルネサンスの時代には、
科学や力ではなく神話や芸術に重きが置かれたが、そのほうが賢明だったのかもしれない。私たちはもっと高尚な目的をもとうとはせず、手段の開発ばかりを続けている。」

—『歴史の大局を見渡す ──人類の遺産の創造とその記録』ウィル・デュラント,  アリエル・デュラント著

はつひのでで「Border」境界というテーマでアルペなんみんセンターの
スリランカ出身、
リヴィさんのスリランカカレーを食べながら、
日本に来た経緯、日本での生活、
日本でこれから行いたい事などをお話をしていただきました。

食べ物を移動しながら取り、
取った獲物をシェアしている時(縄文時代)
は無境界であり、
今のような争いはなく、
10,000年続いていた。
地球の寒冷化でこの仕組みは崩壊し、
その後、
農業(弥生)の時代が1,700年続いた。
境界は農業が生まれたとき出来た。
組織の原型はこの時に生まれ、
集落、村、町、国家が生まれた。
水の利権、耕作地の拡大などが争いの種になった。


今は『物』が主体になって人の意識が動いているので、
どうしても『境界』が生まれる。
『無知』がこのような『事』をおこしている。

新しい世代は
『知』を蓄え実践していき『和』をおこなっていくことにより、
『境界』が消えていくかと。。。
その兆しを感じた日になりました。


#境界
#無境界
#入管難民法改正
#和

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