見出し画像

ディズニーの父~高橋政知について~

こちら高橋政知本人が語る
東京ディズニーランドの歩みについて
日経新聞の連載記事「私の履歴書
1999年7月1日〜7月31日(7月12日は休刊日)

私の履歴書


スタッフに
君も商売やるなら、読めよ読めよ
と言われ読み始めたわけだが
結論
鬼面白かった

〜高橋政知は〜

一言で言うと
現在のディズニーリゾートを
日本に引っ張ってきた人だ。

例に漏れず
私もディズニーが大好きで
ディズニーと共にここまできた。

なんの気無く享受してきたが
記事を通じて
パない困難の上
ギリちょんのところで
成し遂げられたことを痛感。

しみた。

我々がディズニーで
キャピれるのは
高橋政知ら大先輩方の
血と汗と涙の結晶である。

〜始まりは1961年〜

目次

高橋政知は
当時京成電鉄社長
川崎千春に口説かれ
オリエンタルランド」という
埋め立て会社』に入社。

またその理由が
酒がめっぽう強かったから
というから面白い。

人の才能が開花し
天命が下るというのは数奇だ。

~なぜ酒が強い必要が~

今のディズニーリゾートの場所を
埋め立てるには
浦安の漁業組合を
説得する必要があった。

彼は飲んで飲みまくり
ベロベロになりながら
交渉を完結するわけだが
改めて『飲み会』を考えさせられる。

間違いなく
ディズニーは
大量の酒』でできている。

~困難は続く~

オイルショックや
米本社との交渉不和
内部分裂など
様々な困難があった。

~しかし諦めず~


1983年3月の竣工式

困難の末、とうとうやっと
1981年1月に工事が始まり
1983年4月15日に
東京ディズニーランドの開園に至る。

いやはや
関係各所の困難を思うと
計り知れない。

みな大好きディズニー
パない困難の末の
果てしない夢の国だと思うと
尊い。

~記事は1999年で終わる~

記事の最後は
2000年7月7日に開園のイクスピアリ、2001年9月1日に開園のシーへの思い、そして奥様をはじめとする筆者を長年支援された方々への感謝で終わる。

つい「お陰様で」
と言葉が出てしまった。

困難は「しんどい🥲」。。。
しかし
本物」はたいてい
先人たちの
メチャ「しんどい🥲」の上に
成り立っている。

おっきいことを成し遂げてみたいものだ。


みんなが大好きディズニーリゾート



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?