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手鏡日録:2024年5月12日

家族写真を撮った。
かつて一家だった人たちは三つの家族になり、その最大公約数みたいな場所、横浜に集合した。写真室はデパートの片隅で、フロアの喧騒を離れたそこは月日で隔てられた元家族が集まるのにふさわしい静けさだったが、被写体である子どもたちがそのうらぶれた静謐を濁らせてしまったのは少し申し訳なかった。もっとも今日の撮影の主役は、子どもたちのおじいちゃんである、我が父なのだけれど。
カメラマンが哀れなほど汗みずくになったお蔭で、撮影はなんとか終わった。家族を演じる儀式から解放されて、さっそく子どもらはいとこ同士で玩具売場へと消えていく。残された父母、そして私。
支払いをする母から少し離れて、父とことばを交わす。深刻な話を、かつての口調で。
決して軽くない話題をなんでもないことのように話し、父が最後に交えようとした笑いは、喉の奥が引き攣れたような詰まり気味の音になった。そのとき、ああこの人の子どもなんだな、と思った。わかるよ。どんなときに、こんなみっともない引き笑いになってしまうのか。おれにも覚えがあるから。まさかこんなのところが父親譲りだとは思わなかったけど。
幸い、ネクタイの趣味といびつな結び目は似ることはなかったようだ。いや、よく見るとワイシャツの第一釦を外しているところは一緒だった。本当にどうしようもない。

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