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手鏡日録:2024年8月8日

東京国立博物館で開催している神護寺展に行ってきた。
目当ては『伝源頼朝像』。描かれている人物に疑義が呈されたために、教科書にも載らなくなってしまったあの肖像画。美術史的な考証はともかく、この眼で確かめたいと思った。日本で最も有名な肖像画のひとつであることに変わりはないのだから。

夕方の閉館時間が近づくにつれて、少しずつ人がまばらになっていく。見たかった空海の灌頂暦名と伝源頼朝像の前からも人影が薄くなってきたので、じっくり観ることができた。
空海の灌頂暦名は、まずは千年以上前の能書家のメモが現代人も読めるかたちで残っている不可思議さを感じさせる。筆頭に名が挙がっているのは最澄であるが、三位に泰範の名も見えて、その後の人間ドラマを思わずにはいられない。貴族の項もあって、大神某、民部少輔高階某などが読み取れる。さらには童子。長丸、河内丸、兄人、家長など、かなりの名が連ねられている。年齢や属性は分からないが、千二百年前の子どもの名前を知ることができるとは。この子たちは、その後どんな生を歩んだのだろう。
さて、伝頼朝像である。ほぼ等身大のその大きさに気圧されるものがあるが、全体に繊細な線で描かれており、鼻筋、耳、双眸には気品が漂う。現代の感覚からすると茫洋としたフェイスラインだが、眼光は鋭敏、視線は彼方を見晴るかしている。父親を知らず、弟たちへの非情な命を下した眼だ。兄弟の相剋という点では通じるものがあるが、これはやはり足利直義ではないだろう。名の伝わらない絵師が、文覚の縁を以て高雄を庇護した孤独な権力者を想って描いたのだと感じた。

観るべきものを堪能したつもりだったが、展示の最後に驚きがあった。
薬師如来立像。神護寺の本尊である。
ポスターなどののビジュアルでは斜めの角度から切り取られていて、衆生が救済を求めた薬師如来にしてはたいへん厳しい顔立ちに思えていた。
ところが実際に仰ぎ見ると、その表情は口もとを中心にとてもやわらかい。照明のせいかと思ったが、どの角度から見ても穏やかな微笑を湛えているように見えた。こちらを見透かすような鋭い眼差しの一方で、やや突き出した唇にはおおきな赦しを感じる。もちろん、水が流れるような裾の造形も美しい。空海とそれ以後の人は、この本尊の面差しをどう観たのだろう。
結局閉館近くまで、ご本尊の前を右へ左へ行き来しながら仰ぎ眺めていた。救いからほど遠い私のような凡俗の徒の眼に触れてこその薬師如来だろう、などと勝手に考えながら。

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