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剥離紙

あななすや剥離紙はうつとりと過去

ソーダ水愛あざやかに人工湖

情炎の川原に消えて青蜥蜴

湿るためにウエハース食む夢二の忌

新涼の奥に釦のほつれけり

秋雨の脈を刻めるラテアート

鳥人計画堕ちてをんなは秋の草

セロファンと蘭のあいだに妻眠る

被服科の窓に貼られて赤い羽根

手風琴ほどに泪や秋のセル

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夏を引きずっている。
欲しても手の届かないものはこれまで頭に浮かべることすら忌避してきたのだか、いったん心残りを感じてしまうと、辞書の背表紙の深緑色までなぜか秋めいて見えてくる。
季節の一回性みたいなものを意識するのは、たぶん年齢のせいもあるのだろう。無為に過ごしてきたせいか、振り返ったときの絶望感が凄まじい。
夏というのはある程度盲目的に暮らすことのできた季節だったけれど、たいがい内省を伴わないまま秋に置き換わる。

そんな日々の過ごし方をしているうちに、感性とかアンテナみたいなものが、掃除機のフィルターのようにいつの間にか目詰まりして、機能しなくなるのは実に恐ろしい。
魚屋で鮮魚の痙攣が穏やかになってゆくのを眺めながら、どう生きたいかのヒントすら得られずに、夏が萎んでいった。
とりあえずフィルターの状態を確認して、掃除機をかけようと思う。

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