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映画『もったいないキッチン』を観ました

お気に入りのティッシュがある。MOTTAINAIという商品名で、近所のドラッグストアの軒先にいつもたくさん積んである。このティッシュがいいのは、箱に入っていない点。軽くて、角なし。
一時の騒動でしばらく姿を見なかったので、久々に陳列されているのを見たときは思わず小走りして買い求めた。

そのティッシュの名前に引きずられたわけではないけれど、最近気になっていた映画『もったいないキッチン』を観た。


オーストリア人の映画監督が日本全国をまわりながら食べ物に対するいろんな向き合い方を知る、という内容。
コンビニにお世話になっているサラリーマンとして、キッチンドリンカーとして、日本の住民として、観れて良かったと思えた映画だった。

▶ごはん哲学がたくさん

映画では、廃棄された食品を飼料としてリサイクルする工場の人、ローソンの役員さん、精進料理を作るお坊さん、病気になったことがない薬草使いのおばあちゃん、アーティスト…などなどいろいろな人が登場する。
それぞれが食材の調達手段、賞味期限、調理の方法、産地、、、など食のいろんな側面に独自の哲学をもっている。
本作の登場人物に限らず、ごはんを食べない人はいないから「こだわりが全くない」も含めてみんな何かしらのごはんへのこだわりを持っていると思う。
そのこだわりはたぶん、育った環境とか、過去の体験とか、今の生活の状態、日々接する人、住んでいる街にかなり影響を受けているんだろうなと思うと、結構その人自身を移す鏡みたいなものだな、と思った。

(私の敬愛する穂村弘さんはベッドの上で菓子パンをむしゃむしゃと食べているらしいけど、だからきっとあんな菓子パンみたいな引力強めの言葉が出てくるんだと思う。真似しようかな)

▶わりきれなさもそのまま

主演兼監督のダーヴィドは、コンビニが厳格で画一的な賞味期限に基づいて大量に食品を廃棄することに対して無邪気に疑問を呈する一方で、
”from Fukushima”のネギに対しては、感覚的に不安を示して放射線量を測る機械の数値を求めた。


コンビニが食料品の大量廃棄の現場になっていることはもちろん事実だけれど、不特定多数の人に商品を提供する大企業にとっては衛生管理の厳重すぎるくらいの管理が正義でもある…正義の反対は別の正義、というどこかで聞いた言葉を思い出した。

でもこんな割り切れなさ、もやもやを決着をつけずにそのまま映画にしているのはいいな、と思った。「これが正解」と言われると途端に胡散臭く感じてしまうひねくれ者なので。

▶わたしの食いしん坊はまだまだだった

「もったいないキッチン」というタイトルからも分かる通り、全体を通じてのテーマはフードロスの現状を知って、考えるという点にあると思う。もともと食いしん坊の私は、大人になって好き嫌いもほぼ克服し(というより嫌いなものも食べれる程度に大人になった)、食べ物を残さず食べるなんて当たり前のことだし、お安い御用だと思っていた。
だけどこの映画を観ると、無駄のなさとおいしさを両立する強者が続々と出てきて、自分はまだまだ尻の青いひよっこ食いしん坊なんだということを思い知る。
おいしいものを作ってきちんといただき尽くすって、とてもとても本質的な尊いライフスキルだ……

『腐る経済』で有名なタルマーリーさんも登場。
昔はさほど関心なかったのに、天然酵母とかビールとか…
いつの間にか興味の真ん中どストライクになっている。



「スーパーにはたわしを買いに行くくらい」という野草使いのおばあちゃんの骨格のたくましさと肌のハリとか、(ちょっと真似できないけれど)コオロギラーメンを作る青年(?)の澄んだ目とか、鰹節職人のお兄さんの汗とか、、、ノンフィクションなのに映画館の大画面でこそ見たいと思うシーンが多い映画。

私は食いしん坊であると同時に(実は)真面目でもあるのでノンフィクションの映画とかドキュメンタリー番組をみると、
「これって映画のように見えて実は映画の中の話じゃなくて、現実世界にすばらしい活動してる人がいるんだよな…私がSNSの海をすい~っと泳いでいる間にも、実在するこの方々はなにか世にバリューを生み出してるんだよな………翻って自分は……」と押し寄せる焦燥感に潰されそうになることがあるけど

もったいないキッチンを鑑賞した後には
「ひとまず次の食事はゆっくり味わって食べよう」という、とてもシンプルで具体的な計画がのこった。










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