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10. 音楽における「自由」の履き違え 3iica

spicy music duo "Kitchen Mood" の ミーカです🎵
 
私達Kitchen Moodは研究することが大好き💛なのですが、
そんな話をしていたら、同席していた人から
 
「音楽もそういう感じでやってそう~」との一言(笑)

「音楽を自由にやっていない」という意味ですね(苦笑)
そう来るかー! 

でも、なんと答えていいのか分からず、
とりあえず「そういうわけじゃない」とはお答えしたんですが(笑)

冷静に考えると、ちゃんと自分の中に答えはあります。
 
音楽を「自由にやる」というのを本当に自由にやる、
というふうに思っておられるかたが時々います。

無秩序に、ただ情緒に任せて
演奏しても、イタイだけです。


私が思い出すのは、中学生の時の合唱祭の練習。
 
「とにかく大きな声で!」と先生が言っていたのが
私の中ではひっかかっていました。
 
大きな声で歌えばいいのか?って。
そんなんだから、情緒に頼った歌や演奏になっちゃうんだ。
そんな感情に任せただけの歌、聞きたくないよ!

音楽は、やっぱり研究して、
自分で発見して、それを自分の中に
落とし込まないとダメです。


自分が発見したものが、それ以前に他の人が発見したもの
であっても良いです。

とにかく、自分で気付くこと。


誰かにヒントをもらうのは良いです。
ただ、「あ!これか!」って、自分で気付かないといけない。

自分でピンと来たものしか、
表現できないからです。


私は自分が通ってきた道だから、よく分かります。
 
昔の私は「何かが違う」とは思っていたけど、
何が違うのか分からなかった。

 
分からないから、とにかく「情緒的」に対処しようとしていました。
それだと、自分の思ったような表現には辿り着けませんでした。
 
でも、ある時、向こうからヒントがやってきたんです。
 
それについて「あーでもないこーでもない」と
研究と試行錯誤を重ねてきました。
 
そうこうしているうちに、自分の中で「コレだ!」と
思えるものが出来てきて、それを土台にすると、
昔よりも遥かに自由に歌えるようになった自分がいます。
 
昔は、フェイクなんて出来なかった。
今は自分の中に土台があるから、デコレーションとしての
フェイクは難しくありません。
 
「自由に演奏する」というのは、あくまでも土台があってのこと。

その土台は、やみくもに根性論で
練習して得られるものではありません。


っていうのは、いつも思っていることなんですが、
昨日偶然出会った音楽家さんが同じことをおっしゃっていました!
 
古い体育会系と同じく、根性論や情緒でやっちゃいがちな
音楽の練習・・・それだと限界が来るんですよね。

今回は何が言いたかったか、というと・・・
根性論で練習しても、どこか痛めるだけ。
っていうことと、
秩序のない自由は無い。
ということです。

そうそう!
思い立って、リズム冊子作りました!

これは、私達が出演させていただいている
オーガニックレストラン・レテラ限定配布です🎵
 
これについてはまた書きまーす!
ちなみに、5/21(土)にレテラでライブでーす💛


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