適量を知る人生

「あたしはバンビ」や「愛してるぜベイベ★★」などの漫画を描かれていた槙ようこさんがめちゃくちゃ好きで。これらの漫画が連載されていたのがもう20年近く前って事実に卒倒し立ち直れる気がしないんですけども。

その槙よう子さんが漫画のおまけページか何かで……「適当って悪い意味で使われがちだけど、良い言葉だよね」「だって”適当”なんだよ!?」と言っているのを見て、たしかに…………と妙に納得してしまったことがあります。

適当、適量って大事じゃないですか。何事においても。

生まれてきた以上は人間として過ごさなければならないわけですから、食べすぎてしまうとき・飲みすぎてしまうとき・言いすぎてしまうとき・聞きすぎてしまうとき……何事も「やりすぎてしまうとき」ってのはあると思うんですね。

やりすぎてしまったことを後から頭痛に悩まされるくらい悔やんだり、やりすぎないよう事前に対策を講じまくって何もできなくなったりするのが、これまでの私だったんですけども。人間たるものトライ&エラーを繰りかえすことで、成長していきてェな……と思うようになりました。こう思えるようになったのも一種の成長のひとつだと勝手に思ってます。

適当、適量っていうワードでもう少し話すなら、最近読んだ柚木麻子さんの小説「BUTTER」がもう素晴らしくって。

通称「カジマナ」という、結婚詐欺殺人を疑われ刑務所に入っている女性に対し、独占インタビューを持ちかける記者が主人公。

このカジマナがとんでもない美食家で、これまで食べてきた美味しい食事や豪華なレストランの話を聞くごとに、記者も感化されてどんどん食に目覚めていく。でもこれまで粗食だった反動から自身の適量を掴みきれず、人生までも揺るがされる……というざっくりした展開なんですけど。

適量を知らずにやりすぎてしまうと人生さえ破滅の危険にさらされるのか……!とこわくなる反面、壊れる寸前までやりすぎてみないと誰しも「自分にとっての適量」を把握できないのかもしれないな、とも思ったり。

生きてると一日に数回は思うんですけど、バランスって難しいですよねえ。私はとくに0か100か、白か黒かの人間なので、余計に難しい。うーむ。こればっかりは普遍的なものなどなくて、肌感覚で染み込ませるしかないんですけど。日々精進ですね。


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