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結論:私は私と友達にはなれない #書く習慣

ゆぴちゃんこと、いしかわゆきさんの書籍「書く習慣」の「1ヶ月書くチャレンジ」に挑戦中!

11日目のテーマは「自分の嫌いなところ」です。

昨日のテーマが「自分の好きなところ」だったので、次は自分の短所を見つめるテーマかな〜〜と予想してました。

このnoteにも書いたんですけど、日頃から人並み以上に自分の長所を洗い出すワークをやってます。それと同時に、短所を長所に変換させるワークもやってるんですね。なので、自分の嫌いなところを見つめようとすると、好きなところに自動変換される脳の仕組みになってしまってます。良いのやら悪いのやら……。


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私には「とにかく相手の上に立ちたがるマウント癖」があります。


振り返ると中学生くらいの頃からこの癖はありました。田舎の学生だった私は、地元では割と偏差値の高い学校へ通っていて、なまじっか成績も良かったせいでそれはそれは調子に乗ってました。

苦手教科ってものがなかったし、成績の悪い同級生を見ては「こんなのもわからないの?」「逆にどうして間違えられるの?」などと真顔で思うイヤ〜〜〜〜〜な子どもでしたね。

この頃のいろいろな経験が、いわゆる「原体験」となり、自分が一番じゃないと気が済まないマウント体質に繋がったのでは……と分析してます。


中学を卒業したあと、これまた地元では偏差値の高い高校へ進むことになります。私が人生で一度目の大挫折を経験したのは、このときです。中学の頃の聡明さはどこへやら、数学では赤点常習者に成り下がり、そのほかの教科も鳴かず飛ばずで……。見事に劣等生へと転落していきました。

マウント癖の種みたいなものは中学生の頃に植わりましたが、それから発芽し、すくすくと茎や葉を伸ばす養分を得たのは高校生の頃だったと思います。

「私はもっとできるんだ」
「今はたまたま躓いてるだけ」
「やる気を出せば高得点を取れるんだ」

過去の栄光が手放せず、亡霊のように背後に張り付いていて、現実は「もっと勉強しないと、とてもじゃないけど追いつかないぞ!」と教えてくれているのに、逃避しまくり、テストの点や順位はみるみる落ちていく一方。

もちろん挫折感も味わっていましたが、それと同じくらいに、「もっとできるはずだ」「自分はこんなもんじゃない」っていうプライドがどんどん育っていきました。


今になっても拭いきれない、私という人間性の根本的な部分に巣食ったマウント癖は、「過去の栄光」と「満たされない自己承認欲求」によって醸成されてしまったのです……。


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とてもじゃないですが、私は私と友達にはなれません。

「なりたくない」というよりも「なれない」が感覚としては近いです。自分のことを一度でも心底嫌ったことのある人にはわかってもらえると思うんですけど、「自分が目の前にいたら絶対イヤ……」っていうなんとも言えない拒否反応ってありますよね。

仮に自分のクローンが作られたとしても、好意的に接することはできない。友達というよりは、観察する対象、格好の反面教師として捉えるような気がします。

……お?? それはそれでいいかも、と思ってしまった。人ってどうしても自分を客観的には見られないものだし、物理的に自分がもう一人いてくれたら内省や反省をするには便利そうですね。

ここ二日間であらためて自分の「好きなところ」「嫌いなところ」を見つめてみたことで、発見したことやわかったことがたくさんありました。書く効果ってこういうところにあるんだなあ。

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