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やさしさに、気づかれたくない。
人からやさしくされることも、人にやさしくすることも、実は苦手だ。
こんなことを言っていたら、世界から総スカンを食らうかもしれない。
やさしさを受け取ろうとするとくすぐったくなってしまうし、家族や友人はもちろんのこと、見ず知らずの人に親切にしようと思うだけで、みぞみぞと落ち着かなくなってしまう。
こんな私は少し変なのかもしれない……。ずっと、そう思っていた。
そんなときに読んだ本がある。近内悠太さんの「世界は贈与でできている」。
ずっと背負っていた重たいリュックをそっと肩代わりしてもらえたような、そんな救いを与えてくれたのは、「アンサングヒーロー」という概念だった。
アンサングヒーロー。歌われないヒーロー。表舞台に立たない主人公。
言わば、縁の下の力持ちというやつ。
本の中では「堤防に空いた数ミリの穴を何気なく埋めたら、結果的に街の水没を防ぐことにつながった」、誰にも知られることのないひとりのヒーローの例が挙げられていた。
ああ、これだ、と思った。
これが、私の理想とする、やさしさの形だ。
言葉はカッコよくなってしまうし、自分を立派に見せようとしてるようで書くそばから居心地わるくなってしまうんだけど、「気づかれないやさしさ」を知らん顔してそっと置いて逃げるくらいが、私にはちょうどいい。
私じゃないですよ~。
そのやさしさ、私が置いてったんじゃないですよ~。
知らんぷりしてその場を去っていく。決して子どもに姿を見られないよう気をつけながらプレゼントを置いていくサンタクロースみたいに。悪いお金持ちから金目のものを盗んで代わりに貧しい人に置いていく鼠小僧みたいに。
歌われないヒーロー。
表舞台に立たない主人公。
そのやさしさは、決して人に気づかれることはない。だって、縁の下の力持ちだから。常に縁の下に隠れてるから。隠れてる限り、見つかることもないだろうから。
いつか発見されて、褒めたたえてもらったり、感謝してもらったり、するかもしれない。それを心のどこかでは、望んでいるのかもしれない。
気づいて、気づいて、いつでもいいから、いつか気づいて……。そういう打算も、無意識のうちにしているのかもしれない。
それでも私は、アンサングヒーローでいたい。
与えるやさしさに気づかれない、隠れたヒーローでいたい。
その功績は没後に評価される……みたいな、ピカソみたいなことになるのかもしれないけど。でもやっぱり、生きてるうちに褒められたり感謝されたりするのは、どこか、くすぐったいし恥ずかしいから。
これくらいがちょうどいい。
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