見出し画像

「楽しかった」を渇望している #書く習慣

ゆぴちゃんこと、いしかわゆきさんの書籍「書く習慣」の「1ヶ月書くチャレンジ」に挑戦中!

14日目のテーマは「これまで夢中になったモノやコト」です。


ーー


いろいろ考えてみたんですが、「夢中になった」と言われたら……やっぱり「本」「映画」になるのかな、と思います。

文章を書くことが好きで、読書や映画鑑賞も好きで、好き×好き=仕事になったという典型的な幸せ者である私。夢中になれるものが仕事のベースにあるので、常に精神状態が「凪」や「穏」に保たれているのがなんともありがたいことです。

(映画ライターになったきっかけみたいな話は、こちらでも書いてもらっています……こっそり↓)


本や映画に共通するのは物語。人がいて、場があって、事が起こる。時には誰もいないこともあるし何も起こらないこともあるけれど、本や映画になっている以上そこには確実に物語があります。

私はそういった物語に触れるのが好きだし、夢中になって時間を忘れて没頭して、一時でも現実から離れてそこから戻ってくる瞬間の「楽しかった……」や「すごかった……」を渇望してるんだろうな、と思うんです。


なんだか、すっごく現実が嫌いでたまらない人みたいですけども。違うんですよ。現実も現実で物語があるから好きなんです。事実は小説よりも奇なりっていう有名な言葉があるくらいですし、現実は現実にしかない面白さがある。同時にやるせなさもありますけど。

現実と同じくらいに虚構も好きだし愛してます。

現実と虚構は相互補完関係にあるというか、どちらかが欠けてしまったらどちらかの魅力がスッポリなくなると思っていて。どちらもあるからこその面白さであり奇妙さなんですよね、きっと。

「現実が待ってる」と思うからこそ安心して虚構の世界に行って戻ってこられる。明日からまた学校だ……仕事だ……って憂鬱な予感に襲われながらも、ついつい本や漫画を読んでしまう瞬間。ね。それが乙なんです。


本や映画の魅力について考えるとき、最近はこういったことをよく考えては、行きつ戻りつしています。ずううううっと本や映画の世界に入っていられたら幸せだろうけど、でもそれって結局「虚構の世界が現実にとってかわる」だけだよな……とか。

あ〜〜現実嫌だな〜〜と思って物語の世界に逃避するときも、そりゃある。だけど同じくらいに、現実があって良かったかもと思える瞬間もあるんですよね。その繰り返しの人生です。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。サポートいただけた分は、おうちで飲むココアかピルクルを買うのに使います。