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なんだかんだ、優しく在りたいよな

私自身めちゃくちゃ失敗がおおく、そのおかげで人の信頼を失ったり露骨に嫌われたりしてきたので、「もっと失敗の多い人間に対しても優しい世界であってほしいな……」と一日に100万回くらいかんがえる。

こういうことを言うと、ただの甘えや怠惰だと思われて、ますます距離を置かれる原因になるんだけど。

もちろん「何をどう頑張っても失敗しちゃう人間だから、そこんとこ大目に見てね~!よろしく!」と開き直ってるわけじゃないのだ。決して適当な気持ちで仕事してるわけじゃないし、誠実な気持ちと姿勢で人と向き合ってるつもりなんです。

ただ、結果的に起こってしまった失敗を物理的に取り戻すことはできないわけで。もう2021年だけど、時間を巻き戻すことは不可能じゃないですか。失敗しちゃったときに「なんで失敗するの?!?!?」って「失敗した事実」を責められても、こっち側はなんにも言えなくなるわけですよ。

だって、しちゃったんだもん、失敗。

やろうと思ってしたわけじゃないし、悪意があるわけでもないし、もう結構いい大人ですからこっちも?自分なりに失敗を防ぐ対策とかさ、考えられる仕組みは高じてるつもりなのよね。その過程をとおったうえでの「失敗した今」なわけだから。

優しくしてほしいし、優しく在りたい。失敗しちゃったら「次を防ぐためにはどうするか?」を一緒に考えてほしいし、互いに失敗を許し補い合えるような人と関係性を築いていきたい。

甘ったれなのかなあ。いい歳して何言ってんだよコイツ、って思われるのかも。こんな人間ばっかりになったら、ジョブズがつくったAppleとか、そういう攻めた商品やサービスや広告が、どんどん失われていくのかもしれないよな。

いやいや……、逆じゃない?厳しく在ることと優しく在ることって、両立できるんじゃない???

この問題、考えれば考えるほど深みにハマっていく気がする。みなさんはどう思いますか……?


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