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「なんか上手くいかない」ときは大体感謝が足りてない

なんか上手くいかない、嫌なことが続く……ってときは、大体「感謝が足りてない」と思っている。周囲への感謝、自分への感謝。ありがとうと思う回数そのものが減っている。

「上手くいかない」「嫌なことが続く」ってことは、視点が自分に偏ってしまっている証拠だから。主観の姿勢を少しだけ”客観”にずらしてみる。

仕事があるのは、発注してくれるクライアントさんがいるからこそ。待ってくれているお客さんや読者さんがいるからこそ。

お金に困らず好きなものが食べられる生活を送れているのは、経済活動をまわしてくれる人がいるからだし、美味しいご飯を作ってくれる人がいるからだし、スーパーでレジを打ってくれる人がいるから。

「なんで私ばっかりこんな目に」って思うときって、最高に視野が狭くなってる。視野狭窄。ネガティブでマイナスなものを受け取るアンテナのほうが、感度が良くなってしまってるんだ。人生は認知と使う言葉さえ変えれば、いくらでも変えたいように変えられると思ってる。

これは、幸せで恵まれた環境にいるおかげなのかもしれない。

葬儀会社で働いていた頃のわたしは、完全に完璧な「視野狭窄人間」だった。

こんなに頑張って働いて「あげてる」のに。
こんなに気を遣って「あげてる」のに。
こんなに我慢して「あげてる」のに。

頑張ったり気を遣ったり我慢したりしてるのは、決してわたしだけではないはずなのに、大変なのは自分だけだと思い込んでいた。少なくとも、わたしの周りにいる人たちは「わたしの働きの分だけ」楽ができているし、恵まれた環境にいる。そう勘違いして、恩着せがましい態度を隠そうともせず、傲慢に思い上がった働き方をしていた。

それで、わたしが、幸せだったか?

最高に、最強に、不幸だった。

次から次へとトラブルがやってきて、毎日嫌なことばかりで、こんなに頑張って働いているのに良いことなんかひとつもなくて。心身ともに降り積もるストレスに耐えきれず、逃げるように移った事務職でも上手くいかなかった。負の連鎖ってこういうことなんだって、頭のどこかで考えていた気がする。

周りや自分に感謝なんて、ぜんぜん、していなかった。そんなヒマさえないと思っていた。もしあの仕事をいまでも続けていたら、ここにいなかったかもしれない。

ライターという仕事に出会えたいま、当時のことを後悔はしていないけれど、もっと早く抜け出す決断ができていたら……とありもしないIFを考えることは時おり、ある。

だからこそ、わたしは感謝だけは忘れたくない。

とくに「ありがとう」と思うことがない平坦な日だって、無事に生きて今日を終えられること自体に感謝してから眠る。

感謝を意識するようになってからどんどん生活が楽になり、人生が楽になっていった。やりたいことは向こうからやってくるようになり、もらった好意をまた違う誰かに渡す意識でいるだけで、善のサイクルがどんどんまわっていく感覚がする。とても心地いい。

今日も、明日も、明後日も、感謝をベースに生きていきたい。


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