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もうこうなったら自分で自分を褒め続けるしかない

コロナ禍が私たちに課したものは大小さまざまあるけれど、「何かのついでに雑談をする機会」がめっきり減少したのもそのひとつであると思う。

雑談がなくなるということは、雑談の流れで褒める/褒められる機会もなくなる、ということだ。

コロナ前の生活を振り返ってみると、なんだかんだで私たちは結構まわりの人たちを褒めていたし、また褒められてもいたのではないだろうか。

「その服いいね!」とか「メイクの調子ノッてるね!」とか「鞄かわいい!」とか「トークのキレがいいね!」とか。仕事や打ち合わせとは関係のない話の流れで、お茶やランチの合間で、たまたま乗り合わせたエレベータ内で。ふとした瞬間に投げかけられるプラスな言葉が、その後も意外と効いてくれる。なんだかんだ良い感じで一日を終えられる。

コロナ禍によって人と対面する機会が減り、雑談する機会が減り、褒め合う機会も減った今。もともと供給が少なかった自己肯定感がますます目減りしている気がしてならない。

もうこうなったら、自分で自分を褒め続けるしかない

1日24時間という人類共通枠のなか、7時間は睡眠、1.5時間は食事、5-6時間は仕事……などと計画的に割り振って、算出された余暇で本を読んだり文章を書いたり映画を観たりしているのだ。それでいて掃除なんかもしちゃったりしているのだ。家宝か?ノーベル賞受賞者か??紫綬褒章ものでは???

こんな大変な時代を(いつどんな時代だって”大変”なことに変わりはないけれど)、なんとか生き抜いているだけでも大したものだ。自分のやっていることを正当に評価し、さんざん褒め抜いたあげくミスドでも与えてあげたい

供給過多で溺れそうになるくらい、私たちはそれぞれ自分たちを褒め続けていないと、いずれ自分で自分を嫌になって取り返しのつかないことをしてしまう。

他者ではなく、まずは自分の声を聞いてもいいんじゃないだろうか。周りの誰が何を言っていようが、「戯言ほざいてるわ~~」くらいの高みにのぼってみていいんじゃないだろうか。よく言われることだけど、どうせ誰も自分の人生を最後まで面倒みてはくれないのだ。自分で自分の価値を認め、”価値”なんて評価基準こそちゃんちゃらおかしい世界線にさっさと行ってしまおう。

そこには誰もいないかもしれない。それでも、他者に迎合しながら心を擦り減らしつつ生きるくらいなら、ひとりが気楽だ。

自分で自分に声をかけてあげてほしい。ひとりで過ごす時間が長い、今だからこそ。


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