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「◯◯であらねばならない」を薄める

自分を生きづらくしているのは自分かもしれない、とたまに思うことがある。自分のことをまるっきり棚に上げて話すとしたら、この世にはいたるところに生きづらそうな人たちがいて、ひとり残らず、自分で自分を苦しめているように見えてならないのだ。

いわば、問題でないことを自分で問題にしてしまっている。悩み事でないことを自分で悩み事にしてしまっている。

「◯◯であらねばならない」という固定観念が強すぎて、理想がはるか彼方すぎて、それに当てはまっていないというだけで自分を爪弾きにしているのだ。この世界から。

たとえば、仕事を辞めたくて辞めたくて仕方がないとき。

わたしにも何度もあった。これまで転職を4回している。会社に合わないこともあったし、人間関係で躓いたこともあったし、仕事自体が嫌になったこともあったし。そのたびに無い頭を極限まで振り絞って、なるべく円満に辞められるよう試行錯誤した。それでも上手くいかなくて、どこも喧嘩別れみたいになってしまった。

こんなに転職を繰り返して、ふらふらと軸のない行動ばかりで、きっと世間様から見たらわたしは「問題」なのだ。いつまでもちゃんと生きられない、安定できない、成長のために猪突猛進できない社会不適合者なのだ。

そう自覚するたびに、苦しかった。

普通に生きるのが「正解」なのに、普通に生きられない自分は「誤り」なのだと思った。何かの間違いなんだと思った。正解にするためには、自分の心を曲げる必要があって、適量な嘘をつかなければならなくて、「◯◯であらねばならない」理想にしがみつかなければならなくて

苦しかった、苦しかった、ただ、苦しかった。

ある年、環境が変わった。新しいことを知った。自分がこれまで知らなかったような働き方をしている大人が、思ったよりたくさんいるんだと知った。

わたしがこれまで「誤り」「間違い」だとしてきた生き方を、堂々としている人たちがたくさんいた

短い期間で仕事を辞めたっていい。それは「逃げ」ではなく「選択」なのだ。「お前、逃げてるだろう」と決めるのは第三者ではなく、自分が自分にくだす判定。ということは、「わたしは逃げたんだ」と決めない限りは、あくまで前に進んでいく選択だと主張することができるのだ。

「◯◯であらねばならない」なんて、嘘だ

どこの誰がそう決めたんだろう。ひとつの会社で働き続けねばならないなんて。転職を繰り返してはならないなんて。女性として生まれたらヒールやスカートを身に着けねばならないなんて。30までに結婚しなければならないなんて。結婚したら子どもを産まねばならないなんて。仕事を辞めて家庭にはいらなければならないなんて。シングルマザーになってはいけないなんて。

自分ではない。世間様だ。顔も目も口も耳もない、名前もない、世間様だ。ぜんぶ世間様が決めた。

「◯◯であらねばならない」なんて、嘘なんだ。

自分が自分で自分を、どこまでも苦しくさせていた

そう自覚できたときに、はじめて、深く息ができたような気がした。

悩みを悩みだと断定すると、つらい。問題を問題としてしまうと、しんどい。だとしたら、あえて悩みではなく問題ではない「なにか」にしてしまえばいい。悩みでもなく問題でもなく、ふわふわとそこらへんを浮遊しているなにかだ。気楽に受け止めてしまえばいいのだ。

無責任かもしれない。自分に対して、自分の人生に対して。それでも生きていくのだ。それだけは確かなんだ。だからわたしは今日も、がんばって「◯◯であらねばならない」を薄くする。薄くしていく。


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