見出し画像

例えるなら途中で色が変わるグラデーションみたいなクラゲ

「○○なのにどうして○○するの?」といった批判や疑問を目や耳にすると、それが自分に対して言われてることじゃなくっても、なんだかざわざわする。もう少し的確にこの気持ちを表す言葉を探してみようと眉間にしわ寄せ、じっくり探ってみるんだけど、やっぱりこれになる。ざわざわ。ざわざわがぴったり。なんでかこう、落ち着かなくなるんだよな。

「俳優なのにどうして声優やるの?」「モデルなのにどうして女優やるの?」「YouTuberなのにどうして本出すの?」「編集者なのにどうしてテレビに出るの?」とかね。バリエーションはいろいろあると思うんだ。

ざわざわの奥目指して、もう少し潜ってみる。決して私は、こういう批判や疑問を口にする人たちに「なんなんだよ!」って喧嘩ふっかけたいわけじゃないから、「私はこう思うからざわざわするんですよ」ってことをちゃんと分かっておきたい。言葉にしておきたいと思うから、生い茂る雑草を掻き分け掻き分け未知の奥底目指していく。

うん。このざわざわの正体はね……。「いたたまれなさ」と似ている。

私は今「Webライター」って仕事をしてるけど、興味の指向はなにも書くことだけに向いてるわけじゃなくって。プログラミングとかWebデザインとか動画編集とかにも興味があるし、紙媒体の仕事とか、本を出すこととか、そのほかいろんなことに興味があるんだよね。

だから仮に、ほんとうに仮に、私が誰もが知る有名Webライターになったとして、ちょっとの浮気心で「YouTubeはじめました!」みたいなことをしたら、これまで応援してくれた人たちも目の色変えて糾弾しだすんじゃないかと想像してしまって、一気に怖くなるんだと思う。

でも、それってダメなことなんだろうか?

俳優が声優をやることとか、モデルが女優をやることとか、YouTuberが本を出すこととか、編集者がテレビに出ることとか、そんなに目くじら立てて怒ることなんだろうか?

いろんなことに興味があるって、どっちかって言うと良いことなんじゃないのかな。しかもそれを仕事にしようとしてるんだから、より価値や楽しみを私たちに分けてくれるってことでしょ。長い目で見たらお互いにwin-winってやつだと思うんだけど、やっぱり「筋が通ってない」「軸がぶれてる」みたいに思われちゃうのかな。もったいなくない?

例えるなら、人の存在そのものや、考え方や価値観、興味の指向って、途中で色が変わるグラデーションみたいなクラゲ、に似ている

生まれてから死ぬそのときまで、考え方や生き様が変わらない人なんていないと思うし、だからこそひとつのことだけに心血注いできた人が注目と尊敬を集めるのであって、大多数の人がグラデーションなんだよ。

季節とか天気とか体調とか気分とか、そういうものでコロコロコロコロ、コロコロコロコロ変わるのが人間。内蔵のなかまで透明で細胞ごとに分け隔たってる存在。そうだと思って生きてくのとそうでないのとでは、まるっきり感じ方が違ってくると思うから、「あの人はどうして○○なのに、○○するんだろう、軸ぶれてない?」と思ったときに、少しでいいから思い出してみてほしいなって思う。

人間はクラゲです。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。サポートいただけた分は、おうちで飲むココアかピルクルを買うのに使います。