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「ごめんね」って思ってしまう

良いカッコしたいわけじゃないんだけど、家族や友人、大切な人とケンカになってしまったとき、状況的に明らかに相手のほうが悪いと思えても、「ごめんね」って思ってしまう。同情してほしいわけじゃない、立派な人だねって思われたいわけでもない。私がもっとしっかりしていれば、考えが足りていれば、あのときこうしていれば、こう言っていれば……。後悔ばっかり。立て直せた関係もあるけど、ダメになってしまった関係も、ダメになってしまうであろう関係も、そこにはある。

みんな、よく生きてるな。

頑張ってるよ、ほんと。自分以外の人なんて何を考えてるか分からないのに、いやむしろ自分だって何を考えてるか分からなくなる瞬間もあるのに、必死に想像して、思い巡らせて、喜ぶであろうことを見つけては準備したり、傷つけない言葉を探したり。ほんと、よくやってるよ。私には無理だー! 一人になりたい! 一人で生きていける! って匙をとおくとおくへ、放り投げてしまいたくなる。もう、探さないでくれ……って殻のなかに入ってしまいたくなる。もう、出ていきたくない。

でも、現実、生きてかなきゃならんのだよな。

最近読んだ本に、「何かヒントやメッセージが欲しいときは、そう願いながら本をパッと開いてみるといい」みたいなことが書いてあって、半信半疑でやってみた。私はどうしたらいいんでしょうか、万事万物、傷つけずに生きていく方法なんてあるんでしょうか……と念じながら本をパッと開いてみたら、そこにはこのようなことが書いてあった。

「しっかりと、丁寧に、けじめをつけるのが大人の女性の品格です」

ははあ。そうですよね。丁寧。けじめ。うん、そうだよな。

優しいふりをして逃げていただけだったのかもね。責任を放棄して楽なほうへ流されようとしてただけだったのかも。思えば私はずっとそうだった。「傷つけたくない」は「傷つきたくない」と同義だし、「真正面からぶつかりたくない」の意思表示でもある。

逃げずに果たすんだ、責任を。つけるんだ、けじめを。

でもね、どうしても、ごめんねって思ってしまう。ごめんね。


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