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マウント癖と付き合っていく
「すごいって思われたい」「ちやほやされたい」欲がすごくて、自らその流れに持っていくためにマウント取りがちなのが悩みだった。最近ようやく「自分の凄さは自分がよくわかってるから、わざわざひけらかさなくてもいい」と思えるようになったけど、病的なナルシストは治ってない。
— 北村有 | 偏愛ライター (@yuu_uu_) February 16, 2021
おそらく高校生か大学生くらいの頃からなのだけど、何かにつけ自分の力をひけらかそうとしたり、ちやほやされる流れに持っていこうとしたり、必要以上に「自分頑張ってますアピール」をしたりするのが癖で、コンプレックスだった。
自分では「マウント癖」とか「病的ナルシスト」とかって名前で呼んでいる。自力で治そうと思って治せるものでもなく、かといって病院に行っても診断名がつくわけではないだろうと思うので、日々向き合い、これからの長い(と信じている)人生をかけて付き合っていくつもりだ。
わたしのこのコンプレックスは、根深い。
こうやって文章を書くことで、「私はこうやって自分の欠点をちゃんと見極めて、向き合ってるんです」「自覚があるんです」「だから他の人とは違って誠実なんです」ってアピールをしようとしてるだけなんじゃないか。他人にそう見せようとしてるだけなんじゃないかって、冷静にジャッジする自分もいるのだ。
それも含めて、まるっとまるごと、向き合っていくしかない。
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具体的にどんなときにマウントを取りたくなるのかというと、たとえば家族や友人と話していて「相手が明らかに間違ったことを言っている」と思ったとき。
別にそれを必死になって正さなくてもいいのに、「自分はちゃんと正しいことを知っている」「それを相手に思い知らせたい」って気持ちが抑えられなくて、ついつい「それってこうなんじゃないかな?」と口を出してしまうのだ。
あとは、本を読むのが苦手な相手や、映画やドラマなどエンタメ作品にあまり興味がない相手と話すときも。「もったいないよ!」「私はこんなにたくさん面白いものを知ってるよ!」とひけらかしたくて、仕方なくなる。
それは純粋に、読書やエンタメの面白さを分かってほしくて伝えるのではない。自分の価値を知ってほしいがためのエゴなのだ。その証拠に、ついついマウントを取ってしまったあとは、罪悪感で死にたい夜をやり過ごしている。
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このマウント癖と付き合い、うまく折り合いをつけていくコツとして、最近の私は「私の価値はほかの誰でもない、私自身がよく知っている」と思い込むことにしている。
誰に褒められなくても、誰に下に見られても、誰にけなされても、自分だけは自分の魅力をわかっている。痛いほどに痛感している。毎日、毎時間、毎秒そう思い込むことによって、ふつふつと胸の底からしつこく滲み出してくるようなマウント欲をいなしている(つもりになっている、まだまだだけど)。
これ、わかってくれる人、いるかなあ……。短所は長所の裏返しというけど、これだけはまだ変換が上手くいってないのですよね。もっと自分を好きになってあげたいもんです。
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