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「なんか良い感じ」。ウソでもいいから

朝は予感に満ちている。

いつもよりパッと目覚めが良い気がしたり。肌の調子が良い気がしたり。なんだか良いことが起きそうな気がしたり。ご飯が美味しく感じられる気がしたり。

そう。ぜんぶ、気がするだけ。そこに根拠なんてない。

「根拠のない自信」という言葉がある。とくに何をしたわけでも、過去に輝かしい実績があるわけでもないのに、なぜかいつも自信満々な人。よくネガティブな意味合いで使われることが多いけれど、この言葉、本質である気がしてならない。

だって、「根拠がない」んだよ。自信なんてもともと実体のないものなんだし、根拠なんてなくたっていい。「なんかそんな気がするから」だけで、大きな自信を持ったっていいはずなのだ。わたしたちは。

人は言葉に引っ張られていく。感情は、簡単に言葉に支配される。

自分でそうと気づかないうちに、知らないうちに侵食されていく。ふと使ってしまった言葉に、つい口から出てしまった言葉に。

「ダメかもしれない」
「やっぱり私じゃムリだ」
「こうなるってわかってたのに、やっちゃった」

言葉は呪文。簡単に魔法をかけられる。自分で自分に向けた言葉はどんどん心に、核に染み込んでいって、前提や当たり前や常識になってしまう。

一度染めた布はなかなか真っ白には戻らない。

だからといって、そうすぐには言葉を変えられないんだ。ここに生まれてきて、物心ついた頃から使っている言葉たち。自分で自分にかけてあげる言葉を変えていくには、想像するよりもたくさんの時間が必要

注目するといいのは、「朝」と「他人」だと思う。

朝はだいたいボウッとしている。起き抜けで、まだエンジンがかかりきっていない。そういう時間はあらゆる予感を身体全体で感じている。

「今日は良い日になりそう」
「良いことが起きそう」
「なんか良い感じ」

根拠なんてなくたっていいし、本当は、心の奥底では「調子悪い」と思っていたとしても、いいのだ。まずは、表面に出てくる言葉から変える。

そして、思いっきり人の力を借りる割り切りも大事だ。

前向きな人を探そう。なんだかキラキラしている人を探そう。そして、なるべくそんな人たちと一緒に過ごす時間を増やす。自然と「根拠のない自信」を振りまいてくれる人たちと行動をともにして、プラスのパワーをもらう

なんだか抽象的でスピリチュアルな話だけれど。心や身体の調子って、言葉で整えることもできるのだと思う。

「なんか良い感じ」。ウソでもいいから、そう唱えながら今日も生きていこう。この先も、ずっと。

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