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世界は決して自分都合にはできてない

世界は優しいものだと思えば優しいし、性善説に立とうと思えば良い人に恵まれる。つまりは自分の物の見方や捉え方によるところが大きくて、裏を返せば、厳しい世界だと思えば厳しくなるし、悪い人ばかりだと思えば裏切られることになるんだ。

世界は決して自分都合にはできてない。

「不適切だ」とされて記事や動画が削除される。「炎上案件だ」とされてコメント欄が燃え盛る。なかには本当に不適切で、炎上しても仕方ない案件もあるかもしれない。それでも、え、これもそうなっちゃうの? という件も混じっていて、「ちょっと目くじら立てすぎじゃない?」って思ってしまう自分もいるんだ。

同じ言葉で、励まされる人もいれば傷つく人もいる。少し極端な例だけど、「頑張って!」って言葉だってまったく正反対の印象を抱く人が、この世にはいるんだ。素直に「よし頑張ろう!」って思える人もいる一方、「もうじゅうぶん頑張ってるのに……」って心折れる人もいる。

言葉は大事。人を生かしもするし殺しもする。だけど、表には出てきていない裏面や奥底や背景を想像する余裕を、私たちもっと持とうよって思う。ちょっと気にしすぎ。ちょっと怒りすぎ。落ち着いて落ち着いて、って思ってしまうんだ。

たとえば「浮気」。たとえば「離婚」。

言葉だけ見るとイヤ~~な感じがする。絶対しないし、されたくないって思う。大切な人がいなくなってしまうイメージが浮かぶし、自分の穏やかな生活が脅かされるんじゃないかって不安になって、そわそわする。

だけどそれって、あくまで世間一般的な、普遍的なイメージの話であって、同じ「浮気」や「離婚」でもそれぞれ事情があるものだ。あっちの浮気はこういう事情だけど、そっちの浮気には違った背景がある、みたいな。画一的な、共通項があるものではなくって、それぞれが別個の事象。まるっとまとめて「浮気ってこうだよね」ってひと括りにしてしまうのは、「これだからイマドキの若者は」って愚痴ってるおじさんと少しも変わらない気がする

だから、もっと想像しようよ。

「私はこう思うけど、でもこの人にとってはまた違う事情があったのかも」って思ってみようよ。すべてを同じ言葉で語ってしまうことのほうが怖いことなんだって知ろうよ。それぞれに共通項を見出してデータとして提示するのは、学者さんのすることじゃん。

世界は決して自分都合にはできてないんだから。


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