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モラハラ案件対応いたします。

こんにちは。ご無沙汰しております。
先週・木曜日・金曜日と二日連続で、
神田明神の夜桜ライトアップに行ってきました。
桜=お別れとスタートのイメージですね。
夜桜が綺麗、また見たいと思うようになったのは、
私が少し大人になったからでしょうか。

タイトルの通り、私大々的に宣言いたします。

『北山のん、モラハラ案件対応いたします!!』

スピリチュアルメッセンジャーとして活動していくことになり、
他の方々との差別化を考えた時、
新しく技術等を磨かないとと思っていました。
離婚してからも、なぜかモラハラを受けている方、モラハラをしている方と遭遇することが多々ありました。

私の元にも、『もっとモラハラについて勉強しないと』という
メッセージは来ていましたが、過去のことのフラッシュバックなどもあり、
ためらっていました。

モラハラを受けてきた当事者 サバイバーだからこそ、できることある。
私は宣言することにしました。

モラハラ案件は、自分の件含み4件ほど、
脱出まで携わったことがあります。
多くの被害者の方は、違和感を感じながらも、
最初の一歩を踏み出せずにいます。
加害者たちに洗脳され、透明なかごの中にいる状況です。
時には命の危険が目前に迫っていても、立ち尽くす方もいます。

今思えば、私の脱出時、見えない力・先祖様方のご擁護などが入り、
選択したことがすべて正解で、無事帰ることができました。
モラハラ案件、本当に厄介です。
弁護士や行政の助けが必要な方が多くいます。
専門分野に関することは、お伝えすることができませんが、
前段階のことは、経験上+見えない世界の方々から届く
メッセージとともに、お伝えさせていただきます。

モラハラを受けている方は、
加害者たちの暴言暴力により、徐々生きる気力などを奪われていきます。
体調やメンタルが悪化する方が多いです。

あなたは何も悪くないのです。してくる加害者たちが悪いのです。
自分が彼を怒らせてしまった。とんでもありません。
彼が無能すぎて、自分のやり場のない気持ちを、
あなたにぶつけているだけです。悪くないのです。

どうしたいという状況でもいいのです。
あなたは一人ではありません。
もやもやをためないようにしてください。
いつでもご依頼承ります。
決意ができたら、製造元に熨斗(離婚届)つけてお返ししましょうw
送りつけた後、ざまーーーって言ってやりましょうw

スピリチュアルメッセンジャー+モラハラサバイバーとして、
不定期ですが、Twitterスペースでお話の場所を作っていきたいと思います。
長くなりましたが、私の宣言は終わりです。

モラハラサバイバー歴をざっくり書いておきました。
私頑張って生きてきたな。。。
あまり嬉しくない経歴ですが、お時間ありましたら、
ご覧くださいませ。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。

北山のん モラハラサバイバー歴(誕生~2015年まで)
1980年9月 誕生。男でなかったことに父方の祖母から文句を言われる。
      母、結構濃いめの嫁いびりを受ける。
      伯母国際結婚をしており、ハーフのいとこが2人。
      親戚中がお祭り騒ぎ。私、差別されて育つ。
      いとこと容姿比較され、半年の写真を見せブス呼ばわり。
      祖母『整形させようかと思った。』発言。
1985年7月 弟誕生。
      待望の男子誕生に、母甘やかす。
1993年 中学受験。母の母校を強制的に受けさせられる。→失敗。
    別の私学に進学。
1999年 母の母校の短大に合格。→その後同校の大学へ編入。
2002年 大学の心理学の講座と出会う。
2003年 大学を卒業。心理系大学院に進学希望するも、
    母『(私が気に入らない)そんなものに金出さない。』
2010年 モラハラということばを理解する。
    自分が長年苦しんできたのは、モラハラだった。
    両親・弟、亡き祖母、親戚一同からされていた。
2010年夏 元夫と再会→2か月後関西赴任が決定。結婚が決まる。
2011年 結婚。当初から元夫の言動行動等がおかしい。
    義両親・義兄・義妹夫婦などにも違和感。
    私の実家、先祖共々否定してくる。
2013年 義兄結婚。嫁、コミュニケーションが取れない人。
2015年2月 〇橋ジョージのモラハラ報道により、
      私が受けているのはモラハラだと気づく。
2015年5月 両親との交流が再会。元夫仕事のストレスにより暴言増える
2015年6月 神社にお参りし『旦那に試練をください。』
      →私、人生史上最悪な体調不良になる。ほぼ寝たきり。
2015年7月 食事もとれなくなる。持病の主治医女性に、
      『私は専門外だが、あなたの夫は発達障害だと思う。』発言
      実家へ帰ることを決める。
2015年7月別日 元夫と恐怖の死のドライブ→命の危険を感じ、
        翌週火曜日昼逃げ決行を決める。
2015年7月14日 元夫出勤した後、着の身着のまま、関西の家を後にする。
        弁護士指示のもと置手紙。
        『体調が悪いので実家に帰ります。』トラップ仕掛けるw
        元夫、私が自分の両親と連絡していることは知らない。
        元夫の実家に連絡して、私の失踪を義両親に激怒されるw
2015年7月16日 弁護士さんにご挨拶。離婚の話を進めてもらう。
        弁『このタイプはどう出てくるかわからないので、
        書面で様子を見ましょう。』
2015年8月上旬 弁→元夫宛に書面送付。
        帰省時期のため3か所に送付。自宅FAX・自宅郵送・実家。
        →実家の分受け取り拒否。
        『のんさんはあなたがおっしゃる通り、家を出ていくなら 
        離婚するという覚悟の元出て行かれた。今なら財産分与・
        慰謝料はいらない。あなたはどう思っているのか。』
        ※この文面で相手の出方を見るため。
2015年8月中旬 元夫から離婚届が送られてくる。
        離婚成立。
2015年9月   元夫の会社がらみの社会保険の手続きが完了。

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