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還暦で厄年!それがどうした‼️(*^^*) その10 宇宙人みたいな不思議な先生との御縁

とうとう会社を辞める決意をしたが、全く次のプランは無いノープランである。
そんな時、定年退職した元上司から「良い会社があるんだが転職を考えてみないか?」と突然電話が来た。
やっぱり俺の守護霊様達は忍者だな!と改めて思った。
欲しい情報が向こうからやって来る。
しかもドンピシャのタイミングで・・・
今さら就職活動は嫌だな❗って思っていたから、何も考えずに一つ返事でお願いした。
その会社は表参道にあり、化粧品や健康食品を製造販売している会社だった。
入社して暫く経って分かった事。
確かに表参道の一等地のビルに入っているが、売り上げ上がらず、社長は自宅が抵当に入り借金まみれ、息子が社内で製品開発担当ではあるが、開発費用だけ嵩み、長年新商品は開発されて無いらしい!
俺は営業として、1ヶ月目は先ずは小売で市場調査をして、十分説明しないと受入て貰えない製品だと分かったから、飛び込みで各生保の営業所を周り、生保レディを募集する口実のセミナーとして、美顔セミナーと題しての集客を提案して、数社が採用してくれた。会場は各生保の会議室だから、会議費用はかからないし、集客は各生保のオバ様達がやってくれる、そこに社長が言葉巧みに実演を兼ねてさり気なく製品のアピールを行う!思惑通りに参加者や生保レディの方々から購入の申込みが殺到した。またその中の数人に後日会社に来てもらい、業務委託契約を交わして、製品普及の戦力化にした。
作戦は成功したので、一気に攻める企画を考えて社長に提案したが、資金が無い!と言う事から却下、一体会社の体力はどのくらい残っているんだろう?そう思っていた矢先に長年働いていた経理事務の女性が、一身上の都合で退社。あんなに愛社精神があった人が・・・俺の中に嫌な過去の思い出が頭を過った。それはまだ20代前半の頃、飯田橋から徒歩7~8分の会社に勤めていた時の事。社長含めて4人の弱小企業で業績は悪かった。入社2ヶ月目の給料日。社長から・・・葛飾君今日は給料日なんだけど、今日は会社にお金が無いから、今日のところはこれで我慢してくれないかな?近いうちに何とかするから・・・と言われて、千円札を1枚渡された。その瞬間は「俺は売り上げに貢献出来てないし、社長も大変だろうから仕方ないか!」と思って素直に社長の提案を受け入れた。
その日の夕方。業務が終わって駅に帰りかけた時、大きな通りの反対側でタクシーを捕まえる社長を見た。次の日の朝、40代後半先輩社員に昨日の出来事を話すと、その先輩社員は給料をまともに貰ってないらしいが、実家から通っている為何とか生活出来ている事や社長は板橋に住んでいて、毎日朝夕タクシーで帰る事も教えてくれた。それを聞いた瞬間に唖然として同時に怒りを覚えた。
でも、全く会社に貢献出来てなかったから怒りは一瞬で消えて呆れ果ててしまった。
そして、その日会社を辞めた。
・・・そんな過去が頭を過ったから、その経理事務の女性が辞めて暫くしてから、俺も会社を辞めた。

前もって会社を辞める計画を立てていた訳ではなかっから、さあ!次どうしよう。と言う感じで暫くはボランティアで健康セミナーを開催している訳あり先生のお手伝いをしていた。

その先生との出合いは、表参道の会社にいる時に不思議な御縁で知りあった先生だった。
その先生の凄いところはたくさんあって書ききれないけど、特に印象深く覚えている事は2つある。
1つは、毎回健康セミナーにいろいろな人が来るけど、お金は会場費用として参加者から500円だけもらうだけで、何かを勧めたり販売したりする訳では無い。セミナー終了後先生は参加者と雑談をするけど、必ず相手の目をじ〜っと見て「貴女は○○と言う病気の兆候があるから、病院に言って検査して貰った方が良いですよ!」とか「貴女は今○○と言う病気になってますよ!」等と相手の目をじ〜っと見てから相手の方に伝えて、中には『先日健康診断を受けてきたばかりですけど、どこも異常無いです、とお医者さんに言われたばかりですよ!』と言って、先生の言う事を信用していない人に対しては、先生が常に持っているA4サイズの方眼紙に、ボールペンで英語の文章をスラスラと書いて「これを掛かり付けの先生に見せて、こんな事を言ってる人がいますが、先生どうですか?」と聞いてみて下さい!と言って、その紙を渡して自身たっぷりに言っている姿を見て不思議に思ったので、先生に尋ねてみたら「昔の医者は、最初に患者さんの目をじ〜っと見て病気を見ていたんだけど、最近の医者はろくに患者さんの顔も見ないで、直ぐ検査したがる医者が多いけどね、病気になると目に現れるんですよ」って教えてくれた。
でも、先生は医者では無い。
その2週間後のセミナーの後のお茶会の席で一人のご年配の御婦人が・・・「この前先生に言われた事が気になって、あの後病院に行って先生が書いてくださいました紙をお医者さんに見せて検査して貰ったら、先生のおっしゃる通り病気が見つかりました。ありがとうございました」と言って感謝してきた。
先生は、良かったですね!の一言だけ。
当時無職の俺は、これはビジネスになる!と邪神を思ってしまったが、先生は全くそう言う気は無かった。

驚いた事の2つ目は・・・ある日先生が3〜4m先にある木の葉っぱをじ〜っと見てから「葛飾さんのお母さんは鹿児島に住んでいるんだよねぇ〜?近いうちに鹿児島方面で震度4位の地震があるから棚の荷物等、気を付けた方が良いよ!って伝えてあげて下さい!」って言ってるから「先生!何でそんな事が解るんですか?」って聞くと先生は「おととい○○地方で地震があったでしょう!あの地震は、まだ発見されていないプレートが無いと起こらない地震だから、それが存在すると仮定して微分積分で計算すると、今度は鹿児島方面で明後日あたりに震度4位の地震が起こるはずなんですよ!」って説明してくれた。(文中の○○は当時は具体的に聞いたが忘れてしまったので、○○と言う表現にした)

そして、その明後日にテレビでは鹿児島で地震4の地震が発生した、と言うニュースがながれた。

それから・・・3ヶ月後に静岡でヤクザに追われる事件が・・・

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