夢は生きてる、夢で生きてる〔お返事エッセイ〕

悪夢にうなされたときは、獏という字を書いて枕の下に入れる。

以前にちびまる子ちゃんを見て知った知識は、初夢で刺し殺されるというスプラッタな夢で新年のスタートを切った私にとって、心の救いになった。本当に怖かったし、自分の死に直面したのは例え夢でも心臓に悪い。夜眠るまで、ずっと気が気ではなかった。

その日の夜は、夢を見なかったか、なんでもないような夢を見た。獏が出てきて怖い夢を食べてくれたところを見るようなことこそなかったが、それでも獏が私の夢を食べてくれたんだと思うと、無事に怖い夢の呪縛から逃れた。

さて、しかし、幸福なタイプの怖い夢は、もっと辛い。自分が心から望んだ世界や姿や、諦められなかった夢を成し遂げる瞬間に居合わせるような夢だ。なにせそれは、どちらかというと今生きている現実の方を悪夢に見せる夢だ。もしも、と夢想したことが、リアルな実感を持って現れ、消えていく。

3月のライオンと言うマンガに、島田さんというプロ棋士が出てくる。彼は将棋のプロになった代わりに、恋人と別れ、毎日の対局のストレスで胃に穴が開きそうになり、しかも、髪が薄くなってきた。そんな中で、初めてのタイトル決勝戦の前日、夢を見る。

豊かな田園で、鍬を振るって畑を耕し、恋人がそれを迎えに来て、その手に抱かれている我が子の頭を撫でる。家に帰ると、昔から良くしてくれたおじいちゃんとおばあちゃんと、将棋盤を囲んでいる。

「プロになんか、ならなくていい。お前は、頑張ったじゃないか。ワシ等の誇りだ」

と、地元の人たちは口々に、島田さんを優しく迎えた。

「そうか、俺は、プロになれなかったんだ」

地元の人たちに肩をたたかれ、これもまた幸せ、と涙を溜ながら笑った。

そこで、目が覚める。決勝戦当日。

それでも、島田さんは、決勝の舞台へ向かい。盤上の死闘でボロボロになっていく。みぞおちのあたりで、黒い生き物が暴れているような感覚。心臓の鼓動一つ一つが痛みに変わる。

島田さんは盤を睨む。

「ああ、くそぉ。これじゃ、どっちが悪夢かわかりゃしない」

接戦、しかし、苦しくて苦しくて、震える手で駒を取り、そっと持ち上げる。将棋にとりつかれ、将棋をやめた幸せの幻影にとり憑かれる今が悪夢か、それとも、地元で笑顔に囲まれながらも将棋を諦めきれない向こうが悪夢なのか。確かめてやるよ。

「あぁ、生きてるって気がするぜぇ!!」

めちゃくちゃなやせ我慢である。ボロボロで、苦しくて辛くてもう、やめたい、やめられたらどんなに楽かと渦巻くどす黒いものも含めて「生きてるって気がする」。

この言葉を私は何度も唱えた。泣きながら帰る道、誰にも相談できないくらい辛い苦しみ。それを全部、なんだか意味のあるものにしてくれる言葉だった。

幸せな夢も、きっと悪夢なのだと思う。想像力は、人を不幸にすることもある。相手の機嫌の悪い理由を考え、理想と現実の差に苦しみ、自分のふがいなさに打ちひしがれる。

どんなに幸福に見えても、もしくはすごく不幸でも。実際の自分が持っているものを隠れしてしまう想像や夢は、怖くて深くて冷たい不安だけ残して去っていく、悪夢だと思う。

ーーー

このエッセイはイッヒさんのエッセイへのお返事です。

同じテーマで書きました。
イッヒさんのエッセイはこちら

悪夢の話|ich00|note(ノート)https://note.mu/ich00/n/n48b35b75bb23

ここまで読んでいただいてありがとうございました。 感想なども、お待ちしています。SNSでシェアしていただけると、大変嬉しいです。