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愛にあふれて、洗われて。

愛されたいなと思っていたら、妻に全身を洗われた。

お風呂に入っていた私からスマホを取り上げ「本日、私めがお背中をマッサージいたします!」と夜とは思えないテンションでいつの時代かわからない銭湯ごっこが始まってしまった。私は浴槽に腰掛けると、妻はローションを手に背中を流した。このローション、五リットルある。前に妻が「マッサージとか、毛をそったりとか色々使うんだよ」と言ってかれこれ一年くらい持て余している業務用ローションである。

背中を洗いながら「どうしたのぉ」と聞いてくれるカウンセリング付きである。

「なんか仕事のやる気が起きないんだよねぇ。前はもう少しやる気があったのに、今はパッタリだ」

「もう前の自分じゃないから進化してかないといけないわけだけどね」

カウンセラーというよりは占い師ばりにバッサリ言ってくる。妻は割と物事を力で解決するタイプの人間なので「今何に力を注げばいいか」に対してはかなり適切な処置をすることができる。

「背中の毛、剃って良い?」

このように趣味で人の背中の毛を剃ることもあるが、基本的には真っ当な人間である。「どこを剃っても毛が出るねぇ!」などと楽しんでいるが、私の話を聞いてくれる存在だ。

背中を撫でて「なんかちょっとザラザラする」と、自分が勝手に剃っておいて好きなことを言うが大切な人だ。

「俺はあんまり職場で必要とされてなさそうのんだよね」

「新人が必要でたまらない職場なんてロクなもんじゃないからそれでいいんだよ。今までずっと基礎パーツとして働いてたけど新しい職場にはもう基礎パーツはあるからね。君はブースター」

妻は私と向き合い泡立てボールを手にとって、洗顔料を香味ペースト一回分の量乗せて泡立てた。

「特別だよ」と、妻は言い。それで私の体を洗い始めた。首、肩、腕、胸、腹、足。上から順に私の体が泡立っていく。

「日焼けしてる?」

私が聞くと「焼けてるよ。日焼け止め塗ったら? 日焼けって、かわいい言い方だけど、要するに火傷だから」と、言ったが私は日焼けしている方が好きなので無視することにした。最近は職場までチャリで通勤しているので、三十分ほど日に照らされている。それでも、日に三十分は火傷には充分なようで私の肌はうっすらと茶色になっていた。

「こっちが元々の肌の色」と、私の胸元に私の手を妻が持っていく。

なるほど、確かにより黒っぽく見える。

「ブースターは何すればいいの?」

「ブースターはね。手伝えば良いんだよ」

「手伝うってどうするの」

「『お手伝いすることはありませんか?』って聞くんだよ」

「どのタイミングで聞けばいいの」

「パソコンに向かう人の、手が止まったとき」

「手が止まったとき」

「そう」

「でも、うちの職場はあんまりパソコン使わないよ」

「それは困ったね」

妻は私の体を念入りに洗うと、シャワーでローションごと洗い流した。それからまたローションを手にとって私の頬から顎にかけて塗った。

「ヒゲを剃るのが下手なのはなんとかならないもんかね」

絵本のセリフみたいに、妻は言った。独り言のようでもあったが、読み聞かせるようであった。責めない口調で、なにかの登場人物のように妻はT字カミソリで私の頬をそっと、何度かに分けてヒゲを剃った。もみあげとヒゲの間、顎、喉元。「少し上むいて」と言うので、私は視線を妻から天井に移した。

ヒゲを剃り終えた妻は、カミソリを水で洗う。

「話しかけられて困るタイミングって無い?」

「無い。常に話しかけられていいし、割と無視してる」

「それは、改めたほうが良いね」

私が風呂の縁から立つと「頭がまだだよ」と言って妻はまた私を座らせた。そして、シャワーで私の頭を濡らすといつもと違うシャンプーを泡立てて私の頭にその泡を乗せ、ワッシャワッシャと更に泡立てた。

「今日は特別、大切にしてあげないとね」

妻に頭を洗われながら、ここ一連の流れは愛だなと思った。妻に触れられて、刃物が肌を触れるのも許し、頭をワシワシ洗われる。

こうして私は全身をくまなく洗われた。

洗われ終わった後「最近こうして、触ることも少なくなったからね」と妻が言った。

私達は、多分、あんまり、セックスをしない。キスは毎日するけれど、布団に入ったら圧倒的に睡眠欲が勝つ。主に妻がそうだ。私は夜ふかししているのでそれほどでもない。

今日のこの話も、セックスには至らない。私がただ、妻に洗われる話だ。

赤子のように、愛犬のように、私を優しく包んでくれた。

そんな妻は、フンフン言いながら布団に入り、今はスピスピ言いながら寝ている。毛布にくるまれて、緩やかな呼吸をしている。

私を包み込むほどの愛と余裕が今、妻の周りを優しく漂っている。これを、かわりばんこにこなしていくのだ。私は妻のように妻を愛することはできないけれど、悲しくてたまらないときは塞ぎ込んでしまうけれど、妻はその戸をコンコンと叩いて、夜とは思えないテンションでバンと開く。

「でぇーーん!」

効果音を自分で入れながら、風呂に入る私を何度覗きに来たかわからない。

「浸かっとる浸かっとる」

満足そうに、リビングへ帰っていく日もある。

愛されたい。と、つぶやくと妻はやってくる。

そうして、その時々に合わせたやり方で私を愛してくれる。時に優しく寝かしつけ、時に抱きしめ、時に体を洗う。そこにひとさじ、妻の好奇心が混ざって妻の注ぐ愛は二人の愛になる。

そのひとさじが今日は背中の毛を剃ることだった。

「ブースターになるんだよ……」と、寝る前に妻は言った。寝る直前になっても、私のことを考えてくれている。

私は、愛されているなぁ。

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