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未読の本を君に勧める

「カフカの変身を読み終わったんだけど、他におすすめない?」

と、Rさんから連絡が来た。

うん、あの、いや、お前すげぇよ。よく読めたなあれ。私はダメだったよ。途中で挫折したよ。と、思いつつも、変身の感想を聞いた。

Rさんは古典文学や純文学にハマっている。この前まで、やれ走り込みだ腕立て伏せだと体づくりをしているかと思ったら今度は本である。

Rさんは古典を読んだことを自慢するでもなく「なんというか、虚無感があってさ」と言って、淡々と感想を語り始めた。不条理を感じたということ、どうすればグレーゴルは虫から人に戻れたんだろう、と私に言った。

変身、のあらすじは私も知っている。でも、Rさんはおそらくまっさらな状態で変身に触れたのだ。本屋さんで新しい本を見つけて読むのと同じように、カフカの変身に触れた。それが、ちょっとうらやましかった。

そんなRさんから見て、変身は私が当然読んでいる本として語っていた。普段、読書が趣味と言ったり、読書会を主催したりしているので、本のことを語る相手にはぴったりだと思ったのだろう。変身も有名すぎて、読んでないと言うとちょっと恥ずかしいような気がした。しかし、そんな本もRさんにとっては普通の本に過ぎない。

初めて読んだ物語のストーリーに心を動かされ、やり場のない感情を私に吐き出してくれている。だからこそ、私は正直に白状した。

「私、変身は読んだことないんだ。途中で挫折した」

「えっ、お前、挫折することとかあるの?」

Rさんは言った。私が読んでいないことよりも、読むことを途中でやめたことがあるということに驚いているようだった。私は、読み終えた本より途中のまま放置してある本が多いこと、変身も手に取ったけど、別の棚にあったサボテン辞典のほうが魅力を感じたことを話した。

「もし読んだら感想きかせて」

とRさんは言った。それから改めて開いてみたけれど、やはり読み進めることができなかった。

本を読み進められないときの感覚は、退屈とも違うし、イライラするのとも違う。指でスーッと文字をなぞっているときにふと意識が遠ざかって別のことを考えてしまうのだ。他の興味がある何かに、意識が引き寄せられてしまう。それを何度か繰り返して、私は本を閉じた。

それから数日が経ち再びRさんから連絡があった。

「社会と弱者、みたいな本、なにかある?」

Rさんは私が変身を読むのを挫折したにもかかわらず、まだ声をかけてくれた。二度も頼られてしまっては何か私としても返さなくては申し訳ない。そこで、Rさんにぴったりな本を探すことにした。探すといっても、今から古典文学や純文学を読んでも間に合わないので、記憶にあるものから探していく。そして、いくつかの本をRさんに勧めた。

夜と霧。とか。

アルジャーノンに花束を。とか。

沈黙の春。とか。

きっとこのあたりが、Rさんにヒットするのではないかと目星をつけた。簡単なあらすじと共に、本を紹介する。でも、私はこの本をまだ読破していない。

ただ、この本たちは全て、文章から変身に似た匂いを感じるのだ。気難しくて、でも伝えたくて、そんな思いと裏腹にこの本たちを読むと私の意識ははスーッと離れていってしまう。でも、もしかしたらそういう匂いのする本がRさんにはぴったりなのかもしれない。

「ぜひ読んでみて、私は読んだことないけどね」

読んだこともない本のことを、さもそれっぽく語る私と、私の読めない本が大好きになるかもしれないRさん。私たちは同じ本を同じように読むことはできないけれど、別々のルートから手にしたあらすじを元に、すり合わせるように感想を共有している。

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