暗くなる歌とエッセイ

午前四時、苦しい。

目が冴えて眠れない。

これからどうしよう。

そればかりが頭を巡る。

私は、就活が苦手だった。

それはもう、壊滅的に下手くそだった。

どうしても、学校を思い出してしまう。

「それではお待ちしています」と言う声が

学校の先生と重なる。

「誰も待っていない」ということを

痛感させられる、暖かく優しい声。

だけどみんな、普通に履歴書を書き

お待ちしています。に応えて

面接で、笑顔で話すことができる。

うらやましい。

泣き出したいくらい、うらやましい。

本当なら就活イベントで仲間を作るらしい。

本当なら解禁前から動き始めるらしい。

本当ならもう内定を取っているらしい。

苦しくて、苦しくて。

みんなと同じにできないことが

悔しくて、辛くて。

自信を自分でへし折りながら

焦ってもがいて午前四時。

お願いだ、好きにさせてくれ。

自由にさせてくれ。

ごめんなさい。

私はまた、普通に出来なくて

みんなができることなのに

よく分からない理由で

出来ないまま

今、ここで倒れている。


楽器が弾けたら

音楽に乗せて届けたい。メロディーも何も決まっていないけれど、思ってることをただただメモ帳にぶつけていた。今は(※くりかえし)と、入れる場所を探している。少しは歌詞っぽくなるのではないだろうか。

人に言えないほんのちょっとの苦しみや、ちょっと恥ずかしいことをエッセイにしようと決めていた。今回のこれは、ルール違反だ。なので、エッセイではなく、歌詞だと言い張りながら、文章としておいている。なにより、苦しみはほんのちょっとではないし、恥ずかしいというよりも誰かに聞いてほしくて叫びだしたくて仕方がない。

本当はこの話にも一段落がついて「昔こんなことがあってさ」と話す方が好きだし、そうしたかった。しかし、私はそううまくいかなかった。笑い話になるまで、話すことを我慢できなかった。

そういえば、最近周りに仲間がいない。同じ悩みを共有できる相手がいない。ああ、これは失敗だったなと、あくびをしながら思った。同じ課題を抱えている仲間を集めずに行動することがここまで危険とは知らなかった。かたや、就活というすべてが自分の責任として跳ね返ってくる個人プレイの世界でも、同じ事を問題意識として持っている仲間を近くに置けるかどうかは、すごく重要なことだったらしい。

エッセイには、こういうことは書きたくなかった。自分の中で片づけて、整理し終えて、ふー、と一息ついてから気の向くままに書きたいと常々思っている。エッセイの師匠と勝手に思っているのは、星野源さんだ。私のエッセイの70パーセントくらいは源さん(会ったこともないけれど下の名前で呼ぶ)のおかげで完成している。4冊のエッセイを買い、線を引いて、話の内容、話題の転換、何がどうおもしろいのかを書き出すという、本当に失礼な読み方をしているが、それによって文章のスタイルや、書き方、それから、エッセイに込める気持ちが形になった。

一番は、読んでいて楽しいことだ。「うわぁ、くだらねぇ」とか、そういうことを思ってもらうことだ。私のエッセイは待ち時間に、何となく読める文章であってほしい。詩や、歌と同じように、ちょっとした時間に触れられるものにしたい。

だからせめて、楽器が弾けたら、苦しみや叫びも少しは聞きやすい作品に仕上がると思う。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。 感想なども、お待ちしています。SNSでシェアしていただけると、大変嬉しいです。