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恋人と別れ話

恋人と6年も付き合っていると、別れ話が始まることもある。

だいたい切り出すのは私の方で、その時は大変真剣なのだが「相手に全くその気がなくても、別れ話をしたことがきっかけで別れることになっても致し方ないのでは」と思うことが多々ある。

先日、関西に引っ越すことが決まった。就職先が兵庫県で、大阪の近くなので神戸からはずいぶん離れているのだが、Iターンをすることになった。Iターンって全然ターンしていない気がするけれど、言葉の都合上東京から地方への引っ越しなのでIターンである。

さて、ここで、遠距離恋愛を続けるかどうかという問題が浮上する。場所が場所なので、年に数回しか戻ってこられないであろう。そもそも、戻ってくるかどうかも怪しいというところだ。

いろいろな人間関係に整理をつけなくてはいけない時期に来ているのかもしれない。

「というわけなので、一回別れませんか」

建設的な提案だ。大体、遠くへ引っ越したら自然消滅か、どっちかが浮気して破綻が関の山である。私は大変な浮気性なので、破綻の原因を作るとしたら間違いなく私の方だ。

恋人は布団からピョコッと頭だけ出してこちらを見た。

「なんで」

「正直、私、関西に行ったら、寂しくなってほぼ確実に浮気すると思う」

「あぁ、なんかそんなこと前も言ってたな」

と、言いながら恋人は顔まで布団をかぶってしまった。全然興味を持っていない。私は再び兵庫県に行くこと、仕事をすること、絶対遠距離とか無理。自信がない。という話をした。

「そういうわけなので、一回別れておきましょう」

「はいはい。浮気したら、兵庫で死ぬか、東京で死ぬかは選ばせてあげるから決めておいてね」

話が通じないやつだな。

「結婚するとか考えてるかもしれないけど、私はしないからね」

「前にも言ったけど、最悪ぶん殴ってても婚姻届けにハンコ押させるから覚悟しておいてね」

やっぱり全く話が通じないやつだな。

「絶対目移りする。私は遠くに離れてる人を長くずっと好きでいる自信がないの」

「うんうん、でも、今は私が好きでしょ?」

「……好きだよ」

「そうだね。もう答え出てるのになんでややこしくしようとするの」

ここまでポジティブじゃないと私と付き合えないのかな。どこから来るんだろうこの自信は。全く喧嘩にすらならない。ちゃんと覚悟を決めてきたのに、相手はあくびしながら布団にもぐっている。

「ほかの女の子のこと好きになるかもしれないじゃないですか! かわいいなぁとか、思うんですよ、私だって」

結局のところ、私は怖いのだ。6年付き合った恋人を、私はまだ本当の意味で信じていない。ずっとそこにいるとか、私を好きでいてくれるとはどうしても思えない。離れるのが寂しいとも思わない。苦しいとも思わない。ただ、離れている時間で、私はたくさんのことを忘れてしまう。

今までもそうだった。人との関わりは長くは続かなかった。少し時間を空けると、その人の名前も、話したことも、過ごしたことも、大切なことも、いつの間にか私の中から消えてしまう。

だから、恋人にも私を信じてほしくなかった。当たり前のように自分を好きでいると思うこと。隣にいると思うこと。今日という時間がずっと続くと思いこんで生活することが、いかに危険で、失望を生んで、苦しくて、悲しいか。私は知っている。

誰かにとっての当たり前が、私には全然うまくできない。遠く離れて過ごす私が、今日の私と同じでい続けることができるとは到底思えない。私は、たくさんのことを忘れて生きている。忘れてはいけないこと、覚えていて欲しいことも、全て忘れてしまう。

15年前。

「ずっと忘れないからね」

と、約束した。小学生だったころ、転校するという最後の日、クラスで友達に「さよなら」と言った後、私は確かにそういったのだ。大切なことほど、私の頭はしっかり覚えてくれなくて。何をずっと忘れないと言ったのか、私はもう覚えていない。

「久しぶり」

と再会した友達の名前を、私は覚えていなかった。私は走って逃げた。そこから逃げて、逃げて、もうその友達の名前を呼べる自信がない。新しい人間関係も「どうせ、私は忘れてしまう」と諦めた。もう一度「はじめまして」というのにずいぶんと長く時間がかかってしまった。でも、はじめましてと知り合った人と、もう一度再会した時に、その人のことを覚えている自信がどうしても、ない。その人の名前、過ごした時間、大切な約束。そのすべてが自分の中から零れ落ちてしまった恐怖は、簡単には消えてくれなかった。

だから、私は恋人に「約束する」と言えない。「遠くへ行っても、あなたのことを好きでいる。ずっと、好きでいるから」と約束できない。こんなに大切なことなのに、私は自分が、その約束を覚えていられると、これっぽっちも思えなかった。

「私は、君を好きなことも、忘れる。君が知らない女の子と寝ることもあるだろう。だからもうここで終わりにしたい」

言い終わると、恋人の潜る布団の足のあたりがモソモソ動いた。

「あぁ、わかったわかった。いいよ、あなたが何を思っても自由だし。他の女の子と寝たいと思っていようが私にはもうどうしようもないけども」

ガバッ、と布団が私にかぶさる。暗くて表情までは見えなかったけれど、恋人の顔は私の目の前にあった。

「今は、私だけ見てろ」

キスされた。すっごい深かった。2回、3回と続いて、最後は強く抱きしめられた。

あぁ、勝てないな。ダメだわ、たぶんもう私はこの人に一生勝てないわ。ごめん、かっこいいプロポーズも無理だと思う。この人は私が何かやらかしたら本当に兵庫県まで新幹線に乗って殴りに来るんだろうと思った。

「ほら、私にもキスしろ」

「はい」

もはや抵抗は無意味だった。

「わかった?」

「はい」

「浮気したら、兵庫で死ぬか、東京で死ぬかだからな。神奈川は私が住んでるからそこでは死なせないぞ」

「はい」

「じゃあ、いってらっしゃい」

以上が、クソ男オブザイヤー2017。ノミネート候補者、キッチンタイマーの別れ話の一部始終である。

布団にくるまりながら、天井を見た。

「ほんとまじめな話、自然消滅っていう線が一番濃厚だと思うんですよ」

私はまだしぶとく、食い下がった。正直もうほぼ勝率はゼロなので消化試合のようなものである。私は、自分が不安に思っていることを全部恋人に言った。

すると恋人は私を抱きしめた。

「知らないよ。消えないようにするんだよ」

「無理無理無理」

「うるさい」

頭突きされた。痛い。

それからお互いに「はー」とため息をついた。

実際、どうなるのかは本当にわからない。案外簡単に消滅してしまうのかもしれないし、思わぬところで亀裂が入るのかもしれない。来年か、再来年か、何がきっかけになるのかはわからないけれど、また、別れの危機は幾度となく来るだろう。

ただ少なくとも今日、私達はまだ恋人同士である。

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