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動かざれば、食わず。

ランニングをした。

家からショッピングモールまで、片道約一キロ往復二キロの道のりを歩いたり走ったりした。田んぼや公園を横目に、amazarashiを聞きながら走る。スマホも触らないし、出かけたからには帰らなくてはいけない。体力を使うが仕方ない。それに、走り終わった後に食べるラーメンがうまい。

私は基礎代謝が高いので、何もしていなくても1600キロカロリーが毎日体から飛んでいく。この代謝量もいつまで続くかわからないが、今のところは代謝が良い。なのでずっと痩せ型だ。

走って、ラーメンを食べて、寝る。これにて、運動と食事と睡眠というノルマは達成した。継続は力なりという言葉もあるが、本当にそうだと思う。これがどれくらい続くかは分からない。

ただ、この生活をしてわかったのは私は食事を「運動した後に死なないように食うもの」だと思っているようなのだ。ランニングをした後には、食わないとこのあとのバランスを崩すことが明確にわかる。だから食べる。

私にとって食事は、補うものだ。まずは運動ありき、その後にその運動で疲れた体を癒やすために飯を食う。飯と運動はセットである。だから、寝ていると一向にご飯を食べる気にならない。寝てるんだから良いじゃん、とさえ思う。

一方、妻は特に意味もなく飯を食べる。おやつとかいろんなものを食べる。私もおやつは食べるが、基本的に「あればあるだけ消費する」をモットーにしている。なので「無いのが一番」なのだが、妻はピィピィ文句を言う。おやつは置いてあるが、半分は私がもらう。もっと少ないこともある。

しかし妻は、リビングに置かれているお菓子は私と妻がそれぞれ食べているのだから実質カロリーが半分、というガバガバな計算を用いている。

そんなわけ無いだろ。同居人が居るからカロリー半分として、その上で二人分買ってきているではないか。その上で三分の二を妻が食べているのなら、少なくともカロリーハーフにはなっていない。ハーフではない。しかし、半分だと言うので半分なのだろう。妻の理屈は間違っているが、わざわざ声に出して否定するほどのものでもない。だが一応ここではちゃんと、否定しておく。違うよ。半分じゃないよ。

とにかく、私がご飯を食べるためには、先に運動をしなくてはいけない。運動するためのご飯ではなく、運動した自分が崩れないようにするためのご飯なのだ。

翌日。右膝が痛い。以前登山のときに痛めたのと同じ痛み方だ。放っておけば治るが、しばらく走るのは無理そうである。

昨日走ったからか気分が軽い。朝も早く起きた。にも関わらず、足が痛いので外出できない。ここのところ、常にどこか痛めている。心も痛めて、回復してきたと思ったら次は体だ。

散歩は気分が良くなるというので実際やってみた。運動後に食事を取らなくてはいけないように感じる点が健康に作用している。

ランニングは週末によくやっていた。往復四キロの道のりを走った。自転車の時もあった。地元の川沿いにサイクリングロードがあり、そこを走るのだ。何度も走ったので、今でも道のりと景色をセットで思い出せる。

走りながら音楽を聴く文化もまだなかった時代、ただただ走るのだ。何も面白いことはない。両親が走るのに付き合っていた。

走って、お風呂に入って、夜ご飯を食べた。

それが巡り巡って、走らなければ食べなくていいと思う人間に育つのだから子育てとは本当に難しいと思う。

「あんたぁー! 食べんだよぉ!」

妻が休みの日はこうして食べる機能の存在を思い出させてくれる。そうでない日については、走っていない場合は食べていない。外出と食事がセットになっているのだ。

まず、頑張ったなぁ、よしよし。と、思う自分がいてからの、ご飯なのである。

朝飯前という言葉があるが、飯の前になんかやる生活を続けていると、こういうことになる。朝ごはんは食べない。昼はみんなが昼ごはんを食べているから食べる。夜ご飯は動いたあとだからお風呂の後に食べる。このリズムに乗れなかったご飯は、私の口には運ばれない。

動くことが大事なのだ。動かざれば、食わず。先に食べても特に元気が出ないし、存在感がない。食べた感じがしない。朝ごはんの「食べることによって脳が活性化する」は多分嘘だ。走ったほうが絶対活き活きしている。

朝ごはんを食べて遅刻するか、走ってギリギリに着くかなら、走った方がいいと思う。

走って足を痛めるくらいなら、歩いた方がいい。歩いてまだなお痛いなら、少し寝ていた方がいい。体の痛みはこうして対処法が分かるのに、心の方は痛みが無いから分からない。あるいは、肝臓とかが傷んでるときはきっとこんな感じなんだろうなと思う。

今は右の下腹が痛い。特に理由は分からない。一日大人しくしていたのに、なぜ体が痛むのか。休みはやったのだから、働いてもらわねば困る。しかし、ストライキを起こされても困る。

関節は一度痛めると長い。ゆっくり回復させなくてはいけない。テーピングも必要だ。めんどくさい。そうして考え事をしている間にも、体はエネルギーを消費する。呼吸するたび、カロリーが飛んでいく。ランニングコスト、という言葉を思い出してちょっと上手いこと言ったふうに満足する。

しかし、とりあえず走ってみることすらできない。情けなくなったものである。

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