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整理するもの:思い出・心・部屋

また、noteのプロフィールを見ていた。

引き込まれたnoteは、プロフィールを見たくなってしまう。さっき目にした物語が、あまりにも素敵すぎたので「今度はどんな人だろう」と、ユーザーネームをタップした。藤井組さん。と言う方だ。

”漫画や歌、アニメ、特撮、TV番組を作る集団です。”

さらに並ぶ受賞歴。しかし、フォロワー数などが割に合わないくらい少ない。でも、ノートのおすすめに表示されているし、実際すごく素敵な文章だし。私が一番乗りってことはないだろうけれど、でも、とりあえずフォローしよう。

それから、藤井組さんの投稿されたnoteを順番に見る。

特に好きだったnoteは、一番はじめに見た「親になってください」という小説だった。このほかにも短い短編をいくつか掲載していて、私のエッセイよりも断然3分で読むにはぴったりだ。

藤井組さんの短くてきれいにまとまった小説は、読後感もすっきりしていて何でもないときにさらっと読んで「さて」とつぶやいてから後回しにしていた仕事に手を付けるのにぴったりだ。もしこれが本なら、パタンと本を閉じる音を合図に積みあがった食器の山とか、溜まったレシートとか、午前中に来たけどまだ返信していないメールに手を付けようという気分になるだろう。

本ではないけれど、手帳型のスマホケースをパタンと閉じる。某大型小説投稿サイトのことをふと思い出した。5年くらい前に、そこで小説を書いていた時期がある。スマホ依存症の私は、今閉じたばかりのスマホをまた開いて、最近はどこでも見かけるようになったそのサイトの名前を検索した。もう何年も使っていない久しぶりのログイン画面、メールアドレスと当時ほかのページでも使い回していたパスワードを入れてログインボタンを押した。ボタンの位置やデザインがすっかり変わってしまった自分のアカウントの管理ページに、ズラリと昔の私が書き連ねたデータが並んでいる。

懐かしい。あったあった。短編小説が好きで、4000文字くらいで完結させたものばかりだ。企画に参加したものもある。とっくに消えてしまったかと思ったけれど、投稿作品から下書き、メッセージまで全て残っていた。もらった覚えがかすかにあるものもあれば、全然身に覚えのないものもあった。送ったメッセージも同様で、日記を捨ててしまった私としては久しぶりに過去の自分の記録と触れる機会に恵まれた。

開くまでは昔の小説なんて目も当てられない黒歴史になるかと思ったけれど、そこまでの感情の動きはなかった。読んでいて、恥ずかしいというよりめちゃめちゃつまらない。でも、言いたいことはありそうなので「ちょっとお前、これ、書き直せよ」と5年越しくらいに思う。書きたいことはあるのに、力が追いついていない印象だ。

いくつかの投稿済みの作品と、その倍以上の未投稿作品を見た。昔考えていた粗雑な設定をありありと思い出せる。今からでも続きが書けるくらいだ。加筆しようかと思ったけれど、更新するということは、もしかしたら過去の作品も見られてしまうかもしれない。やっぱり、それは恥ずかしい。またしばらくしたら書き始めるかもしれないけれど、今はそっとしておこう。

自分のものではないようなマイページからログアウトして、再びnoteに戻ってくる。藤井組さんの小説をまた読み直した。

どうしても、さっき読んだ自分の小説と比べてしまう。全然違うわ。やっぱり、すごいな。

一編読んでから、パタンとスマホを閉じた。

「さて、と」

部屋でも片づけよう。

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