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今、あえて、クトゥルフを喚ぶのなら

捨てる神あれば拾う神あり。日本にはあらゆるものに神様が宿る。その量たるや膨大だった。ときにかつてキリスト教がやってきたときに、神の説明に大変手間取ったそうである。唯一神であるがゆえに「拾う方の神」なんて言おうものなら捨てる神が同時に現れてしまう。それはどちらかというとミカエルとルシフェルである。

その、捨てるとか拾うとか、そういう全てを統括する大いなる存在がいるんだよと伝えるのはとかく骨が折れることだろう。しかも、運の悪いことに仏教や神道が先に伝来していたため「あー、はいはい。仏さんか」などと言われては「いや、違くて」とやはり難しい。

ただそれでも、流石に人智を超えた存在はあった。例えばお天道様である。日本の国旗にも日の丸が描かれている。かつて、大日本帝国などと自身を表現していた極東の島国における唯一神に近い存在として「大日」と一旦訳されたようだが、残念ながら登る太陽は静かに星の元へ帰っていき月が夜を照らす。常に見守っていると言うよりはシフト制の神様なのであった。

そういった水準の民族に「神からの啓示を受けたマリア様から生まれたイエス・キリスト」というのは「大日(太陽)から啓示を受けた神の子の物語である」しかしそんなことを言い始めると日本人は「あー、あれか、スサノオだ」とか言い始めるので「違うんだよなぁ〜」と頭を抱えたことだろう。

しかし努力の甲斐あってか、なんとなくキリスト教の要素を取り入れた結婚式場が文化として取り込まれた。おそらく、根っからのキリスト教信者殿でなくても、結婚式といえば和風か洋風かという二択があり、洋風のほうは誓いを交わす。ただ、正直誰に誓っているのかは分かっていない。

人智を超えた何かがいる。それも複数いる。まさかキリスト教サイドも、神の布教がレッドオーシャンでありしかも対立というよりは「似たやつを知ってるぜ」と、フレンドリーに受け入れられて困惑していることだろう。カトリック、プロテスタント、そして少し横にモルモン教がいる。

私は神を信じるというより、起こった出来事に対して「妖怪のせい」とか「ラッキーだった」とか「日頃の行い」あるいは「徳を積んだおかげ」などと、再現性のない幸運な出来事を「なんかうまくいったわ。多分神様が見てくれてたんだ」と、全くありがたみを感じていないのである。神社の横に寺がある国において、街に教会があるのはあまり珍しくなくなった。

そもそもなのだが、神社、仏教、キリスト教は全く考え方が違う。しかし、神社と寺がある以上、そこに教会があったとて、少なくとも抵抗はない。なんなら、神社は巫女さんがいて、仏教の寺はお坊さんがいて、キリスト教の教会は神父さん、あるいは牧師さんがいる。

ゲームから得た情報としては、神社には動物の姿をした神様が鳥居に鎮座してアドバイスをくれる。寺はだいたい寂れているか焼かれておりクエストが発生する。教会はパーティーが全滅したあと復活させてくれる。

信者の皆様には大変申し訳ないが、どのエリアもイベントスポットだと思っている節があることは否めない。なにより、神様が一人だけだと確信するには、私はあまりにもたくさんの神様に触れてきた。それこそ、お天道様も含めてである。

さて、人智を超えた存在はあるものの、それでもなんとなく、どうか神様仏様、と全く宗派の違う上位概念に祈る民族が私である。

ここに一つ新たな。しかし、架空の神話の話をさせていただきたい。それがクトゥルフ神話である。ここに登場するのは神ではなく「人間より上位の存在」だ。どのように上位かといえば、催眠術は使ってくるわ人間をゾンビにするわ、力が強くて軽くビンタらされたら死ぬ。

生態系の上位、としての上位存在である。出会ったらほぼ死ぬ。つまり、良い神様、悪い神様というよりはヒグマとかそういう存在なのである。そしてその中で、メインを飾る神様がクトゥルフなのである。見たら死ぬタコである。

少し話はそれるが、ダイオウイカはご存知だろうか。デカいイカである。あいつが、水とか関係なく浮遊していて、こちらを虫かなんかだと思っている。その上で、リアルファイトして勝てるか。いや、勝てない。そういった存在である。

この神様はラヴクラフトさんという方が、1920年代に生み出した神様である。そして、ラヴクラフトさんの仲間たち、今で言うサークル仲間がいろいろな神話生物を作り上げては逆輸入していき、ワイワイ楽しんでいた。それから、百年が経過した。多種多様な邪神、あるいは上位存在が生み出されそれを元にしてTRPGというゲームも生まれた。

邪神の呼び方、儀式、あるいはクトゥルフではない別の神様を呼び出そうとする架空のカルト教団を登場させながら物語を進めるゲームだ。

しかし今回紹介したいのは、ゲームではない。本だ。

クトゥルーを喚ぶ声、という本で2014年に日本で発売された。クトゥルーとクトゥルフは同じものを指している。この神は「人間には発語できない、うめき声のような呼び名」とされており、私はどちらで表記するかは好みの問題だと思っている。

さて、この物語の筋書きとしては、クトゥルフ神話という遊びの定着した世界では、クトゥルフは架空の存在であることが常識となっていた。そんな中、二つの事件が起きる。一つは、厳重に保管されていた神話生物が盗み出される。これがまた厄介で、この神話生物はウイルスのような効果を持っている。具体的には、そのウイルスは飛沫、接触、空気、とあらゆる毛色で感染する。そして感染者は20✕✕年のある日、いわゆるXデーに確実に死亡する。何年前に感染していても、前日でも変わらない。

そしてもう一つの事件は、そうした神話生物のヒントを探すためラヴクラフトの墓を掘り返すと、なんとクトゥルフについて刻銘に記された書物が見つかる。クトゥルフ神話は数多の作品が生み出されたが、よりにもよって「見ただけで気が狂い、触られると死ぬ邪神」だけは本当に存在しておりあとの作品は全てその存在をカモフラージュするために生み出されたというのだ。

様々な研究を重ね、Xデーの情報を集めた結果神話生物に対抗するには神話生物に縋るしかないと分かった。しかも、そのすがり方は百人単位の生贄を必要とする。

ここからが、私のイチオシポイントなのだがこの物語の最も核となるのは舞台が現代、もしくは少し先の未来であるということだ。1920年代には百人単位の生贄を用意するのは、ほぼ不可能だったかもしれない。

しかし、この物語においては現代の技術を用いて生贄を回収していく。例えば、全世界の個人情報、日本で言えば住民票のようなデータだ。そこから、失業者を割り出し「報酬を支払うから、着いてきてくれないか」という手法で数百人の生贄を確保する。

私の読んできたの物語においてはあまりにも手間がかかるためにカルト集団が神の啓示を受けて魔術を習得し、催眠によって生贄をあつめた。ということにするシナリオが多かった。

しかし、現代の科学、組織、あるいは得られる情報を組み合わせることによって、儀式そのものを行うことはできる。

これが、私にとっては革新的だった。一旦、神話生物の存在や、そうした人智を超えた何かから力を得て儀式を行うのがポピュラーであった。それは魔術的な要素で、不可能を可能にする仕掛けでもあった。

しかし、シナリオの時代を現代に移すと、百年かけて進歩した科学技術はそうした魔術にかなり近くなった。具体的には、神の力を借りずとも、儀式そのものを行うハードルがガクンと下がっているのである。

クトゥルフ、という代表的なパッケージ神話生物を人間の力だけで呼び出すことを試みられるまで科学の発展した現代。懸念事項はもはや、クトゥルフが存在するのかの根拠だが、きちんとクトゥルフの住処、ルルイエも発見される。

そして邪神はそこで眠っている。主人公たちのいる世界はクトゥルフが眠っている間に見る夢だ。しかし、それでもクトゥルフに縋らなければウイルスによって人類は滅びる。

ウイルスによって死ぬ、確定した未来を選ぶか。多大な犠牲を払って自分を虫けらと思っている邪神に縋るか。その葛藤と、なによりもはやクトゥルフ復活プロジェクトは止められない域に来ている。

この世界が迎える結末とは何か。そこがまた、見どころである。

しかしやはりクトゥルフ神話が生まれてから百年経つ。かつて魔術と呼ばれていたものは、科学技術や国家プロジェクトとして動かすことができれば不可能ではなくなった。その時間の流れ、そして、クトゥルフ神話が広がっていったことを加味して組まれるシナリオ。本文中には作者、ラヴクラフト氏のインタビューや資料が引用される。

なので、この世界は限りなく私の世界に近いのだ。クトゥルフ神話が娯楽になった世界。墓穴まで隠し通したラヴクラフトの本、クトゥルフにまつわる逸話。事実と空想が良い塩梅に差し込まれている。

小説は虚構である。しかし、虚構にのめり込むとき、そこには裏打ちされた事実がある。調べてみると実際に出てきたりするし、全くのデタラメだったりする。その境目が全くわからないからこそ、この物語に没入する。

それは、もしかしたら本当かもしれない、というのとは少し違う。

現代でクトゥルフ神話を『マジな話』として全力で取り組むとどこまでいけるのか。そんな挑戦だ。事実と虚構を織り交ぜて編み込み、一つの物語を作り出す。そして私はその物語に魅了され、クトゥルフ神話についてよりいっそう調べるようになった。

クトゥルフ神話の神は、生態系の上位存在でありあらゆる能力が人間よりも高い。捨てる神とか、拾う神とかではなく「クソデカい生き物で、捨てるとか拾うとかそういうのはない」というものだ。怪奇現象の謎を追っていたら、神話生物が絡んでいたりする。

しかし、それは地震が起きたらナマズが地下にいるとか、森で足を斬る鎌鼬とか、そういう存在に近く感じるのだ。得体の知れない何かは昔から日本にもいた。神様、といえばある意味神様なのだろう。どちらかと言うと、妖怪にも思えてくる。あるいは、ギリシャ神話に出てくるような、人間臭さがありつつも真意の読めない上位的な存在。もしくは、北欧神話に出てくる神々。そんななかで、人間からアプローチできるのが邪神であるというのが、クトゥルフ神話とそこに出てくる愉快な仲間たちなのである。

言い添えておきたいのは、この物語はフィクションである。なにより、信仰するにはあまりにも危険すぎる。

しかし、興味があれば一度奇妙なホラー小説としてクトゥルフ神話に触れてみてほしい。そして、いかに彼らが気まぐれで得体が知れず、何かの拍子にとんでもない厄災を振りまいてくる。そしてそれに翻弄される人間たち。

上位的な存在は、必ずしも認知できるとは限らない。目視できるとも、声が聞こえるともわからない。しかし、出くわしてしまったら、そのときは逃げることさえ困難であると覚悟すべきだ。

そんな世界観のゲームで遊んでいる。奇妙な世界、邪神の夢、あるいは戯れの中で非現実的な時間を体感したくなったときは、是非一度遊んでみてほしい。特にリア友の諸君。興味があれば、私を誘ってくれたまえ。君たちはもしかしたら、この夢とも現実ともつかない世界を気に入ってくれるかも知れない。

【参考資料】
カバー写真
七三ゆきのアトリエ様

クトゥルーを喚ぶ声 (The Cthulhu Mythos Files)


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