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期待に応えるということは、その人の枠組みに収まるということ

僕は人に期待されるのが嫌いだ。ということに最近気がついた。

周りから「期待しているよ」と言われるが嬉しかった頃もあったが、最近はなんだか違和感の方が強くなり、最終的には「嫌い」と自分の中では結論づけた。

期待に応えられるのが嬉しかった

これまでは「周りの期待に応えたい」とか「その期待を超えたい」と思いながら頑張ってきた。その人が求めていることに応えられる自分に存在価値があると思っていたし、それが自分の求めている幸せのようにも思えた。

少年野球でキャプテンをしていた時に、「卒業後にどこで野球をやるのか?」を周りから聞かれた。
自分としては、イヤイヤ野球を続けてきたこともあって、もう野球はやりたくないと思っていたが、
周りからの期待を裏切ることはしたくないと思い、結局卒業後も野球を続けることになった。

実際、野球を続けたことによる経験はあって良かったかなとは思っているが、あの時、自分のやりたい道に進んでいたらどうなっていたか、たまに考えてしまう。

期待を自分の指標としていた

子供の頃や社会人になりたての頃は、自分がどういう道に進めばいいか、わかっていなかったということもあり、大人の意見に従うしかなかった。
知らないことも多かったし、それを調べる能力もなかったので、それが一番楽な選択の方法だった。

「そう期待してくれているんだったら、その通りにした方がいいんだろうな」と、ぼんやりとそれを自分の行動の指標としていて、
自分の嫌なことでも我慢して続けていれば、能力が上がると思っていたし、それができることが、すごいこと、えらいことと思って、なるべくそうできるように頑張ってきた。

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