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存在の影響とドッペルゲンガー

 彼の名前はコナリーという。猟犬という意味なのだが逃げ足が速いのが取り柄だそうだ。それもそのはず。彼の職業は産業スパイだ。

 その決して油断できないはずのスパイが、なぜアリスのバーでのんびりウィスキーを飲んでいるのかといえば、その理由はアリスがアンドロイドだからだそうだ。彼の論理に従えば、アンドロイドは彼のような人間と違い、噓をつかないし約束は必ず守る。

 確かにアンドロイドにしてみれば、嘘も約束を破ることも全く意味のない無駄な行為でしかない。

 そしてなによりアリスのバーには人がいない。

 ここは政府管理外地区にある無人島。アンドロイドのアリスが営む小さなビーチバーだ。政府管理外地区にあるせいで客はあまりこない。たまにやって来る客はなるべく政府とは関わり合いたくない連中だ。概してそういう客は厄介事を引き連れてくる。

「だから俺はこの店が好きなんだよ」

 コナリーはジェムソン・ゴールド・リザーブの水割りグラスを掲げた。グラスを持つ手の指では、信用を得るためだけに入れたプレミアのガバメント・タトゥーがギラギラ輝く。頭髪もクジャクの羽模様だ。身体は大きく格闘家のようである。職業柄目立ってはいけないように思えるが、レイヤーで活動する時の見た目はバイオチップのPC(パーソナル・コンシェルジュ)が、相手にどう見せるか全て調整してくれるのでどうでもいいのだそうだ。そんな派手ななりだが、顔だけは定規で測ったように整っており特徴的とはいい難い。それが逆にその他の特徴を際立たせていた。

「もう少し頻繁に通ってもらえるとこちらもありがたいわ」

「俺はいつだって忙しいんだよ。なにしろ人々を救わないといけないからな」

「ドラマのやりすぎじゃないの」

 コナリーはスパイだと言っているが、アリスは彼が体験型ドラマを見すぎているのではないかと疑っていた。体験型ドラマは脳内再生されるので、主人公になりきれるが、現実と区別がつかなくなりやすい。PCが制御してくれないと間違いなく混乱してしまう人が出てくるはずだ。

「それが、最近ドラマはやっていないんだ。そんな余裕がなくて」

 どちらかといえば強気の発言ばかりするコナリーだが、今日は珍しく元気がない。どうしたのか尋ねるとコナリーは何者かに付け回されていると言った。それもスパイ行為をしている時に限ってその者を見かけるため、当然警察に相談する訳にもいかない。

「この間、最近人気が上がってきたシップマンレイヤーの構造物表示データパターンを調べている時のことだ。そいつは構造物の影からじっと俺を見ていやがったんだ」

「もしかして、あなたがスパイ行為をしているのが見つかったんじゃないの? それでレイヤークリエイターが調査人を送り込んできたとか」

「まだ核心部分の調査には入っていない。俺が何かを嗅ぎ回っていることがわかるはずがない。それに…」

 コナリーは言葉を切ってジェムソンを口に含んだ。なめらかで香ばしい樽香と口当たりのよいフレーバーが広がり、すっと抵抗なく流れて自分という存在に染み渡っていく。わずかに口内に残るオイリーでスパイシーな後味がジェムソンの存在を深く胸に刻む。これこそ自分ためにあるウィスキーだと感じた。

「実はそいつが誰だか知っている」

 その目に決意の光が灯った。

 彼はジェムソン・ゴールド・リザーブが大のお気に入りだった。ボトルラベルはジェムソンの紋章だが、その上部に帆船が描かれている。それはジェムソン家の祖先が海賊と戦い勝利したことを示していた。そして紋章の下には「我に恐れるものなし」の文字。正に戦う者のためのウィスキーである。コナリーの仕事は常に戦いの連続だ。その戦いに勝利した後に飲むジェムソンは格別の味がした。

 もし、このウィスキーを飲み続けたいのであれば、奴とのこともケリをつけなければならない。

「相手は誰なの?」

「俺のドッペルゲンガーさ」

 覗き込んだ彼の顔にいつもの冗談の色はない。

「ドッペルゲンガーってもう一人の自分で、会うとどちらかが死んでしまうという噂がある都市伝説でしょう」

「都市伝説なんかじゃないさ。実際にいる。面と向かって会ったわけじゃないが、奴は間違いなく俺のドッペルゲンガーだ。分かるんだ。そう感じるんだよ、ここで」

 彼は胸を拳でどんと叩いた。

 コナリーの話では、そのドッペルゲンガーは彼と違っていつでも真っ黒なコートを羽織り暗い雰囲気をまとっている。彼が仕事をしていると遠くでこちらを見つめていたり、通りの反対側を歩いていたりする。そして、そういった時には必ず胸の奥が燃えるような感じがするのだそうだ。

「今夜重要な仕事がある。きっと奴はやってくるに違いない。だから今夜、俺は奴と会って話をする」

「気を付けて。いくらなんでも会っただけで死んだりはしないと思うけど」

「なに、もし死ぬとすれば奴の方だ。俺じゃない。なにしろ俺は人々を救わないといけないからな」

 コナリーはそう言って笑った。

 それから一月以上経つがコナリーが再びやって来ることはなかった。突然やって来なくなる客はいくらでもいる。それぞれ事情っていうものがあるだろうし、仕方のないことだ。もしかしたら仕事でヘマをしたのかもしれないがアリスにはどうすることもできない。

 だからその日一人の男がバーを訪れたことにアリスは驚いた。

「こんにちは。ここは景色が素晴らしいですね」

「360度見渡す限り海しかないのを景色がいいというなら、ここに勝るバーはないわね」

 男はカウンター席に着いて『バランタイン17年』電子版をロックで注文した。

 男の名はジャックといい、全体的に暗い雰囲気をまといどことなく影のある表情をしていた。あまり人と目を合わせようとしないのは、PCで対応するのではなく本人がそのまま表に出ているせいだろう。髪も珍しく単色の黒で背が高く細身なせいで黒いコートがよく似合っていた。そして定規で測ったような整った顔こそ、この男がコナリーの言うドッペルゲンガーであることを物語っていた。

「あなた、コナリーという人を知っている?」

 ジャックは暗く影のある表情でわずかに口角を持ち上げた。

「彼は僕のドッペルゲンガーですよ」

 ジャックがコナリーのドッペルゲンガーであるなら、その逆もまた然りというわけだ。

「彼とは会ったの?」

「会いませんよ。死ぬのはごめんですから」

「そんなこと本当にあると思うの?」

「僕は物理学を研究しています。だからあなたのその右目が重力場の違いで、物質が持つエネルギー場を見ることができることも知っています。その右目で僕を見てもらえませんか。そうすれば僕と彼の関係が分かるでしょう」

 アリスは言われた通りに右目でジャックのエネルギー場を計測した。人には指紋と同じように、それぞれの個体を示すエネルギー場の形がある。人のエネルギー場は必ず誰かと繋がっていて、知り合いであるかどうかに関わらずお互いに影響しあっている。大きな影響力を持つ人のエネルギー場は多くの人につながり影響を与える。だが、ジャックのそれはコナリーと密接につながり合い、それぞれの個性に対して正反対の影響を与えあっていた。

 コナリーが攻撃的ならばジャックは保守的。

 コナリーが積極的ならばジャックは消極的というように。

 だが、驚くのはその数値が完全な逆数になっているということだ。つまり二人のエネルギー場をかけ合わせると1になる。それは完全意識と同じで悟りを開いた者の意識状態と同じである。ネット上で多くの人が意識融合して作り出す完全意識ですら、実際は限りなく1に近いというだけで完全ではない。

 ウィスキーの好みですら正反対というのは正直に驚きでしかない。

 コナリーの好みであるジェムソンは3種の樽からのブレンドで樽の香が強く、ライトボディのアイリッシュ・ウィスキーだ。

 ジャックの好みであるバランタインは樽よりもフルーティーな香が強く、リッチなボディのスコッチ・ウィスキーだ。

 そしてアイリッシュ・ウィスキーとスコッチ・ウィスキーはお互いにラバル視し合う間柄だ。それが証拠にアイリッシュは「Whiskey」と書きスコッチは「Whisky」と書くくらいお互いを区別している。

 だからこそ二人が出会うとお互いのエネルギー場が影響し相殺しあって、人としての個性が消え去った状態になってしまう。死ぬことはないが個性はなくなる。やはり二人は会うべきではない。

「人というのはその存在だけで影響し合う。僕の意識や行動が綱引きのように彼の意識や行動に影響を及ぼし、彼の意識や行動が僕に影響する。おそらく同じ一つのエネルギー場を二つに分けたのが僕らで、僕たちはお互いに切っても切れない引き合う存在なんです。だからどうしても動線が近づいてしまう。でも近づきすぎてはいけない存在なんですよ」

「私の右目のことを知っているのなら、もう一つの仕事のことも知っているんでしょう? まさか、お互いエネルギー場が引き合う関係を断ち切って欲しいとでもいうつもりかしら」

 ジャックは少しの間思案した。それもひとつの選択ではある。もし引き合う関係を断ち切れれば個性が消える心配はなくなる。だがそのためには今持っている個性のうち何かを切り捨ててその形を変える必要があるということだ。それがどれほど些細なものであったとしても、自分から何かが消えてなくなるのは嫌だった。

「止めましょう。僕は僕のままでいたい。お互いに近づきすぎないよう努力すればいいことです。それに」

 ジャックは飲み終えたグラスを前に差し出すと帰り支度を初めた。

「当分彼に会うこともないでしょう。彼はいまプリズンにいますから」

 アリスはネットニュースを検索してみた。なるほどスパイ行為発覚でコナリーは逮捕されていた。

「これってまさかあなたの仕業?」

 見かけによらず手酷い仕打ちである。

「僕らは思わず近づきすぎてしまうんです。彼が調べていたシップマンレイヤーの構造体設計に僕も関係しているので、彼が何をしているのかすぐに分かりました。彼がやって来ると、ここが」

 ジャックは胸を手で押さえた。

「熱くなるのですぐわかるんですよ」

 そう言って笑った時の顔はコナリーと全く同じだった。

          終



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