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風変わりな殺し屋

 老婆はショットグラスのウィスキーをちびりちびりと舐めながら満足気に頷いた。

「こんな辺鄙なところで本物をいただけるとはね。長生きはするもんだよ」

 老婆はたった一杯のショットウィスキーを、こうして一時間以上もかけて飲んでいた。本物が手に入りにくい世の中だ。バーテンのアリスとしてもじっくり味わってもらいたいと思う。窓の外ではバラクーダの群れが通り過ぎるのが見えた。

 ここは政府の目が届かない深海のカプセルバー。アリスは訳あってこんな場所でひっそりと店を開いているが、時々こうして客がやって来る。みんなそれぞれ理由があってこんな店にやって来るのだろうが、たまに厄介事を一緒に持ち込む客がいるのが悩みの種だ。

 満足げな笑みを見せていた老婆は、ふと、アリスを真顔で見上げた。

「あんた、狙われてるね」

「私が狙われている?」

 狙われる理由は、ある。

「誰にですか」

「さあ。そういう噂を耳にしただけさ。えらく腕利きだって話だけど、詳しいことは知らない。」

 老婆は肩をすくめた。

「大丈夫です。私は強いですから」

 アリスは胸をどんとたたいた。元軍用の戦闘アンドロイドで退役後は地下バトルロイヤルの最強戦士。今はしがないバーテンダーだがアリスの言葉に嘘はない。

「あんたの強さは拳の硬さと要領の良さだろ。そういうのとは違うやり方もあるもんさ」

「違うやり方ですか」

 アリスが奥に行こうと動いたところを老婆が鋭い声で呼び止めた。その瞬間に緩んでいたカウンター内側のナイフケースが外れ、挿さっていた包丁がばらばらと床に落ちた。アリスの能力なら全て避けることも可能ではあるが、それを事前に察知することなどできない。アリスは老婆を見た。

「世の中ってのは流れで出来ている。それを変えることは出来ないが、上手いこと利用するやつはいるもんだよ。まあ、気をつけな」

 老婆は代金を払うとそれだけ伝えて帰っていった。

 それから何日かが過ぎたある晩、店に客は誰もおらず、アリスは灯りを落としてスリープモードに入っていた。転送エレベーターが到着したら起動するようにしてあった。だから音もなく店の隅の天井に黒い穴がぽっかり開いたことに気づかなかった。その穴はテーブル席の上に開き、いったいどこにつながっているのか、覗き込んでも真っ暗な闇が続くばかりだった。

 しばらくすると穴から何かが落ちてきて、テーブルにぶつかるとはねて床に落ちた。

 その音を聞きつけて、いつの間にか店に居着いてしまったグレートデーンが首をもたげたが、床に転がった何かが動く気配はまったくなかった。やがて犬は興味を失い再びごろりと横になって眠ってしまった。天井の穴はいつの間にか消えていた。

 どれくらいの時間が過ぎたのか、転送エレベーターが到着する音がして一人の男性客が入ってきた。身なりはこざっぱりとした紳士であるが、その顔には疲労が蓄積しているのが見て取れた。

「いらっしゃい」

「ウィスキーを。強いやつを下さい」

「本物? それとも電子でいいかしら」

 男性はしばらく逡巡していたが、ひとつため息をつくと電子ウィスキーを注文した。そして横を向いた拍子に床に落ちている物を見つけた。拾い上げてみるとそれはクマのぬいぐるみだった。

「落ちていました」

「誰かの忘れ物かしら。それにしてもこんなかわいい物を持ってくるようなお客さんは心当たりがないけど」

 アリスは落とし主が来た時に気がつくようぬいぐるみをカウンターの縁に座る格好で置いた。寝そべっていたグレートデーンがそのぬいぐるみを見て短く唸った。

 男性は電子ウィスキーをすすりながら身の上話を始めた。人工知能の勧めに従って起業をした。事業はすぐに軌道に乗り順風満帆のようにみえた。人工知能にウィルスが取り付くまでは。それからというもの、人工知能の判断は全て裏目に出た。そして男性には莫大な借金が残された。今では人工知能の判断は全て曖昧であり、何も信用できない。どうすれば事態を打開できるのか見当もつかない。

「私はどうすればいいのでしょうか」

 男性が大きなため息をついた。

「まずは自分の頭で考えるこっちゃ」

「誰?」

 男性とアリスはあたりを見回した。店には他に誰もいない。そしてグレートデーンは喋らない。

「こっちや。わいや、わい」

 声の先にはクマのぬいぐるみがあった。

「そうや。わい。クマちゃんやがな」

 クマちゃんはもそもそと動き出すと、カウンターの上を歩き男性の前までやってきた。まじまじと男性の顔を覗き込み、次に背広の内側に手を伸ばすと、勝手に葉巻を取り出して火を点けた。そして煙を男性の顔に吹きかけた。

「こんなもん吸うとる余裕があるなら、まずは返済せんといかんのやないか?」

「え、ええ。まあ、そうですね。でも…」

「でも、なんや。見た目よりも中身を判断せんかい。わいがおかしなこと言うとるか?」

「いえ。すごくまっとうだと思います」

「せやろ。だったらわいが誰かなんか気にせず、言うこと聞いたらええのや」

 それから小一時間、男性はクマちゃんと打開策を話し合った。そして腹落ちする答えを見つけて帰っていった。最後まで戸惑いの表情は消えなかった。

「ねえ、あなた誰なの?」

「わいか? わいは自分の友達や」

「友達ねえ」

 アリスは重力場センサーを組み込んである右目でクマちゃんを見た。生き物には、このクマちゃんが生き物だとして、全て独特のエネルギー場がある。そのエネルギー場を重力場センサーで読み取ることで、どのような生物かをある程度分類できた。だが、このクマちゃんのエネルギー場は動物とも機械とも一致しない。見たことがないパターンを有していた。赤外線、音波反響、どのセンサーからの応答も紛れもないクマのぬいぐるみと告げている。目だって黒いボタンでしかない。そのクマのぬいぐるみが喋って動く。もちろん、物にエネルギー場が宿ることもある。だがそういった物は決して人生相談などしない。

「まあ、硬いこと言わんといてや。わいは友達や。損はさせん。あ、それと、その酒瓶の並びは変えたほうがええな。店が繁盛する」

 その言葉は嘘ではなかった。クマちゃんは以来店にやってくる客の相談によく乗った。たいていの客はクマちゃんの助言を素直に受け取り満足して帰っていった。やがてクマちゃんの助言はうわさになり、助言を目当てにやって来る客が現れ始めた。

「どうや。わいがおると店が繁盛するやろ。まねき猫ならぬまねきクマや」

「否定はできないわね」

 クマちゃんはガサツな笑い声を上げると、磨き込まれたスキットルからお気に入りのワイルド・ターキーをひと口飲んだ。

 転送エレベーターの到着音が来客を知らせた。

「千客万来や」

 カウンターの縁に腰掛けていたクマちゃんは、スキットルを置いて大義そうに立ち上がり、大きな音でおならをした。

 その客が入ってきた時、アリスはまた厄介事が舞い込んできたと悟った。その男は明らかにハイになっていた。乱闘でもしてきたのか、帽子を目深に被っているが、耳の後ろあたりに血がこびりついているのが見えた。

「いらっしゃい。注文よりも先に怪我の手当をした方が良さそうね」

「いや、大丈夫だ。今はとてもいい気分さ。ここに来られてな」

 男は耳障りな声で笑った。

 アリスの警戒レベルがぐんと上がった。

「ご注文は何かしら」

「注文か。それよりここに幸運を招くクマがいるってうわさをを聞いてな。そいつにあやかりてえ」

「別にわいは幸運をもたらす訳やない。あんさんが自分の頭で物事を考えられるように助言しとるだけや。なんでもかんでも他人の言うこと聞いとるからツキに見放されるんや」

 男が目を見開いた。

「本当にクマのぬいぐるみが喋ってやがる。おまえまさか機械じゃないんだろうな」

 そう言って男はクマちゃんの腹を触り、中に綿しかないと知ると嬉しそうな顔をした。

「機械ってなんや。それに大事なことはわいが何者かいうことやない」

 男の目が光った。

「そうだな。大事なのは俺に大金が転がり込むってことだ」

 男は懐からレーザー銃を取り出してクマちゃんに向けた。

「動くな。黙って俺の言う通りにしろ。さもないと黒焦げにしてやるぜ」

 アリスは男の動きを観察した。アリスのスピードならば男を取り押さえるのに一秒もかからない。だが、男はハイになっている。判断を謝れば構わず引き金を引いてしまうかもしれない。

「わいはあんさんの言う通りにするつもりなんてないで。わいにはでかい夢があんのや」

 男の顔がみるみる紅潮していった。まずい兆候だ。一気に取り押さえるしかない。アリスがとびかかろうと身構えたところで、男がレーザー銃を撃った。レーザーはクマちゃんを掠め、後ろに置いてあったスキレットを撃ち抜いた。

 だが、ここで予想外のことが起きた。

 磨き抜かれていたスキットルがレーザーの一部を乱反射した。四散したレーザー光が男の頬を撃ち抜いた。男は悲鳴を上げ穴の開いた頬を抑えながら店を飛び出していった。

「だから言うたやろ。他人の言うことばかり聞いとるとツキに見放されるて」

 アリスは呆然とした。見ると左胸に小さな穴が開いていた。乱反射したレーザーの一部はアリスの胸も撃ち抜いていた。

「悪いことしたな。わいが、スキットルなんか置かなければこんなことにならんかったのに」

 クマちゃんが両手を広げて悲しみを示した。偶然の流れ弾による事故。だが偶然にしては出来すぎていた。アリスは老婆の言葉を思い出した。世の中は流れでできていて、その流れをうまく利用するやつがいる。クマちゃんの表情は変わらない。悲しんでいるのかほくそ笑んでいるのか読み取ることはできない。

「わいはあんさんのこと忘れんで」

 クマちゃんは涙の出ていない目頭を抑えた。

「ええ、そうね。いつまでも覚えていて頂戴」

「たとえあんさんが死んでも、共に過ごしたこの日々は大切な思い出や」

「大丈夫。私は死なないから」

 一向に崩れ落ちないアリスに、クマちゃんの動きが止まった。何が起きているのか戸惑っているようだ。

「死なないて、なんでや」

「あなた、私が何者か知らないでやって来たの? あなた、殺し屋でしょう」

 クマちゃんは口をぱくぱくと動かした。事情が飲み込めず声にならないようだ。

「死なないやつなんておらん。どんなやつだって心の臓打たれれば死ぬはずや」

 ふと、ボタンの目が見開かれたように感じた。

「アンドロイモとかいうんはそういうことか。からくりで動く言うとったが、殺せいうから生きとるもんかと思っとった。しもた。わいの誤算や」

 転送エレベーターでさえ時々時代を超えて世界をつないでしまう。もしかしたらクマちゃんはアンドロイドが存在しない時代からやって来た殺し屋なのかもしれない。しかし、どれだけ腕利きの殺し屋でも無生物を殺すことはできない。それは壊れるだけだ。クマちゃんはがっくりと項垂れた。

「わいはヘマ打った。煮るなり焼くなり好きにせえ」

「そうね。煮ても焼いても食べられそうにないし、交換部品代を出してもらわないといけないから、しばらくそこでまねきクマでもしてもらうおかしら」

「わいに生き恥さらせいうんか」

「辛いでしょ」

 アリスはいたずらっぽく笑った。

 クマちゃんはカウンターから勝手に手を伸ばしてワイルド・ターキーの瓶を取った。それをグラスに注ぐと一気に飲み干した。

「悪くない選択やが、そうもいかん」

「なぜ?」

「そういう決まりやからや。千年かけてここまでこぎつけたのに、また一からやり直しや」

 転送エレベーターが来客を告げた。いつ開いたのか、扉の前に黒い帽子とコートの人物が立っていた。その人物は顔が陰になって見えなかった。その人物は全ての陰をまとっているのか、コートを開くとその内側は更に濃い陰で、どこにも救いのない暗闇だった。

 クマちゃんは両手を上げた。

「ほな、行くわ。店繁盛するとええな」

 クマちゃんは上に伸びるように引っ張られたかと思うと、入り口に立つ人物の黒いコートの暗闇へとするする吸い込まれてしまった。

「邪魔をした」

 黒い帽子とコートの人物は前を閉じ、ざらつくような声を残して去っていった。

 アリスは残されたスキットルを拾い上げた。中心に穴が空いていた。それを酒棚の端にそっと置いた。クマちゃんが千年かけて描いた大きな夢とは一体何だったのだろうか。自分にも千年後を夢見ることができればいいのにと思った。

          終

 

 



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