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『大阪洗濯機の謎』前篇

あらすじ
深夜大阪市内のマンションにて、女好きと評判の会社社長が、頭を鈍器のような物で殴られ死んでいるのが発見された。見つけた人の証言によると、発見の際現場にあった洗濯機が突如ひとりでに動き出したという。幽霊の仕業か、それとも犯人が仕組んだ罠か——。被疑者は別居中だった美人妻に、不倫相手のモデル他——。刑事としてはじめての事件担当に緊張する大山は、係長、主任、おっちょこちょいな同期とともに、事件の謎を解き、犯人を逮捕する事ができるのか——? くすっと笑える本格推理小説——の、つもりです。




 とあるマンションの一室——、その薄暗い一隅にて、その人物は、額に汗を滲ませ、込み上げてくる衝動を抑えるのに全力を尽くしていたが、それはもはや限界に達していた。
 だめだ。もうこれ以上は我慢出来ない。こうなったらやるしかない——。とかか。
 そう心に決めると、その人物は、すっと左手を伸ばし、金属製のそれをぐっと握りしめた。

 ピーポーピーポーピーポー
 ポーピーポーピーポーピーポーピー


   *


 深夜一時過ぎ、自分が運転する覆面パトカーは、通報のあった大阪市某区の事件現場に到着した。
「ここか現場は——、」と言って車窓越しにマンションを見上げているのは、新人指導のため、今回一緒に組んでいただく事になった中川係長だ。
 既にかなりの刑事課員が臨場しているらしく、数台停まっている警察車両はサイレンの音は消しているが、賑やかにパトランプを回転させており、何事かと立ち止まって見てる通行人が十数人は居た。
 初動捜査のため現場に駆けつけ、人の出入りの監視と住人の対する事情説明に当たっている地域課の警察官だろう、こちらに背中向け、住民と思われる中年女性と何やら話し込んでる横を、コンビニの袋を持った男性を背後に従え、通り過ぎマンションのエントランスに入ろうとしたところ、「お兄さんお兄さんここは今関係者以外立ち入り禁止になってるから。マンションの住民の人やないと通れないんだけど——」と声を上げた。
 とはいえ、後ろの男性に言っているのだろうと思い、そのまま進もうとしたところ、「いやだめって言ってるでしょ。今この中ちょっと立ち入った事になってるから勝手に入らないでって言ってるの。」と後ろから肩を摑まれた。
 どうも見た目で勘違いされたらしい。「いえ違います」と言い、振り向いたところ、「あ。」
 後ろから警察手帳かざして来た係長が、「ああそいつは若いがうちの刑事だ。通してやってくれ。」と言ったため、「は、申し訳ありませんでした。」と、手を離してくれた。
 これが、大阪府警某署刑事課に配属されて初めての臨場——。それも殺人事件である。

 現場の外岡ハイツ二〇一号室は、まだかろうじて小綺麗な印象を残した、小規模マンションの二階、六室並んだ部屋の一番東寄りの部屋だ。
 北側に設置されてる非常階段で二階に上がり、黄色い規制線が張られた廊下に入ると、既に出動服を着た鑑識係の人たちが臨場しており、二〇一号室の周りでセッセと作業していた。
 その様子を横目で眺めながら、先に到着していた長谷部主任と同期の高橋に「事件の概要は?」と訊く係長。
 主任が「第一発見者のかたの話によると、被害者は竹井幸市、四十五歳男性。着物の制作販売を行なってる会社の社長で、この部屋の住人ですね。」と言ったところ、
 何故か横に立ってた制服警官が突然、「自分たちが一一〇番通報を受け現場に入って確認したところ男性が一名ソファーの上で事切れているのを発見しましたっ!」と、深夜にあるまじき大声で敬礼をしながら説明した。
 ………………。
 暫しの沈黙のあと、その声を聞きつけたわけではないだろうが、何てお名前だったか、鑑識係のベテランの人が、ドアを開け出てき、係長を見つけ、「これはお早いお着きで。」と声をかけた。
 こちらも敬礼の一種なのだろうか、手でおいっすってやった係長。
「まったくなんでこんな夜中に呼び出すかね。」
「犯罪者は働き方改革なんて考えてくれませんからね。」
「そもそもちゃんと働き方改革出来てれば犯罪も減って我々の仕事も楽になるはずなんだが。」
 とかいかにもおやじくさい事を話す定年間近のお二人。
 とはいえ、係長の背後に立ち、我関せずとしているのも若者ぶって見えあれなので、隣で意味もなく頷いていたところ、それが鑑識の人の目に留まったようで、「あ、こないだうちに入った新人さん——」
「そうそう。前に課長が地域課にいるのをスカウトした大山巡査長。」
 スカウトされたというと、一昔前のアイドルのようだが、もちろん街で刑事にならないかと、声をかけられたわけではない。刑事や生活安全などの専務は、地域課に良さげな人材がいると、自分の専務に勧誘したりするのだ。
「どうもよろしくお願いします。」と刑事初臨場のペーペーらしく丁寧にお辞儀したところ、係長に「こう見えても優秀で、交番勤務の際、空き巣の現行犯逮捕に貢献した事あるんだよ。」と言われ、う——。
 案の定、実はその際自分が取り押さえてたのは空き巣ではなく、隣の住民のかただったという、面白顛末をバラされ、「まあまあまあ。時にそういう事もあるけど、いい経験だと思うよ。」と慰められた。恥ずかしい。
 と、閑話休題はここまで。
 我々への引き継ぎを鑑識の人に任せ、主任と自分より一年早く刑事になった高橋がどっか行ったあと、〈ピー〉に似た顔の係長が、〈ピーピー〉なりに真剣な顔に戻り、「現場の状況は?」と訊いたところ、鑑識の人、
「遺体があるのは部屋の奥、南側のベランダに面したリビングで。そこのソファーに横になって亡くなっていました。頭部に数発、鈍器で殴られた痕跡があり、他に外傷らしいものは見当たらないのでそれが死因でしょうね。ソファーに座っていたところを突然背後から殴られ、ほぼ一瞬で意識を失い、まったく抵抗出来ずに死んだ感じです。脳出血が死因という可能性もありますが、損傷箇所が大きく即死に近い状態だったのではないでしょうか。」
 となぜか、自分を後ろに向かせて被害者に見立て、殴られた箇所や犯人と被害者の位置関係を説明する。
 そのためより感情移入したのか、鑑識の人が腕を振った瞬間、肩がびくっと上がり思わず目をつぶった。
「凶器は?」という係長の質問に、「おそらくこれだと思われます」と、デジカメで今撮ったと思われる画像を見せてくれたが、自分からは、無駄にごつい係長の肩が邪魔で、ちょっと見にくい。なんとか背伸びして、顎を上げて視界の下の方で捉える感じだ。
「金属製の花入れでしょうか、ソファーの後ろに落ちていた物で。ここをこう持って殴ったようで、ここに変形した痕跡があります。」
 見ると、下が球状でそこから細い口が伸びていて、確かに凶器として使うために作られたような形をしている。
 誰の作かは知らないが、作者が知ったらショックかな?
「リビングに入った所にある小さな台に飾られていた物のようですね。底の形状と、台に薄っすら溜まった埃の痕が一致してます。」
 狂器は現場にあった物と——。ん? きょうきのきって狂うではなかったか?
「現場にあった物が凶器として使われたって事は、突発的な犯行の可能性もあるな」と言った係長——。メモに突発的犯行と書き、丸を付ける。
 がそのあと、「そういうふうに偽装したって可能性もあるけど、」と付け足したため、ああそうかと思い、こちらも、「ぎそう工作?」と付け足した。漢字に自信がなくて。
「凶器に指紋は?」と訊かれた鑑識の人、「犯行の際のものと思しきものは残されていません。いずれも殴る際にこう持ったものではないものです。」とまた、自分を殴るふりをし言ったあと、少し弱ったような顔をし、「これは詳しく調べないとわかりませんが、手袋、あるいは布製の物越しに持ったような痕が柄に見られます。」
「なに手袋? この五月の春先に?」と言った係長。
 確かに。五月のこの時期に手袋してるのはちょっと不自然。
 て言う自分たちも、臨場中のため手袋を着用しているが。
「何にせよ。後頭部を殴られている事を考えても、自殺や事故死とは考えにくいですね。」
 確かに。殴れない事はないだろうが、自ら、「ゴーン。ゴーン。…………ふんぬっゴーーーン。バタ。」なんて自殺は、ちょっと聞いた事がない。
「死亡推定時刻は?」
「死亡推定時刻は、司法解剖を待たないとはっきりした事は言えませんが、検視官の見立てでは、死後八から十一時間、といったところかと」と仰ったのを聞き、「昨日の十四時過ぎからと十七時過ぎいったあたりか。」と思ったが、係長はどう計算したのか、指を折りながら、「昼の一時? か?」とか言っていた。
「服装は?」
「上はTシャツにスウェットのパーカー。下はナイロン製のズボンです。」
 部屋着に近いカジュアルなものだな。昨日は月曜日なのに、非番だったのかな?
 あ、一般の人は非番って言わないのか、書いちゃったけど。まあいいか。清書やないんやし。
「頭スポーツ刈りで肌寒かったんでしょうか。フードを被っているところを殴られたようで、ダメージのわりにはあとから滲み出たもの以外に目で見てわかる血痕はありませんね。」
 部屋でフード被るって、四十代にしては珍しい。気持ちはいつでも二十代て——タイプだったのかな? 脳内の被害者のイメージが瞬時にフードなしからフードありに書き換えられた。
「て事は犯人が返り血を浴びた可能性は?」
「ほぼないでしょうね。」というやりとりのあと、黙考に入る係長にそれを見つめる鑑識の人。
「冷蔵庫も酒とつまみばかりですし。部屋にコップなど来客を示すものはありません。むしろ仕事かなにかしていたところを襲われたようで、リビングの卓に、書類や本、スーパーで買ってきたと思われる軽食の痕やストロー付きの紙パック飲料が残っていたくらいのものです。」
 と聞き、自分の生活とあまり変わらない気がし、ちょっと苦笑いになる。
「発見時、部屋の電気は?」
「ついていたそうです。」
「その代わり、リビングの遮光カーテンは閉まっていたと?」と、さっき見せてもらった現場写真を思い出しながらか、訊いた係長に、鑑識の人、「ええ」と応える。
 殺されたら電気代関係ないもんな。となると身内の犯行ではない——? いや、そう見せ掛ける犯人のトリックかも?
 係長が、「スイッチに指紋は?」と訊いたところ、「これといって怪しいものは。はっきり拭かれたって痕跡もないですし、」と言った鑑識の人、「被害者小まめに掃除をするタイプではなかったようで。指紋や毛髪などあっても、犯人と関連づけるのは難しそうですね。」とか。
 うちの妹が、彼氏の部屋で長い毛見つけて浮気だって決めつけたら、彼氏のお父さんが、妹以上の超ロン毛だったのと一緒か、と思う。
 不意に「鑑識の人らはどう見てる?」とか訊いた係長に、「さあー? 自分たちの役目は、現場に残された痕跡をいかに消える前に集めるかですから。」と言った鑑識の人、「ただ、そういう意味でいったら、この事件には少々気になる痕跡が二つ、ありますねえ。」と、もともと目が開いているのかどうかわかりにくい目を更に細めて言う。
 ん? とそれに食いついた自分と係長に、「一つは、」と言ったあと、そこまで開くのは片目で精一杯なのか、ギョロッと右目のみを見開き、「洗面台にある鏡なんですが、そこの真ん中に口紅で大きくペケが書き込まれてありました。何の意図があるのかはわかりませんが、おそらく犯人が残したものかと、」とジェスチャーつきで仰った。
 もちろん、先生が答案につけるほうのペケではなく、エックスに近いほうのバツだ——。
「それはえらい、昭和のにおいがするメッセージやな。」と苦笑いする係長に、そういや昔の歌のタイトルにそんなのあったな、と思うふたまわり半ちょっとほど下の自分。
「それともう一点——。私はこちらのほうが気になるのですが、」と前置きした鑑識の人、ここで生唾をごくりと飲み込んでもよさそうなものだが、生唾って準備してないと飲み込めないもので、
「第一発見者の話によると、なんていうかその、死体発見時に、洗濯機が動き出したそうなんです。それも、中身空っぽで。」と、倒置法ぎみで仰ったのを聞き、こちらも鸚鵡返し気味に、ええ、中身空っぽで? と驚いたところ、
 さっきの制服警官がまた、「指令を受け私が駆けつけた時にも、洗濯機は動いておりした。今は止まっておりますがっ!」と馬鹿でかい声で言ったため、いやあんたまだ居たのかって——なったが。



 その際の話を聞こうと、制服警官の案内で、第一発見者の一人に待機してもらってる、現場の真下にあるマンション一階の管理事務所に移動する。
 なんとなく先行してしまったけど、係長の後ろにまわったほうがいいのかなと気にしつつ。
 エントランス側からはやや陰になった位置にある入り口から入ると、自分と同世代、二十代後半だろうか、白い襟付きのシャツにジーンズ、黄色いゴム靴履きの人が居て、「第一発見者の一人の小野さんです。小野さんは被害者の会社の社員さんで、どうしても今日中に引き取らないといけない仕事上の物があったので取りに来たところ、被害者が亡くなっているのを発見されたそうです。」と、制服警官に褒めてもらいたそうな顔で紹介される。
 襟足を短く刈り込んだボサボサ頭に、綺麗に切り揃えられた髭が、ワイルドな印象のわりに、肌がきめ細かく、係長と違ってモテそうなのだが。
 沈鬱な顔をして座る、彼の背後の事務机の上に置かれたナイフはいったい何だろうか? それに——、

 見せられても、まずもって本物かどうかわからないだろうが、警察手帳を念のため見せたあと、自己紹介もそこそこに係長、「遺体を発見した時の状況を詳しく聞かせてもらってもいいですか。」と訊いた。
 すると第一発見者の人、最初、「え、またですか。さっきも別の人に話しましたけど、」と言ったが、係長の「すいません。話してるうちに、新たに思い出す事もあるかもしれないんで、」との弁に、わかりましたと言い、話しはじめた。
 そのため、そういやこれって自分にとって、第一・第一発見者や、とか思ってた自分、慌ててペンとメモ帳探したが。
「今日、いやもう昨日か。昨日は午後一人で資料室で資料作りしてたんですが。晩、ここから歩いて三分ほどの所にある自宅で、その、なんというか、知り合いのかたと過ごしていたところ、零時前ぐらいでしたっけ、明日朝一に提出するその資料に、どうしても添付しなきゃいけないデータがあるのを思い出して、急ぎ社長から回収しないと思い、取りに来たんです。」
「事前に電話とかなさらなかったんですか。」と係長が質問したところ、「したんですけど出ませんでした。」
「社長先月休みなしで勤務したかわりに、昨日月曜日も休みをとっていらしてたので、スマホ切っちゃったのかもしれないと思って、その時は気にしなかったんですが。まさかこんな事になっているとは——。」
 それは出ないわな。出てたら話変わってくるし。
「マンションに着き、エントランスの入り口にあるインターホンを鳴らしましたが出ません。通信アプリでも送っといたんですが、未読のままで。とはいえ回収しないと本当にまずいので、すいません。本当は駄目なのわかってるんですが、ひとの良さそうな白髪のおばあさんが入るのにくっついて入ってしまいました。」
 おそらく即建造物侵入罪、とまではいえないので聞かなかった事にしたのか「部屋の鍵は?」と質問変えた係長。
 それに対し第一発見者の人、「かかっていませんでした。」と応えたが、係長「いやそうじゃなくて。社長出掛けてるとしたらどうやって部屋に入るつもりだったんですか。入れなければ、必要な物回収しようにも、出来ないんでは——?」と返す。
 そういう意味なら、最初からそう訊いたげればいいのに。相手が自分と違って、イケメンだからと多少いじわるになっているのか。
「いや。一応ここの合鍵一本預かってるんですようちの課で。社長が出張してる際に、どうしても必要な物を取りに入らないといけない事が度々あったんで。家が近い僕が持ってるんですけど、」と、これがその鍵という事だろう、派手な虹色のキーホルダーを付けた、キーケースから鍵を一本ぶらぶら垂らして見せた。
 さすがにエントランスの鍵は、お住いのかたでないと渡せないと管理会社に断られたらしいが。
「ただ、その際、急用で事務所に残っていた管理会社の人に、おばあさんに便乗して入ったのを見咎められて、呼び止められてしまったんですけど。実はこれこれこういう事でと事情を説明しても、納得してもらえず。それでは一緒に社長の部屋に来てもらえばわかりますという事に。」
 その管理会社の人が、もう一人の第一発見者という事か。
「部屋の横のインターフォン押しても返事がなく、焦りましたね。隣で管理会社の人が訝しそうにしてましたから。それで仕方なく、合鍵を取り出したんですが、試しにかノブを捻って引いたところ、開いたんです。えっ、思いましたね。まさか開けっ放しとは思いませんでしたから。」
 て事は犯人鍵かけずに逃走したという事か——。不用心な。
 てかうち、出てくる時鍵かけてきたよな? き、気になる。
「それで、すいませーん。小野ですー。ちょっと急ぎ必要なため例の資料取りに来ましたー。とか、奥に向かって声をかけたんです。」と、少し小芝居をしつつ語る第一発見者の人。
 言い訳してから入るのは怪しい——と思ったが、自分が部屋に居る側だとしたら、何も言わずに入ってこられるほうが怖いか。
「センサーで玄関のあかりがついた時は一瞬ビクッとしましたが、特に変わった様子はありませんでしたね。とはいえ、返事がないばかりか、物音ひとつせず、明らかにいつもと様子が違うため、管理会社の人も一緒に中に入ってもらう事に。」
 今回は本物の管理会社の人だったからよかったものの、ニセモノの場合もあるから、へたに他人を部屋にあげないよう注意しないと。
「北側の玄関から、南側のリビングにまっすぐ続く廊下の中ほどにあるドアの磨りガラス越しに、リビングにあかりがついているのが見てとれ、そちらに、向かったんですけど。ドアを開け、ちょっと背伸びして、カウンターキッチン越しにリビングを、覗いてみたところ、誰かがソファーにこちらに背を向けて横になっているではありませんか? 最初、具合を悪くした社長が倒れているのかな? と思って、ソファー越しに覗き込んだところ、思わず二人してかたまってしまいました。グレーのソファーの頭のある辺りが真っ赤に血に染まっていて、明らかに病気じゃないていうのが見て取れましたから。」
 確かに。頭から血を流してる人を見て、病気かなって思う人はあまりいないかな?
「南東の角に置かれたテレビの方に向けて置いてあるソファーに、こう頭を東寄りに向けて倒れていたわけですね?」と、係長が空中に簡単な地図書きながら訊いたところ、第一発見者の人、「はい。」ではなく、「はい?」と。
 どうも部屋の奥の方を気にして、聞いてなかったようだ。
 話を再開した第一発見者の人、「思いきって顔に触れてみると驚くほど冷たい。自分これまで手術とかも一度もした事ありませんから、これは救急車を呼ぶべきなのか、それとも警察に一一〇番したほうがいいのか、社長に電話してみたほうがいいのか、迷ってしまいましたし、管理会社の人は管理会社の人で、手に持っているスマホをどこだと服まさぐりながら探していましたっけ、」
 ——するとどこからか、ガタガタ、ガタガタ、ていう何かの音がしはじめたんです。
 と、ここからちょっと第一発見者の人の語りに怪談が入ってきたっけか。
 座って語るのに対して、我々は立って聞いてるからだろうか、なんだか訴えかけられてる感じがして、ちょっと鬼気迫るものを感じる。
 ——最初何の音か判らなかったんです。
 ——でも明らかにこの室内から聴こえる。
 ——それで二人とも再度身をかためて縮こまってたんですけど、
 ——恥ずかしい話ですが、念には念を入れて、数分耳をそばだてそうしていたでしょうか、
 確かに身の危険に直結してるとなると、それくらいは用心するかな? 下手したら、身体についた血を洗い流してる、係長みたいな殺人鬼と出くわすかもしれないんだから。
 ——しばらくすると、ウィーンっていう聞き覚えのあるモーター音もしだして、もしやこれって洗濯機の音? と気づき、
 ——カウンター越しに台所に置いてあった果物ナイフを手に取り、恐る恐る先ほど通った際半開きにしたドアを開け、
 ——その左手にある洗面室の中覗いてみたところ、確かに真っ暗な中、浴室の入り口の向かいに置かれた、洗濯機だけが、小さなランプを光らせ、ウィーンウィーンと動いてるではありませんか?
 ——どういう事? と思って、ふと右に目をやったところ、そこには身体に真っ赤な傷跡がはしった、右手に包丁持った女の姿がっ。
 ——あとで聞いたところ、あれって口紅だったそうですね。つまりは洗面台の鏡に映った自分の姿だったという事か。
 ——管理会社の人がひっと声を上げ、先に逃げ出したため、自分もそれを追って無我夢中で部屋から逃げ出したんです。
 なるほど、果物ナイフはその時現場から持ってきたものか、とその果物ナイフを見る。
 それは怖かったろうな。自分だったらおしっこちびったかもしれない。
 とはいえ、その際の姿を誰にも見られずよかった。もし見られてたら、人殺しが管理会社の人を殺そうとナイフ持って追いかけてるようにしか見えなかっただろうから。
「あとは一一〇番した際に説明したように、階段を駆け下り、エントランスも出、このマンションの前で管理会社の人と二人、通報したわけです。」
 てな感じで、第一発見者が遺体発見の経緯を説明し終えたあと、係長、すっと目を管理事務所の奥、自分も先ほどから気になってた方に視線を移し、「なるほど、大体の経緯はわかりました。でそちらは——?」と訊いた。
 そう、先ほどからずっと、部屋着姿とわかる、長い黒髪をおろした女性が壁際に置かれたパイプ椅子に座って、こちらの方をじっと見ていたため、前半自分にしか見えてないのかとか思ってしまったくらいだ。
 すると、「警察に電話したあと、警察官のかたが駆けつけるまで電話は切らないように言われたんですが、そのあとここで待ってる間に心配してるんじゃないかと電話したら、迎えに来てくれた、そのなんていうか、同僚です。」と何かを誤魔化すように言う第一発見者。
 ああなるほど、つまりさっきまで二人は、て事か。係長もそういう事かと納得したよう。
「逃げる際ドアに鍵をかけたりは?」という質問に、「かけてません。そんな余裕とてもなくて、」と言ったあとちらっと女性の方見た第一発見者の人、彼女の目を気にしているようだ。
 ただそのため、そのあと誰かが部屋を離れたかどうかは曖昧になってしまったけど。
 続けて、「あなたを疑っているわけではないが、こうして、部屋から果物ナイフ、を持ってきているのも確かなので、身体検査させていただいてもいいですか。」と訊いた係長に、「え? ああいいですよ。何も疚しい事はないので。」と了承してくださったのはいいが、「それでは自分が、」といつの間に戻ってきたのか、同期の高橋が身体検査しようとしたところ、怯んだ第一発見者。
 すると係長なぜか、「いやお前やなくて。そやな大山。お前が身体検査を行なってくれ。」と言い、「え、自分がですか。いいのかなあ?」となる。
 身体検査って、足とか探ってる時に、頭ゴンてやられたら終わりに思え、苦手なのだ。
 が、「何をびびってんだ。交番勤務の時も身体検査くらいしただろ?」と言われ、そうですが、と戸惑いつつも、持ち物を机に出してもらったうえ、着衣の上から、足と手、ポケットと一秒に二十センチのスピードで、確認していく。
 意外に華奢な身体つきをしてるなと思ったくらいで、「何もありませんね。」
「そうか。それなら大丈夫です。どうぞ、おかけになってください。」と言った係長に、発見者の人、え、まだ帰れない? という目をこちらに向けてきたが、どうしていいのかわからずつい、後ろに何かあるのかな? てふりをしてしまった。ごめんなさい。
「今の話からすると、死体を発見した時間は通報のあった深夜零時十五分の少し前で合ってますか。」
「はい。」
「今言ったように、発見時顔に触れたりした以外は、遺体に触る事はなかったと?」
「はい。」
「それじゃあ次は被害者について。被害者は、あの部屋に棲んでいた竹井幸市さんで間違いない?」
「はい。」
 早く切り上げたいのかな、返事が、はいかいいえになってる気がする。
 続けて「どういう人でしたか。」と係長が訊いたところ、部下の人、若干顔を顰めて、「どういう人とは?」と訊き返す。
「何かトラブルを抱えていませんでしたか。」と訊き直した係長に、「さあ? 確かに、そう大きな会社ではなく、企画部の一員として、社長と直接話をしたりする事は多かったと思いますけど、いっても仕事上の話のついでに、ちょっと雑談するくらいもので、」
 先ほどの二人のように何か訊かれた際、「はい」「いいえ」で答える感じ?
「ただ、隠してもおそらく調べればわかってしまう事なので言いますが、社長少々女性にだらしないところがあったというか。奥さんと別居して、こちらのマンションに移ったのも、浮気がバレたのが直接の原因のようですし。まあ、会社の子にも手を出してる。などという話はただの嘘でしょうけど。」とか。
 すると係長、「あなた自身にトラブルが降りかかってきたなんて事は?」と、隅に座っている女性の方をちらちら見つつ訊いた。
 第一発見者の人「いやまさか、」と言ったが、自分としては、犯人女性説も考えられるんでは、となった。


 第一発見者の人が供述調書作成のため事務所を出ていったあと、高橋と同じくいつの間にか室内に入ってきていた主任が係長に近づき、この事件が府警本部長の指揮事件になった事を伝えた。
「それより聞き込みのほうは? 何かめぼしい収穫はなかったのか。」と訊く係長に対し、主任、指で頭を掻き、「それがですね。さすがにまだ深夜で。近所のコンビニなど、開いている店をまわってみたのはまわってみたんですが、これといってなにも」と最後まで言い切らず。
 ただ、現場到着後、第一発見者の一人である管理会社の人に、この事務所の使用許可をもらったのだが、その社員さんによると、管理会社の職員とは別で、オーナーさんがここの二階の一番奥の部屋にお住まいだという事で、詳しい話を聞くため、今その社員さんと呼びに行ってるとか。
 深夜に気の毒にと思ったが、自分も眠っていたところ起こされた身だった。
 数分後、高橋に続いて管理事務所に現れたオーナーは、ひとの良さそうな総白髪のおばあさんで、「ど、どうもこの度はえ、えらい事になってしもうて。あの、その、どう言うたらええんやら。ええー? 夢でっしゃろかこれは? 私今日早めに寝て起きてましてんけど、」と今更のように驚きの声を上げた。
「それで早速ですいませんが、最近、この辺りで不審者を見たというような事はありませんか?」と訊く係長。「もしかしたら物盗りの犯行かもしれず、事前に下見に来ている可能性もありますんで」とか。
 なるほど確かにそれは訊いとくべきだなと思ったが、おばあさんにはちょっと説明が長すぎたようで、「は? 何でっか?」
「いやだから、」と言いつつ、もう一度簡潔に訊き直したところ、そう言われてもと首をひねるオーナーのおばあさん、「不審者でっか? さあ? そういう話は聞いてやしませんけど? この辺りは、あっちの方と違うて、年寄りばっかりでっさかい。まあそういう意味でいうたら、そこらじゅう昼間っからうろうろしてる不審者だらけでっけど。」とか。
 か、かなり偏見が入ってるようで、けっしていうほどお年寄りばかりではないと思うのだが、訊いた係長自身ある程度予想していたのか、「まあそうですよね。」て言うのみ。
 そういや地域課の先輩、「不審者ってどこにでも居るけど、一人見たら三人は居ると思え。」って言ってたな。
 てか高橋の奴、手に何を持って眺めている?
 マンションのエントランスのドアについて、「電子キーを持っていないと入れないと聞きましたが、それは確かですか。」と係長が訊いたところ、「いや、そないな事訊かれても、うちはあれしてますもんで、私にはちょっとあれしませんねんけどねえ。」とか、だいたいわかっているけど、念のために訊いた事を、よりわかりにくく答えたり、どうやらおっとりしたタイプらしい。
 このおばあさんとなら、エントランス一緒に入ってたりしても気づかれなさそうだ。
 ただ、「という事は、このマンションに出入りするには全員、エントランスのカメラに映る事になる——?」と訊いた時には、最初、「そうでんなあ、」とか言ってたが、はっと何かを思い出した顔になり、「いや、そういうたら、鍵無くした子が、横の駐輪場の柵よじ登って、非常階段から入ったりしてるん、見た事あるとか言うてた人もおまっせ。」と役に立ちそうな事教えてくれたが。
 早速係長の目配せを受け、高橋が確認に走る。
「あと、殺されたかた、二〇一号室の住んでいた竹井幸市さんという男性なんですが、御存知ですか。」と係長が訊いたところ、オーナーのおばあさん、既に誰が殺されたかは聞いてたようで、「えーえー知ってますよ。前はお父さんとお母さんが住んではったんですが、三年前と二年前でしたか、お亡くなりになられて。しばらくは、遺品置いたままにしていらしたのを、仕事に使うとかで、一年ほど前から、息子さんが住んではりましたねえ。」と思い出を夢見るように言った。
「竹井さん、マンションで何かトラブルになったりとかは?」と問われておばあさん、「さあ? うち一応ペット出入り禁止なんでっけど、それになーする事もなかったし。特にトラべル? トラベルははなかったと——」と、つっこみどころが多過ぎる。
「昨日は、竹井さん見かけてない?」
「そういうたら、昼過ぎでしたか? 一度ここで会いましたな。」
「ほー。その際変わった様子は? 誰かと一緒にいたとか?」
「さあ?」と言ったおばあさん、「確か昨日は朝から夕方まであれやったから、飲み物でも買いに行ったんやないおまへんか? 買い物袋手に提げてましたで。うちは前日に用意したりしてましたけど」とか。
 そのため係長が、「あれって、何です?」と訊いたところ、「あれだすあれ。あーそうそう、」と仰ったあと、五秒後、「何やったっけ?」て言ったため、コケるしかなかった。
 そのあと管理事務所を旅立っていった、いや、出ていったおばあさんと入れ替わりに事務所に戻ってきた高橋。
 係長に「で、非常階段のほうはどうだった?」と訊かれて、「くちゃくちゃ。確かにここ出た所にある階段、昇ってみると、コンクリート製ではあるものの、ごく。完全に密封されているタイプではなく、外付けって形になっており、横にある駐輪場とも密接してるため、柵をよじ登って屋根に乗り、非常階段に入ろうと思えば入れない事はなさそうですね。カリ。」とか。
 どうやらさっき見ていたのはおばあさんにもらったあめちゃんだったようだ。ほっぺたが膨らんでる。



 その時か、おもむろに入り口のドアが開けられ、来た時エントランスで会った制服警官が、「す、すいません。被害者の奥さんが到着したんですけど。こちらに案内すればいいですか。」と訊いた。
「ちょうどいい。お連れしてくれ」と頼んだ主任によると、第一発見者のかたから、被害者の奥さん、香織さんの電話番号を訊き出し、連絡したところ、まだ起きていらしたようで、ここから車で二十分ほどの所にある、家まで向かいを出してたらしく、既に眠っていた被害者の娘さんには女性捜査員が一人、護衛として家に残っているとか。
 確かに今の段階では犯人の目的が何かよくわからないから、そうしたほうがいいかと思って、ペンをカチカチしてると、それが気に障ったのか、係長に睨まれたが。
 それから一分もせずにか、部屋着姿のノーメイクと思われる眼鏡をかけた女性が入ってきて、「あの、二〇一号室で死体が見つかったと聞いたんですけど。それって本当にうちの主人で間違いないんですか、竹井幸市で間違いないんでしょうか——、」と視線を彷徨わせながら訊いた。
 管理人室って、中こんなふうになってるのか、と思ってるとは思えないので、誰に話しかけたらいいのかわからなかったらしい。
 被害者と同年代か、妙齢で化粧っ気はないが、長めの髪を襟足辺りから緩く編み込んだ美人で、タイプなのか係長、いつもより渋めの声で、「もちろんのちほど奥様にも確認していただきますが、ただ——、何といいますか、御主人の会社のかたが遺体を確認しておられるため、おそらく間違いないと。」とお伝えしたところ、奥さん、「そんな——、」と絶句。
 係長たちの「御悔やみ申し上げます。」のあとに、自分も「ます。」と言い添える。
 それから奥さんを椅子に座らせ、落ち着いてきたところを見計らって係長、「すいません。犯人逮捕のため、すこしお話聞かせていただいてもいいですか。」と。訊いたところ、しばらく間をあけ、顎で弧を描くようにして、こくりと頷いた奥さんが妙に艶っぽかった。
「奥さんの他に、御主人に御家族は?」
「娘がおります。今小学校に通ってる娘が——。娘と私、それに私側の親族を除けば、そう。主人の身内は弟さんがいるのみですね。私の知ってる範囲内では、」
 被害者、妻、娘という系図を書いたあと、弟と書くのに被害者から横線を引いてしまい、あ、違う違うとなる。
 そのため、「弟さん?」と訊かれたのかどうかはっきりしないが、奥さん、「ええ。とはいっても、完全に血が繋がってるわけではなく、実は、腹違いの子で、主人の実母である先妻のお母さんが病気で亡くなったあと、後妻として竹井家に入ってきた義母のお子さんらしいんです。」と仰り、それまで書いた人物表に一旦バツをし、全部聞いてからあとで書く事にする。
「ほお。それはそれは。で、そのお父さんと後妻の奥様は? 亡くなっている?」
「ええ。御二人とも亡くなっています。義父は昔ながらの呉服店の跡取りで、その蓄えもあり、後妻を迎えたり出来たそうなんですが、代替わりで主人に会社を譲り、二年前、その一年前に他界した後妻である義母のあとを追うように、病気で。」
 それで残っているのが、腹違いの弟さんという事か。
「失礼ですが、遺産をめぐってトラブルなどは?」
「義父の遺産は、ほぼ資産と負債がとんとんってところだったそうで、弟さんは相続放棄。事業を行なっていた主人が全てを相続するかたちになり、これといったトラブルにはならなかったようですね。」
「なるほど。」
 遺産をめぐるトラブルの線はないかな。別にそういうのを期待してたわけではないけど。
「で、その弟さんは今どこで何を?」
「ディスプレイっていうんですか。そういうのを作ったり設置したりする会社で働いてるそうです。ただ、主人とはあまり折り合いが良くないようで。結構疎遠になっていたと思います。」
 と奥さん、結構淀みもなくお話しされていたが、係長が「それで、少し訊きにくい事をお訊きしますが、」と話を切り替えたところ、奥さんそれで大体察したようで、「ああはい。」と明らかに顔に陰りがさす。
「御主人一年ほど前からこの上の部屋で一人暮らしをされていたとの事ですが、それはまた何故?」
「それは、何と申しますか、実は、あの、その、」と大体知ってる側からすると、ややまどろっこしい。とはいえこちらから、御主人の浮気が原因ですよね、と言うわけにもいかず、我慢。
 そのためか、意を決したかのように、「実は、お恥ずかしい話なんですが、夫には愛人というか、浮気相手がおりまして、それがわかったのがちょうど一年ほど前。私は別れたいと申したんですが、娘の親権を失うとわかると、別れたくないと申しまして。それではしばらく別居して距離を置こうという事になったんです。」と仰ってくれた時には、なぜだかこちらもすこし、つかえが取れた気がした。
「その、、、浮気相手と御主人は今でも?」と訊かれた奥さん、もう死んでいるので今でもという事はないだろうが、「それはわかりません。これ以上傷つきたくないと思ったもので、なるべく関わらないようにしておりましたんで。」とか。
「ただ——、いつかおかしな事になるんやないかとも思っておりましたけど。まさかこんな事になるやなんて、娘にどう伝えれば——、」とここでまたしばらく。奥さんが気持ちつくるの待ちになる。
 案外感情が昂りやすい質らしい。
 しばらくするとなんとか奥さん落ち着きを取り戻したようで、係長が、「実は御主人、なんと申しますか、頭を殴られ亡くなっていたんですが、その凶器というのがこれこれこういうものなんですが、身に覚えはありませんか。じゃない、見覚えはありませんか。」とかと訊いた際には、「ああ、それはおそらく私が買った物です。主人が書斎に、花瓶が欲しいと言ったので、選んであげた金属製の花入ですね。私昔、雑貨店で働いていた事がありましたので。」とはっきり応え、左手で何やら作業するような仕草をした——て思う。
 そこで係長、「昨日はどうしてましたか。出来ればお昼あたりからの行動を、詳しくお聞きしたいんですが、」と、ある意味こちらが一番訊きたい事を訊く。
 すると奥さん、その気配を感じ取ったのか、「私疑われてるんですか。主人とは別居中だし、凶器も元は家にあったものだから。」と、係長と自分を見比べる。
「いえいえそういうわけでは——」と小さく手を振る係長、形式的に訊いているだけです、とかと適当に応えるのかと思っていたら、「アリバイの確認ていうのは、その人が無実である事を確認し、被疑者となりうる人物を絞りこんていくために、非常に重要な事なので、皆さんにお訊きしているわけでして、」と、妙に丁寧に応えた。やはりタイプなのだろうか。
 とはいえそれでこちらの意図を察してくれたようで、わかりましたと言ってくれたが。
「昨日は月曜日でしたから、朝早くに起きて娘のお弁当を作ってから、起こし二人で朝食を摂りましたね。娘を小学校に送り出したあとは、午前中、部屋の掃除などをし、昼頃近所のママさん友達と、ここと自宅の等距離くらいにある繁華街の店でランチをしたんでしたっけ。十二時から十三時頃まで一時間ほど。これはそのママさんたちに訊いてもらえれば証明してくれると思います。そのあと、用事があるというママさんたちと別れて、一人でその辺りをぶらぶらしてたんですが、買い物した際の履歴は残ってると思いますし。調べればわかってもらえると思います。帰宅してすぐテレビつけるとあの番組をやっていた記憶があるので、十七時頃だったでしょうか、娘も帰宅し、それからは夕食の準備などしていたので、リビングでテレビ観たり宿題したりしてた娘とほぼいっしょでしたよ。夕食のあと。洗い物や片づけ、明日の準備などをし、どうしても観たい科学番組があるとかで、午前零時半頃まで起きてた娘を寝かしつけたあと、警察から連絡があるまでは、ずっと自室で友人と電話してましたけど。」などとか。
 どうも一番肝心な、死亡推定時刻にあたる昼から夕方にかけてのアリバイが微妙。本人が言うように、履歴などの裏取り捜査で犯行不可能と思われるところまでアリバイを追加出来るかが大事だなとか、メモ書きながら一人頭の中で考えていたためか、続けて係長たち、「最近被害者の周りで何かトラブルがあったというような話はありませんでしたか。」とかと質問していたようだったが、ちゃんと聞いておらず、はっきり覚えていない。
 ま、まあきっと大丈夫。そ、そんなに重要そうな事は仰ってなかった気がする。た、多分——。


 午前七時頃署に戻ると、主任が先程言ってたとおり、当該事件は府警本部長の指揮事件に切り替えられており、我が署に捜査本部が設置されていた。
 新聞やネットニュースに小さな記事が載ったくらいで、それほど大きくは取り上げられていないが、とはいえ事件に大きいも小さいもなく、捜査本部は大わらわだったらしい。
 その講堂での捜査会議後、刑事課にて、高橋と主任が会議の内容を報告してくれたのだが。
「被害者の着衣に特に揉み合った形跡はなく、財布に時計、キーケースなどの貴重品もそのままになっているうえ、スマホやパソコンも、被害者以外の誰かが触った形跡はない、との事か。となると、物盗りの犯行としてはちょっとおかしいな。」と言った係長、「現場に残されていた口紅の成分からは何かわからないのか。」と訊く。
 それを受け主任、「難しそうですね。成分を分析すれば、どの製品かはわかるかもしれませんが、そこから購入者を特定する事は。既に処分されている可能性もありますし。」とか。
「目撃者は?」という質問に対しては高橋が、「死亡推定時刻である昨日の十四時から十七時までを中心に、現場周辺で不審者等の目撃情報がないか当たっているようですが、期待出来ませんね。」と首を振り、「あの辺りは、閑静といえば閑静といえますけど、はっきりいって、、、ともいえますから。へたするとあの非常階段側の裏路地、三十分見てても人っ子一人通らないかも。」とか答える。
「監視カメラの映像は?」と訊かれ、「そちらも——」と首振る二人。
 マンションのエントランス等に設置されている監視カメラの映像の分析も行なってはいるが、少なくとも殺害当日には、不審者はおろか、遺体を発見する直前の第一発見者以外に、被害者の関係者らしき人物は映っていなかったとの事。
「とはいえ、関係者の突発的な犯行なら、マンションに入る時の姿は普通に映ってるはずなんやないんか? て事は、ある程度計画していた可能性も? 或いは、物盗りの居直り殺人か?」と言い、首をひねる係長。
 それを自分と同じく、傍で見ていた高橋、「もしかしたら、ベランダよじ登って入った可能性もあるんちゃいます? 二階ならちょっとその気になれば昇り降り出来そうですけど、」と言うも、「いや、ベランダからの進入については、さっきの捜査会議で、向かいにある家に住む人が、昨日事件当日、昼前から晩まで、屋上でちょっとしたDIY作業をしていたらしく、その間に現場のベランダをよじ登ったり伝って降りたりする人間はおろか、窓から出入りする人もいなかったって複数の人物が証言してるとかって言ってただろ。」と主任に言われ、「え、そうでしたっけ?」てなっていた。
 て事は犯人が窓から出入りした可能性はまずないって事か。まさか向かいの家の人が全員共犯? なんて事はないよな——。
 居ずまいを正した係長、「とりあえず侵入経路は置いとくにしても、遺体発見時に洗濯機が動き出したっていうのがよくわからんな。」とか。
 それに対するアンサーとしてか、高橋また、「被害者が洗濯機まわしはじめたあとに殺され、そのままになったとか?」と、ほぼ考えなしに言ったようで、 それを聞いた主任に「いやそんなわけないやろ。被害者が殺されたのは夕方、そこから死体が発見される零時過ぎまでずっと動いてた、なんて事あるか?」と一蹴され、「そうか、それはそうですね。」としょんぼりしたが、その二人の会話を聞いてて自分すこし、ん? てなる。
「だいたいなんで洗濯機、空だったんでしょうね。」とこぼした高橋に対し、係長、「そもそも洗濯機空で動くのか?」と、中年男性にありがちな、機械音痴を晒す。
 遺体発見時、洗濯機動き出したのにその中空っぼだったのは前述したが、被害者が当日の朝洗ったのではないかと思われる洗濯物が、リビングの隣の和室に部屋干しされていたらしいのだ。節約のため三日分を纏めて洗う自分には考えられないほどその量は少なく、Tシャツ一枚にパンツ一枚、タオル数枚とかだったそうだが。
「多分動きますよ。俺前に間違えて洗濯物入れる前にまわしてて、開けたら、え? と思った事ありますから。」とは、高橋らしいエピソード。
「そうか。それならそれはいいとして、」と言った係長、続けて、「ただそうなると、犯人はなぜ殺害後数時間経った現場にまだ居たのか? それが謎になってしまうな。」とか、したり顔で言ったため、自分思わず「ん?」と声に出す。
 さらに主任が、「そうですね。或いは一旦出ていったのかもしれませんが、なぜわざわざ戻ってきたのか。」と仰り、んん?
 とどめに高橋が、「何らかの理由で部屋に戻ってきたとして、洗濯機をまわしたのは何のためでしょうか?」と考えるそぶりを見せたため、堪らず——、
「いやいやいや。あのうータイマー。タイマーかけた可能性忘れていませんか? そもそも被害者、洗濯機にタイマーかけたあと殺された可能性もあると思うんですけど?」と発言する。
 すると係長曰く、「え? 洗濯機ってタイマーかかるの?」
「かかりますよ。知らないんですか? ほらこの現場にあったドラム式洗濯機の写真見てください。ドラムの上の操作パネルに予約てボタンあるでしょ。」と言って見せたところ、資料の写真を覗き込んだ三人、「ほんとだ。」「こんな所に隠しやがって。」とか。誰に対して怒っているのか。
 続けて主任、「でも洗濯機にタイマー要る? 結局干す時に居なきゃいけないんじゃないの?」とか言うが、「ああこれ乾燥機付きだからタイマーかけときゃ、着たい時にほかほかで着れるのか。」と自己解決する。
 うちの洗濯機は、乾燥機能なしですが、予約出来ます——。
 この展開を受け係長、「それなら誰がタイマーかけて洗濯したんだ?」とか。
「それはもちろん、被害者では?」と応えたところ、「被害者当日休みで、一日中部屋に居たのに?」と言われ、「で、では犯人ですか。」と折れた自分。その際「結果永遠の休みになってしまったけど」とか悪趣味な事を口走ったのは誰だったか。
 となると、犯人がまだ遺体発見時に部屋に潜んでいた可能性も消せないわけか。うーん、どういう事なんだろう——?


——後篇へ——


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