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『大阪洗濯機の謎』後篇

 昼前、被害者、会社社長という事もあり、交友関係も広く、人手が必要という事で、我々所轄署の刑事課も、現場周辺の聞き込みに加え、関係者への事情聴取に当たる事になった。
 自分は、臨場した時と同じく、係長について、被害者の弟の竹井幸司さんと、被害者と不倫関係にあった須藤奈緒美さんの聞き込みを手伝うよう下命を受けたのだが。
 被害者の奥さんから聞いた番号に電話すると、被害者の弟さん、大阪といえばここという看板がある繁華街からやや南西にさがった辺りにある、マンションの一室に住んでいるとの事。日中は、マンションの自室に居るので、そこに来てくれたら話すと言われ、マンション近くの駐車場に車を停めたのだが、
「係長ちょっと、」
「ちょっと何だ?」
「ちょっとトイレ——。そこのコンビニに、トイレ借りに行ってきていいですか?」と訊いたところ、「いちいちそこまで言わなくていい——」と言われ、「はい。」
 最近はコンビニのトイレもタンクレスの所があるのか、そういや現場のトイレもタンクレスだったっけとか、資料写真思い出しながら用足したあと、トイレ借りたお礼に、ジュースでも買おうと思ったが、自分の分だけだとケチと思われそうで、本来奢ってくれる側である係長の分も買うはめになり、高くついたなという感じ。
 すいませんお待たせしましたと缶コーヒー持ってマンションに行った時には、既に係長、エントランス前のインターホンを押しており、
「やけに早いな。急いでるからといってそこらで立ちションしたんじゃないだろうな。」と言われ、「そんな事するわけないでしょ。」とかいうどうでもいい一くだり。
「すいません。警察の者なんですけど。先ほどお電話で、、ええ。お兄さんが亡くなった件で、少しお話を聞かせてもらえたらなと思って伺ったんですが、、、ええ? いや違います。警察です警察。〈ピー〉署の。」とインターフォン越しに話切り出す係長。切れたあと、「誰が借金取りやねん。他人を見た目で判断すなっ。」と文句を言っていたが。
 男の一人暮らしにしてはまだ室内綺麗なほうだろうか。半身で三和土の靴に素足の左足を載せ、やや苦しそうな姿勢で外開きの玄関扉を開け、部屋に招き入れてくれた被害者の弟さんは、三十代後半だろうか、しっかり者っぽいお兄さんとは対照的に、やや荒んだ印象。
 係長は先ほどの仕返しか、弟さんの腕がぷるぷる震えてるのわかってるだろうに、なかなか中に入ろうとせず、敷居の前で「こういう者です。」と悠然と警察手帳を見せていた。
「どうぞ。お掛けになってください。」と言われて、部屋に一つしかない椅子に腰を下ろしたのは、我々ではなく、被害者の弟さんだ。
 腰を下ろしつつ、「犯人に目星はついたの?」と探るような目で訊いた被害者の弟さんに、「それはまだ、」と応える係長。先ほど見せた苛つきはもう微塵も感じさせない。
「見当もついていない?」「ええ。」と言うやりとりを聴きながら、メモ新しいページにつけようかどうしようか迷う自分。
 係長が「率直にお訊きしますが、昨日はどうしてましたか。」と訊いたところ、じろりとこちらを睨みつけた弟さん。
「あ、いえ、べつにあなたを疑ってるわけではなく、事件解決のため、ケーシキ的に関係者全員に昨日の行動を確認させてもらっているだけです。」と係長が適当に説明して渋々——、
「昨日? 昨日はたしか、晩から深夜にかけて、梅田の百貨店のディスプレイを設置する仕事が入ってたんで、昼くらいまでは、この部屋で寝てたかな。」と話し始めた。
 どうやら猜疑心の強いタイプらしい。そんなに警戒されると逆に疑ってほしいのかと思ってしまうが。
「部屋で飯食って、ゲームしたり漫画読んだりしてそれから、夕方になって、仕事に出掛けたんだっけ。この仕事してるとようあんねん。設置が、客の居らんようになった晩に行なうもんで。」とか。
 結構楽しそうな仕事にも思えるが、昼夜逆転した生活か。どうしても不規則な暮らしになりそうだな——てこれはべつにお悩み相談ではなかったっけ。
「なるほど。つまり昨日は夕方まで一切アリバイはないわけですな。」と、係長が大した事ではない事かのように、ぼそっと確認した背後で、自分はアリバイなしにアンダーラインを入れる。
 その気配を察知したか、弟さん、さらに不機嫌そうな顔をしたが、そんなのは何処吹く風? という感じの係長に「それで、夕方に出勤してからの行動は?」と問われ、「まず、心斎橋の会社内で設置の準備し、閉店時間近くになってから、梅田の現場に移動。ディスプレイの設置に五時間くらいかかったんだっけ。深夜二時ごろ完了して。再び心斎橋の会社に戻り、次の仕事のデザイン考えたり、飾り作ったりかな。」とか。
 自分も昔コンビニのバイトで、「遅い。いつまでやってるの? それに資材でレジふさがないでよ。」とか無茶言われながらポップ作ったりした事あるけど、百貨店になると、さすがに専門の業者がやるんだな。
「その間の行動は会社の人に訊けば確認は取れますか?」と係長が訊くと、「取れると思いますよ。その間一人になる事はほとんどございませんでしたから。」と敬語で応えたので、これはきっと本当なんだろうなと思う。
「いつ事件の事を知りましたか?」と訊かれた折には、「今朝の仕事終わり、眠ってたところに、義理の姉から電話がかかってきて。」とぶっきらぼうに。
「とはいえなかなか信じられんかったけど。あんたら、いや違う、警察からも問い合わせの電話がかかってきて、ああ、ほんまなんやって思った」とか。
 どうも警察に対する心象が悪いらしい。
 もしかすると前に何かあったり、前があったりするのだろうか——。
 とかと思って、より突っ込んでも、結局特に何もなく、ただただ、警察が嫌いだったという事も、職務質問の際など、ままあるのだが。
 係長が「お兄さん、何かトラブルに巻き込まれていたとか聞いてませんか。」と訊いても、「特には。」とちゃんと応えようとしない。
「奥さんとの話も聞いていない?」と言われて、「そうそう。確か浮気がバレて、別居中って言ってたっけ? あの人女にまつわるトラブルは多かったから。」と応えたくらいだ。
 ここでも被害者の女癖の悪さが証明される感じか。本人が聞いてたら、草葉の陰で照れ笑いでもしてるかもしれない。
 被害者の弟さん、「てなわけで、あのマンションの合鍵は何人が持ってるかわからない。むしろ女性なら誰でも部屋にあげてたんやないかな? 下心ある時とない時があったとは思うけど——」と言ったし。
 それを聞き、係長「そうですか」と言い、一拍おいたあと、「では、被害者が相談するとしたら誰ですか?」と切り返す。
「さあ。ちょっと、思い当たらん。このところ法事とかの用事でたまにあの部屋を訪れたりしてるけど、強いて話したりはせえへんから。」とか。
 被害者の奥さんについても、「冷え切ってたんちゃうかな。娘の親権をめぐってもめていたようやし。カッとなってて事も考えられるかなあ。」とか応えたくらいだし、
 不倫相手についても、「会った事ある——。ていうても、外遊びに出掛けたら、偶然二人一緒におって向こうから声かけられただけやけど。俺に悪びれもせずに見せるなんて、と呆れ返ったっけ。」とか話したくらいか。
 なんなら帰る段になり、被害者の弟さん何を思ったか、「ていうか、自殺という事は考えられへんの——?」と訊く。
 それに対し、係長、「まったく——。遺体の状況から言ってそれはないと思います。」と否定。
 が、一瞬のち、場がシーンとなったのが気になったのか、「え? 何かお兄さんに自殺するような傾向があったんですか?」と訊き返す。
 すると被害者の弟さん、「い、いや。ただ、そっちの可能性は考えんでもええんかなあって思っただけ。むしろ自殺させる事はあっても、自殺するような人ではないかな。ていや、それは言い過ぎか。」と笑った。


 被害者の弟さんのマンションを辞したあと、今度はそれよりやや北に位置する、弟さんのマンションがある区画よりは若干高級、といっていいんではないかと思われる辺りにある、被害者の不倫相手のマンションに聞き込みに来たのだが、
 何だろう——、この何とも言えず独特で強烈な匂いは——?
 それに、間接照明にもほどがありすぎるというか、メモ取ろうにも書いてある字が、ぼんやりとしか見えない。これは弱った——。
 通された部屋は、黒を基調に統一され、なんともおどろおどろしい髑髏やら、蛇やらが飾られた怪しげな雰囲気で、外は間違いなく、青空のもと、小鳥がぱたぱた飛びまわる長閑な風景が広がってると思われるのに、それを感じさせない——。占星術師かなにかの部屋のようだ。
 その先生、「失礼ですけど、あなたと被害者の御関係は?」と係長が基本情報として訊いたところ、「不倫中だったと思いますけど?」と、細いメンソールタバコを燻らしながら悪びれる事なく応える。
「竹井さんとはどのくらい?」という質問に対し、「二年ほどですけど。まさか知り合いの部屋が事故物件になるなんて——」と言ったところを見ると、結構なオカルト好きのようだ。
 てかこの部屋も事故物件ではないだろうな? こんなに香を焚きしめて。
 あとでネットで調べてみようか?
「失礼ですが、お仕事は何をされているんですか?」
「モデルです——。」
 確かに三十前後だろうか、整った目鼻立ちをしているが、自分の判定だろうか、モデルの後ろに「?」をつけてしまった。
 水色の服に合わせてか、ひかれた赤い口紅が、捜査資料で見た現場に残されていたものと似た色をしている氣がする。
「とはいえそれだけでは食べていけないんで、趣味の延長で、華道を教えたりしてますねえ。」と言う不倫相手。花生けが凶器という事は伏せている。
「スタイルを保たないといけないため、薙刀教室にも通っているですんけど、」とか。武器を持てば男性である被害者と一対一になっても勝てたかもしれない?
 続く係長の、「知り合ったきっかけは?」という質問に対しては、「仕事で。」
「私着物のモデルをする事が多くて。何度か顔を合わせてるうちに、食事に誘われて、そのあとはずるずると。なんとなくって感じですかね。」ときたため、これは被疑者確定か——となったが、
「といっても、それで仕事をもらっていわけでも、経済的な援助を受けていたわけでもないですよ。デートの際の食事代とかを、出してもらってたくらいで。」とか。
「奥さんとは会った事がありますか。」
「あります。あるけど……」
 いや、「けど、何?」て感じ。どうメモをとっていいかわからず飛ばす。
「被害者、最近奥さんとの事で何か言ってたりはしませんでしたか。」
「さあ? 特に何も。浮気がバレた時はしんけんに悩んでたけど。」とか。
 案外真剣には受け止めてたんだと思ったが、続けて「娘と会えなくなるのは辛いって。」と言ったため、ん——?
 ああ、そっちの親権か、となった。
 事情聴取に慣れてきたか、「そういや結婚指輪失くしたとか言って困ってましたかね?」と言った不倫相手。こちらもだいぶと落ち着いてきたのはいいが、そうすると逆に、事情聴取にあたり、一時忘れていた、この強烈なにおいが再び気になってきた。
 スーツ、洗濯しないとにおい落ちない気がして不安になる。
 そんな中、係長が「被害者、どういう性格でしたか。」と訊いたのに対し、「少しにおいに神経質なところもありましたが、仕事柄、身なりには気を使っていましたね。」と仰ったのには、一瞬、メモを取る手が書く手が止まった——。
「誰かに恨まれてたような事はありませんか。」と訊いた係長に対し、不倫相手、「私べつに誰にも恨まれてなんかないわよ。」と素っ頓狂な返事。
 そのため、「いえ、あなたではなく、竹井さんが、ですよ。」と訊き直したところ、「それなら、山田ちゃんが恨んでいるかも。」とか。
「ほう。どういう事です?」
「こないだ竹井さん、山田ちゃんのゼリー知らずに勝手に食べちゃったんです」とか。
 ボケかどうか判断がつかずか、係長「なるほどー。」て。
 が、そこでふと何かを思い出したような顔になり、「どこぞのヤバめの女に手を出したとかかも。一緒にいた時、派手な格好した男が向こうから近づいてくるのを見て、困った感じの顔をしてましたから。」と言った。
 派手な服装の男? 確かにそれは怪しい。
 とにかく具体的で、殺意に繋がるようなトラブルは特に知らないが、あるとすればやはり女性関係で何か問題を起こしたっていうのが一番想像がつきやすいと言う。
「あの人は女とみれば誰にでも手を出す人でしたから。私のモデル仲間にも粉かけてたみたいですよ。私も、初めてそうなったあと、食事の席で、君の貝の締め付けは最高だとかなんとか、耳元で囁かれた時にはぞっとしましたからね。」とか。
 急に出てきた、あまりに赤裸々な発言に、思わず言った女性の顔を確認してしまった。
 においも相まってか、今日はちょっと、貝食べれそうにない——。
 係長は、もしかして意味がわからなかったのかと思われるほどの自然さで、「なるほど貝ですか。」とか感心していたが。
 その係長、「で、あくまで形式的な質問ですが、あなた、昨日の昼の十四時頃から十七時過ぎまで、どこで何をしていましたか。」と訊く。
 すると、露骨に嫌な顔をしてみせ、「ええー? 正直ー、はっきり覚えてないんだけどー、」とか。
 確かにはっきり覚えていなかったらしい。「確か昨日は一日オフ? だったので、朝は部屋で華道教室の準備? 昼は友達? と堀江のカフェでランチ? ジム? で汗を流したあと、街歩きしたんだったかな?」とこちらが質問してるのに、めちゃくちゃ訊き返された。
「街歩きの際誰とも会わなかったんですか。」と訊いたところ、「確かに特に誰とも会わなかったけど。でもその時、すれ違った人は私の事覚えてるんじゃないかしら? 私の方チラチラ見てた人もいるから。」とか、自意識過剰なアリバイを主張したあと、スカート、膝丈なのも構わず脚を組み替えた。
「夕方部屋に戻り、一人で食事。あとはずっと一人。眠って起きただけ。」と応えた不倫相手に対し、係長が、「つまり、ジム以降、アリバイはないわけですか?」と確認したところ、アリバイがないという言葉に動揺したのか、不倫相手、「そ、そうね。」と若干言い淀む。
 あとは細かい点を二、三訊いていたっけ。
「被害者、日頃部屋の鍵は? 鍵はかけていましたか?」と訊いた係長に対し、不倫相手「さあ?」
「いつも来た時は、エントランスのドア開けてもらうのに、インターホン鳴らすから。その間に開けて待ってるのか、開けっ放しなのか、とにかくそのまま入っていけますね。」とか言ったため、いやだから、あなたが部屋に入ったあと、被害者鍵かけるかどうか覚えていないんですか——とか思ったのを覚えてる。
 そのあとか、ふとキッチンの方に目をやったところ、今日の朝にか使ったと思われる器が流しの洗い桶に浸けられた状態になってるほか、洗って乾燥させてるところの思われるコップや皿に目が止まったのだが、昨夜一人で食事したと言ってたわりには、揃いの皿やグラスが二つずつあるのに目が止まり、先生、嘘をおつきになってる——? と思った。
 どうにか事情聴取を終え、不倫相手の部屋を辞去し、運転席に戻ったあと、「あの人怪しくないですか? なんだか部屋の中怪しげな物でいっぱいだし。」と言うと、係長、「確かにあの人に、現場で洗濯機が動いたっていうと、それはきっと霊の仕業だわ、とか言いそうだったけど。」とか。
「そんなふうに怪しげに見せて警察を煙に巻こうとしてるのかもしれませんよ。昨夜部屋に一人で居たと言ってたわりには、皿が二人ぶんありましたし。」と言ったところ、「ああ確かに。いくら鍛えてるとは言っても、あの体格の女性にはちょっと重すぎるバーベルもあったしな。」とか。
「ただ、人は、べつに犯罪を犯したから嘘をつくってだけやない。日常の何気ない時にも嘘をつく——」などと意味深長そうな言葉を付した。


 署に帰ったあと数時間後か、夕方、捜査本部にて聞き込みしてきた情報を持ち寄っての会議があり、それまで仮眠していた自分も、係長と一緒に参加したのだが——、
「マンションのエントランスの映像を数日前から見直したところ、事件二日前には妻と第一発見者、事件前日には不倫相手と弟の出入りが確認された。」と報告した捜査官は、キャリアだろうか。主任より若く見える。
「被害者の当日の足取りとしては、丸一日臨時の休暇だったのもあってか電話等外部との通信連絡はまったく取っていないよう。十三時半頃に出掛けて、一時間ほどで帰ってきたのがエントランス等の監視カメラに映っているくらい。近所の大型スーパーに立ち寄り、総菜やジュースを買って出たのは確認出来たが、それ以外に立ち寄った先があったかどうかは不明。」と言った捜査官も、眼鏡をかけ、しゅっとしていて、係長とは大違い。
 さすが捜査本部に集められた捜査員、大した事は言ってなくても、なんだか妙に説得力がある——気がする。
「胃の内容物を見るに、スーパーで帰ってきたものを食べたあと、一、二時間ほどで死亡したと考えられる——」とか。
 という事は、部屋に帰ってすぐに襲われたわけではないのか? それか途中で買い食いしたか?
 そのため、「買い食い?」と書こうとして、いや違うな、と思い、やめておいた。
「怨恨等のトラブルによる殺人の可能性を考え、関係者を隈なく当たったところ、犯行時刻が、平日の昼間だったのもあってか、その時間に、確たるアリバイが得られなかったのは、関係者中、妻、不倫相手、弟、第一発見者である部下の、四人のみとわかった——」との事。
 奇しくも、自分と係長が聞き込みした人ばかりか。昼間現場周辺の聞き込みにまわった高橋が聞いたら、いいなあと羨ましがりそうだ。
 被害者の奥さんが主張した昼のアリバイについては、確かに買い物をしていたようだが、居た繁華街と現場がそう遠くないため、やろうと思えば出来なくもないらしい。
 不倫相手が言ってた、ヤバい感じの男というのは、実は被害者の弟さんだったと判明。確かに、ヤバい感じに見えなくもないか?
 写真を見せたところ、私が見たのはこの人だと証言したとの事。
「え? この人美人局じゃないの? 弟? あの人の弟って美人局やってたの?」と、なかなか状況を理解してくれなかったそうだが。
 尚、午前零時過ぎ現場の部屋で洗濯機が動いた時刻のアリバイとしては、妻と弟はほぼ聞き込みの際の主張どおりと裏どりが取れ、
 第一発見者も、あの時現場に向かいに来た女性と、零時前まで一緒に部屋に居た事がはっきりしているうえ、零時直前マンションに入ってすぐ管理会社の人に捕まり、一緒に遺体を発見しているため、何か現場で工作出来たとは考えられないとの事。
 不倫相手についても、彼女の交友関係を詳しく調べたところ、被害者とは別に真剣に交際を考えている男性がいる事が判明。その男性に話を聞きに行ったところ、事件当日の二十二時から翌朝六時まで一緒に居た事を証言。どうやら事件に巻き込みたくなかったらしいとわかる。
 案外そういう面もあったんだ。係長の言ってた事がわかった、と感心した。
「スマホ、パソコン内に残されている内容の解析も進めているが、これといって事件に直接関係すると思われる情報は得られていない。気になるのは、何に使うつもりだったのか、当日スマホで撮った部屋の写真が二、三十枚残っているくらいでしょうか。」という話を聞き、資料見てみたところ、キッチンの写真にリビングの写真など。撮られた日付も確かに、昨日の午前十時とかなんで、この時はまだ元気だったらしい。
 あの部屋売りに出すつもりで、査定用に撮ったのかな、なんて思って見ていたところ、ん?
 ドアに何やらペンで書かれた貼り紙がされているのを見つける。上が切れてて写っておらず読めないが、「につき本日使用禁止」とか。
 何だろうこれ? と思って目を凝らしているところにだったか、
 バンっと強く講堂後方のドアが開けられ、そこに現れた女性捜査員が、「大変です。署のトイレで、本件被害者の奥さんと、不倫相手のかたがどういう具合か出会してしまったようで、トイレでもめています。」と言った。
 ええーっていう感じで立ち上がり、駆けつけてみると、現場はちょっとした修羅場。
 ——絶対あんたの仕業よっ。お巡りさん、犯人はこの女しかいないわ。
 ——なんですってあんたの方こそあの人を殺したかったんじゃないの? この泥棒猫っ。
 ——誰が泥棒猫よ。あんな男欲しくて盗ったんじゃないわよ。このすべた。
 ——キイー。すべたってどういう意味よっ。
 とか言い合い、あいだに女性警官が一人入って、止めてなかったら、髪の摑み合いでもしていそうな勢いだ。
 係長たちはというと、遠巻きにおろおろしているばかりなので、ここは自分が何とかしないとと、それでも「あの女よ。あの女が犯人に決まってる。逮捕して。」とかと大声出す二人に興味津々の人たちの前に出、女性警官に不倫相手が止められてるのをいい事に、なおもあれこれ唾を飛ばして言っている奥さんの被害者、じゃない、被害者の奥さんを止めに行く。
「まーまー。二人とも落ち着いて。離れて離れて。とりあえずここでは他の人があれするのの邪魔になりますから、一旦外に出ましょう」と説得。
 その際奥さん、「私にはアリバイがあるのよ。調べれば私が犯人じゃないとすぐにわかるわ。名誉毀損で訴えてやる。」て言ったっけ。
 そこにどこから現れたのか、「ん、何? どうしたんですか。」と能天気に言う主任と高橋が。それを聞き係長が、「この騒ぎに気づかなかったのか?」と言ったところ、「いやちょっとあっちの男子便所に行ってたもん。」でとか。
 そこから二人も仲裁に加わってくれ、なんとか一段落。落としたペンを拾い、やれやれ——と思った。


 それから数時間後、既に時計の針は二十二時をまわっていたか、刑事課の自分のデスクにてなんとか書類仕事を片づけた自分。なにやらパソコンとにらめっこしている係長の方をちらっと見たあと、一人事件について考えてみる。
 被害者は、リビングのソファーに座っているところを、背後から突然鈍器で殴りつけられた——。
 と、頭の中で、シルエットになった人物が、無警戒の被害者の背後に立ち、花瓶でもって殴りつけるさまを想像しながら考える。
 実際は、昼間、あかりがついた部屋での犯行だったので、そんなはずはないのだが。
 これなら女性でも、男性を相手に致命傷を負わせる事が出来るだろうし——、突発的な犯行と思われるのにもかかわらず、犯人口紅を持っていた事から考えても、おそらく犯人は女性——。
 ていうところまではなんとなく考えていたのだが、夕方の騒動でピーンときた。
 厳密にいうと、ピーンときたというよりは、あれ? もしかして、こういう事かな? ていう感じだったが。
 要するに、洗濯機が深夜動き出したあれは、犯人のアリバイトリックだったんではないか、——ていう事。
 洗濯機など、大きな音がするものを深夜に動かすと、周囲の住民に聞き取られやすい。
 それを利用して、本当は昼間に殺された被害者が、洗濯機が動き出したその時間まで生きていたと錯覚させ、犯行時刻を後方に押し下げようとしたトリック。
 つまり逆にいえば、洗濯機が動いた以後のアリバイを主張した人物こそ、犯人である可能性が高く、アリバイがあるにもかかわらず、自分からアリバイを主張しなかった不倫相手は犯人である可能性は低い。
 よって女性であり、騒動の際零時以後のアリバイを主張した、被害者の奥さんが犯人——。
 奥さん、化粧っ気のない自分ではないと印象づけるため、口紅の細工をしたが、それが裏目に出たんだと結論づけ、頭に、真犯人、竹井香織の顔が大写しになったまさにその時だったか、
 いつの間にか入り口の方に移動していた係長が、今日当直の刑事課員に、「今警察本部の人らが、ホンボシと思われる〈ピー〉に任意同行求めに行ってるから、もうちょっと待ってて。」と言ったのが耳に入り、へ?
 顔を上げたところ、その背後の入り口の前を、二人の捜査員に挟まれるかたちで、がっくりと項垂れて通った、その人物の姿を見て、呆然。
 通り過ぎたあと、思わず係長に、「ええー、なんであの人が犯人? どうして? なぜにっ?」と訊いていました。

 数分後、当直の刑事課員に淹れてもらったコーヒーを手に持ち、椅子を回転させ正面向いた係長曰く、「この事件で一番重要な手掛かりは何だと思う——?」
「それは——、やっぱり、、洗濯機、ですか?」と応えたところ、「そう——。犯行現場の洗濯機がなぜ、犯行後数時間経ってから、動き出したのかっていう事。」とか。
「では、誰が洗濯機を動かしたのか。」
「それはやはり犯人ではないですか。被害者、数時間前に亡くなってたんですし。」
「でもあの洗濯機には予約機能があるで。それなら数時間前に死んでた被害者にも動かせたんちゃう?」と、前に自分が言った事を逆に言われた。
 束の間、そうか、そう言われたらそやな、根本忘れて間違うてた、恥ずかしい、と思ったが。いや、よう考えてみたらちゃう、これは係長のひっかけや、と気づき、「真夜中にですか。」と怪訝な顔して言い返すと、
「そう。普通、わざわざ真夜中も真夜中、深夜零時に洗濯機予約してまわす人なんかおらんよな? ど田舎ならいざ知らず、都会の集合住宅で。という事は、つまり、やはりこんな異常な事をしたのは、事件の犯人いう事になる。ここまではええ?」と訊かれたのでこっくり頷く。
 その際手に持っていたコーヒーをこぼしかけたが。
「ではなぜ犯人はそんな時間に、洗濯機の予約をしたのか——」と言ったのは、いつの間にか部屋に戻ってきていた主任だ——。とはいえべつに、主任が被疑者のうちの一人だったわけではないのだが。
 先ほどの自分の推理から、「洗濯機の音を周囲の住民に聞かせ、少なくともそれまでは、被害者生きてたんじゃないかと思わせ、アリバイを偽装するため?」と応えると、「確かにそれって、他にもタイマー付いてる家電使って出来そうなトリックだし、どこかの推理小説にあっても、おかしくなさそうだけど。本件で使われたと考えるのは、ひとつ不自然やない?」とか。
 まったく意味がわからず、語尾の、やない? やない? やない? が軽く頭の中でこだましたっけ、「え、どういう事ですか。」と訊くと、
「いやだって、それが犯人の狙いやったとして、警察今騙されてる? ちょっとでも犯行時刻誤解しそうになった?」と質問を重ねる主任。
 そのしつこさにうっとなりつつ、「いえ——」と首を振ると、矢継早に「なんで?」と訊かれる。
「それはだって——」に引きずられるように、「被害者が死んでいるのを発見したまさにその時に、洗濯機が動き始めたから。」と言ったはいいが、後半自信がないためか、「到底、被害者が、洗濯機が動き始めた時まで、生きてたとは、思えなかった?」と一語ずつ置いていくように言うと、主任、「ああそうか。確かにそれはそうなんやけど、」と笑った。
 そのため、侮辱かどうかはかりかねていると、続けて「今回はイレギュラー。第一発見者のかたが偶然、洗濯機予約した時間に、必要な品を取りに来るという不測の事態が起こって、まさにその時に死体を見つけてしまったわけやけど。本来、企業経営者である被害者が、連絡つかないのを不審がられて、遺体を発見されるのは、翌朝、九時か十時くらいちゃう?」とか。
「でしょうね。」と応えると、「としたらおかしない?」と問われ、「どういう事ですか?」て訊き返したところ、
「今の人って、ドラマや漫画——、小説は読んでるのかなあ、犯罪ものに触れる機会結構あって、一般の人でも、ある程度死亡推定時刻って知ってると思うんやけど。朝の十時に発見されたとして、その前日の午後十七時かそこらに殺害された遺体を、警察が調べて、殺害時刻の約七時間もあと、洗濯機がまわった午前零時まで生きていたと鑑定してくれるかも、て考える? わかりやすくいえば、たかだか一日弱の発見の遅れで、死亡推定時刻に、殺害時刻を中心に後方に七時間、前方に七時間合わせて十四時間の幅が出るのを期待する——て事になるんやけど、果たしてアリバイトリックを用いようと考えるほど、そういう事に詳しい人が、そんな事期待するかなあ?」という解説。で合ってるよな?
 思わず、「あっ」て声が出ましたね。
 それを返事と受け取った主任か、「つまり、犯人が洗濯機をまわした理由は、アリバイ作りではないという事。」と結論づけた。
 ………………。
「そんならなんで? なんで犯人は洗濯機まわしたりしたんですか。」と訊いたところ、「それはある意味、犯罪者にとって、アリバイ作るよりも切実な問題——」と、どこぞの推理もので聞いたような台詞を言う主任。
 犯人にとってアリバイ作りより切実な問題? そんな事ってあります? て顔しながら、それって、と訊こうとしたところ、その表情を読んだか、横手から、「証拠隠滅——」て係長の声。「それも絶対に失敗するわけにはいかん確実な証拠隠滅」とか。
 それを聞き、「犯人が何か、洗濯機まわす事で証拠となるものを消したって事ですか。」て訊くと、主任が「そう。」
「いったい何を?」と問うたところ、「それの答えはこれ——」と係長、一枚のコピー用紙をこちらに見せた。
「ん? 資料? ああこれって、被害者のスマホかに残ってたっていう写真ですか。」と言うと、係長、「よく見るとここに、につき本日使用禁止、て、ドアの貼り紙に書かれた文字が見えるよな? これ見て何か思いつかない?」と仰り、うーん?
「それなら、外岡ハイツのおばあちゃんに話を聞いた時、事件当日、被害者と会ったって言ってたよね? 何て言ってた?」
 確か——、確か昨日は朝から夕方まであれやったから、飲み物でも買いに行ったんやないおまへんか? 買い物袋手に提げてましたで。うちは前日に用意したりしてましたけど、——とか言ってたっけ。
 これとあの台詞を重ねて考えると、断水——か?
「これってどこ? どこのドアに貼られてると思う——?」と、意識の外から訊かれ、断水につき使用禁止になるドアの中の場所と考えたところで、先ほどに続いての「あっ」——からの「まさか、」
「そう。おそらく犯人は犯行後、尿意をもよおしたんやろ。が、断水でトイレが流せない状況、つまり、トイレにおしっこしてしまったら、それがどうにも現場に残ってしまう状況になってる事に気づいたんや。とはいえ我慢出来そうにない。そのため犯人は、洗濯機をトイレ代わりにした——いう事。」
「近頃の洗濯機には、予約機能が付いてるから、現場を立ち去り、断水終わったあとに、予約で洗濯機の中を綺麗さっぱり洗い流す事が出来ると気がついたんや。トイレにもオート洗浄する機能ついてるものあるけど、それやといつ洗浄してくれるかわからんし、断水終了前に洗浄しようとしたら、壊れてしまいかねん。」という主任の説明。
 これに気づいた捜査本部の捜査員が、マンションの管理会社に確認したところ、「確かに昨日あのマンション、かなり大規模な水道工事があり、朝九時から夕方十七時頃まで全室断水していました。もちろんお住まいのかたには、数日前から集合ポストに告知の書面を投函するなどして、事前に知らせていましたが。」と応えたらしい。
「今回はおそらく被害者が断水前にオート洗浄機能オフにしてたようやけど。」と、洗濯機には疎かったが、なぜかトイレについては詳しいらしい主任が付け足す。
「でもそれならなぜもっと早い時間に、例えば、断水終わったあとすぐ、十七時とかに洗濯するようセットしなかったんですか。」と今自分がどちらの立場に立っているのか見失いつつ訊いたところ、「お前は、他所ん家のマンションの断水工事の時間なんて知ってるのか? というか、マンションの断水工事って大体どのくらいの時間かかるもんなんか知ってたか?」とは係長の言。
 勿論そんな事知りもしないし、知ろうと思った事もなかったため、首を横に降ると、またまた先ほどの資料を指差し、「おそらく犯人が断水について知りえた情報は、被害者が書いて貼ってたこれだけちゃうかな? 断水につき本日使用禁止。」と、写真には写っていない「断水」の文字を付け足して言わはった。
 そうか。確かに犯人としては断水終わってすぐ、なるべく早くに洗濯機を動かし証拠を洗い流したかったはずやけど、とはいえマンションの住人ではない犯人には断水がいつまでかわからず。エントランスとかに確認しに行くのも、カメラに映る可能性あるから避けたい——。よって本日と書かれているのを素直に受け取り、日付が変わってから動くようにセットした——いう事か。
「どの時点で知ったんかははっきりせんけど、おそらく犯人、被害者が今日は休みやと知ってたと思われる。それならあしたまでは誰も来る事はないんちゃうかと、一か八か深夜にタイマーをセットしておいた。て事ちゃうか?」と係長が付け足す。
 なるほどそうか、「はあー。」と息を漏らしたところ、「いやここで感心してても犯人はわからんで。」と係長。
「で、こういう事が出来るのってどんな人——?」と問われるも、まったくピンとこず、禅問答かなにかか、と首をひねったところ、
「いやだから、ドラム式洗濯機に女性が無理なく確実に用足せると思う? 普通に考えて、こうしたと思わん?」と言うその主任のポーズを見て——、「まっ。」とか、謎の言葉が出た。
 そうか。それは確かに女性は厳しい。男性ならでは——といえなくもない。
「て事は、お子さんを産んだ事があり、女性だとはっきりしている奥さんは除外。被害者に、その、君の、あれが、どうとか言われた事のある不倫相手も不可。」と言う係長——ちゃんと意味わかってたんや。
「なるほど。それで被疑者が男性である、第一発見者か、弟に絞られる——て事ですね?」て言ったところ係長、「あ、やっぱり勘違いしてねや。」て苦笑い。
「へ? 勘違いって、何がです?」と訊くと、「いやだから、発見者についてやん。第一発見者の小野怜さんは女性やで。いや、より具体的にいうと身体の性は女性——ていう事になるのかな。」とか。
「えー? あの第一発見者の人が女性? でもあの人、顔にお髭が——」
「ここまでの推察から、もしや犯人男、かもしれんとわかって、捜査本部の人間が、念のため第一発見者に訊いて確認したところ、べつに他人に話しても構わないって言われたそうなんやけど、彼女? いや、彼か? トランスジェンダーに当てはまるのかもって言うてはったらしい。男性ホルモンの注射による処置は受けてて、体毛の質など、男性的に見える部分はあるけど、本人生まれてこのかた手術受けた事ない——言うてたように、まだ性別適合手術は受けてないらしい。よってあそこはまだ女性の形のままとか。恋人にもそれとなく訊いたらしく、おそらく間違いないとの事。」
 ………………。
 暫く言葉を失ったが、絞り出すように、「でも、なんで、係長たちには、あの人が女性かも、てわかったんですか、最初現場で会った時、髭に短髪でズボン履いてて、どう見ても男性、やったのに。」と訊いたところ、なぜか係長少し弱った顔になり、「まあ警察で長年働いてるといろんな人に出会う事あるから、見てすぐにピーンときたっていうんもあるかなあ。」とか。「ただ、自分にも気づく機会はあったはず。」とかとも。
 へ、そんなのありましたっけ? と斜め上見てぽかんとすると、「あったよ。」
「第一発見者の人の身体検査をする際、高橋がしようとしたのを俺が止めて、お前にやるよう命じたし、第一発見者のキーケースに付いてた虹色のキーホルダーからも、推察、出来ると、思うんやけど………………だめ?」とか。
 ああそういえば、確かにあの時、高橋が身体検査しようとしたら、発見者の人ちょっと戸惑った様子を見せたけど、あれってそういう事やったんか。
「なので正確には本人に訊いてみなわからんけど、もしかして、と気づくヒントはあったって事かな?」と言う係長。
「となると、犯人と思われるのは?」と主任に訊かれ、「アリバイのない被疑者の中で唯一、身体的に男性である、被害者の弟、竹井幸司が犯人と推理出来るわけですか。」と言い当てる。

 こうして真相がわかってみると、もとの自分の推理が穴だらけなのに気づく。
 そもそもあの時奥さんが主張していたアリバイは、深夜洗濯機が動いた際のアリバイではなく、死亡推定時刻にあたる昼から夕方にかけてのアリバイか——? 警察が調べたらちゃんとわかる思って言うたんやろけど。案外ちゃんとは確認取りきれず、アリバイ確定にならんなんて思ってなかった、ちゅう事かな?


 とはいえ当然こんな状況証拠だけで、被疑者を逮捕起訴するわけはなく、さらなる入念な裏付け捜査や、被疑者宅周辺の防犯カメラの映像など、物的証拠を積み重ねたうえ、被疑者もぽつぽつと自供しはじめたため、数日後逮捕、起訴された。
 後日、既に管内で起こった別の事件の担当に変わっていた自分と係長と主任に、高橋が捜査会議で得られた供述内容などから、事件の流れを説明してくれたのだが、
「実は被害者の弟、知り合いに結構な額の借金があって、その返済期日が迫っていたそうで、その時、実母が昔見せてくれた指輪の事を思い出したとか。」
「指輪?」
「ええなんでも、後妻にはいる際父親に貰った物で、型が古くはなってるものの、石のみの価値で、かなりの値がつくはず、と言われたそうです。」
 はー。そういう事か。
 被害者が失くしたと言ってた結婚指輪とは別物だよな? てかあの指輪は見つかったんだろうか。
「それを見つけて、密かに売れば、借金を返せるんではないかと考え、犯行の前日ですか、もともと両親が住んでて遺品がそのままになってる被害者のマンションに行き、ちょっと母の遺品の中から写真を一枚探したいから少し部屋に入って探させてもらえないか? と頼んだんですが、どうも被害者来客中だったようで、けんもほろろに一週間後に来いと、追い返されたそうです。」
 うーん。状況から察するに、その時の来客って、不倫相手か——?
「それでは指定された返済期限に間に合わないため、こうなったら実力行使と、被害者が部屋に居ないと思われる翌日の平日月曜日の昼間に、横の駐輪場の鉄柵と屋根を踏み台にして、非常階段からマンション二階に侵入。用心のため手袋をつけた状態で。」
 うーん。なんか初めてにしては、手際が小慣れてる気がしないでもないが。
「母親が使ってた合鍵にて部屋に入り、すぐに目的の指輪が入った化粧ポーチを見つけたのはいいが、なんと被害者、こんな日に限って休みだったらしく、すぐに鍵をガチャガチャ鳴らし戻ってきてしまったそうです。」
「それは焦っただろうな。」て言う主任。
 ていうか、こんな日に限ってって、犯人目線で言ってないか高橋——?
「咄嗟に、リビング横の和室の押し入れに隠れ、一時間ほど粘ったそうなんですが、その、何ていうか、あれ、あれが、あれして、、」
 係長に「尿意をもよおしたんだろ?」と言われ、「そうそう。尿意をもよおし、物音を立ててしまった事で被害者に見つかり、口論になったとか」
「ならなかったとか?」
「いやなったんです。」
 てどうでもいいわ。
 今日は一日休みだから、たまには部屋でゆっくりするつもりで戻ってきたんだ、悪いか? とこの際に言われたらしい。
「犯人も、自分が罵倒されるのは我慢出来たそうです。確かに部屋に勝手に入って、遺品を盗もうとしたのだから。文句は言えないなと、仕事の資料見ながらあーだこーだ言う被害者の小言を黙って聞いていたそうです。」
ふーん。
「ただ、お前ほんまに親父の子か——、という旨の、母をも侮辱する言葉を聞いた瞬間、これまで積もりに積もっていたものもあったんでしょうか、自分でも信じられないくらい、かっとなって、気がついたら、そこにあった花瓶を手に取り、被害者の頭目掛けて振り下ろしていたそうです」とか。
 つまり居直り強盗と関係者による怨恨、どちらの線も当たってたわけか。
「ある意味一番ありがちなパターンやな。」と言う係長の言葉に、なぜか納得。
「あと、口紅についてですが、口紅そのものは持ち出した母親の化粧ポーチの中にあった物らしく。一つ新品未開封の物があったので、それでメッセージ的なものを書き残せば、警察の目を女に、それも最も動機がありそうな、妻と不倫相手に向けられるんでは——、と考えたんだそうです。」
「なるほど。で、トイレについては?」と訊かれ、「ああはい。トイレについてはですね。」と応えた高橋。手帳のページをぺらぺら捲り、「その、口紅の細工をし終えた時、再び猛烈な、その、あれ、あれが、あれしたそうでして、」とか。
 だから尿意をもよおしたんだろ? どうして尿意ってメモしなかった、て思い。
「もう支えがなければ、その場に立っていられないほどだったそうで。あまりのあれに、これは我慢出来そうにない。漏らしてしまうと思ったらしく、トイレに駆け込もうとしたんですが、例の断水の貼り紙に気づき、え? 断水で水流せないとなると、トイレに自分のDNAを残す事になるんでは、と考え愕然となったとか。」
「それはそうだろうな。」
 自分も限界ぎりぎりでトイレ行った時、全部埋まってて、パニックになりそうになった事ある。
「ただ、鑑識の話では、そのような状態の尿からDNAを抽出し鑑定、個人識別にまで至る可能性はかなり低いようですが。被疑者さすがにそこまでは知らなかったようで。」と聞き、「そうなんや。俺も知らんかった。」と言う係長に、え、そうなの? となった。
 とはいえ自分も知らなかったけど。
「現場から抜け出し、近くのコンビニかなにかにトイレ借りに行く余裕はなく。ベランダから外にこっそりおしっこする事も考えたそうですが、指輪探しに和室に入った時、向かいの人が屋上で何か作業をしているのを障子の隙間から見ていたので、断念。」
 そこまで考えての行動やったんか。
「その時、例のトリックというか、用足しの裏技を思いついたとの事。」と説明端折った高橋。「あとは、入ってきた時と同じようにと横の駐輪場の柵を伝ってマンションを出、もし深夜に洗濯機が動く音を、周りの住人に聴き取られたら、断水と洗濯機という二点から、例のトリックを悟られかねないと持ち去った貼り紙や、口紅などを途中のコンビニのゴミ箱に捨てたそうです。」と纏めた。
 すべての話を聞き終え、なるほどそういう事か、納得したあと、「でも、係長たちはどうしてわかってたんですか——」と訊いたところ、
「いや前に寝呆けてて、新しく買ったドラム式の洗濯機にしちゃった事があって。」と言う係長に、「洗濯機じゃないけど、酔って傘立てにしちゃった事がある。」と言う主任——、
「いや。自分は犯人任意同行されてくるまでわからんかったで。」て言う高橋は置いといて、「はあ。なるほど。自分はまったく思いつきもしませんでしたよ。」と言ったところ、「それはまあちょっと、、、女性——の君には、思いつきにくい真相だったかな?」て言われた、、、


   *


 外岡ハイツ二〇一号室——、その薄暗い一隅にて、竹井幸司は、額に汗を滲ませ、不自然な姿勢で身をくねらせながら、込み上げてくる衝動を抑えるのに全力を尽くしていたが、それはもはや限界に達していた。
「あ、あかんもう無理。こ、これ以上はもう一ミリたりとも我慢出来ん。あっ、あああああああああ。こ、こうなったらしゃあない。もうやるほかない、か、」
 そう独りごちると、竹井は、すっと左手を伸ばし、金属製の取っ手をぐっと握りしめ、パカ。
 ずるずる。じょー。
「あーすっきりした——。」と晴れ晴れとした声を漏らした。
 その後これがもとで、逮捕、起訴される事も知らずに…………


——完——


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