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淡々の中に潜むチクリとする痛み




今年に入ってから「あぁ」とか「ふぇ」とか炭酸の気が抜けたようなため息ばかりを排出している私は、30代を独走している。そしてそんな炭酸の気が抜けた私の家族は、しっかり者の母ひとりとなってしまった。母は若くはないので、順序からいえば、私より先に亡くなってしまうのだろうと、考えると心にできた穴に吸い込まれそうになる。
私は祖父、祖母、父の死を肌で感じて悼むたびに気がつくと、心の中に穴ができていた。それは塞がれるのを拒むように心の中を移動している。それの存在を意識して、出くわさないように生きてきたけど、ふいに自分からそれに吸い寄せられるように歩いて行くことがある。私はそんな時、それに吸い込まれないように救いを求めて本を読んできた。


昨夜のカレー、明日のパン
著作 木皿泉  河出書房新社



この小説は、昨夜のカレーはアミノ酸たっぷりで美味しいですよという話ではなくて、優しく遠くに感じる死の匂いと家族の話だろう。


25歳で死んだ一樹の嫁のテツコと一樹の父親のギフ(義父)は、7年間ふたりで同じ屋根の下で、働いては食べ、食べては眠ってと淡々と日々を送っている。
その日常を味わうように、柔らかい文章を食んでいくと「淡々」の中にチクリとする瞬間が潜んでいた。


お母さんも、お父さんも、みんな、自分は死なないと思ってるンだよね。そのことがものすごく腹が立つ。岩井さんも、魚屋さんも、会社の人も、みんな死なないと思ってる。でも死ぬンだよ。
人は必ず死ぬんだからね。


テツコの心の底を叩いて出てくる言葉は澄んだ青い色をしていて、私の胸の打つ。失うものが多いほど、敏感な部分は鈍感という鎧を被り自分を誤魔化して普段を生きている。そのテツコの言葉の裏には一樹の死が薄く透けて見え隠れしていて、その部分をそっと覗いて優しくすくい上げると、私にも凄く共感できる感情が現れた。


それは喪失への恐怖。


「悲しい」の最上級へ到達するとそこには何もなくて、ただあるのは、いずれは誰でも死んでしまうという事実だけだった。けれどこんなに心に穴が開いて頭から爪先までの感覚が麻痺するくらい悲しいはずなのに、テツコもギフも生きている限り、お腹は空くのだ。


パンの焼ける匂いは、これ以上ないほどの幸せの匂いだった。店員が包むパンの皮がパリンパリンと音をたてたのを聞いてテツコとギフは思わず微笑んだ。たった二斤のパンは、生きた猫を抱いた時のように温かく、二人は変わりばんこにパンを抱いて帰った。
悲しいのに、幸せな気持ちにもなれるのだと知ってから、テツコは、いろいろなことを受け入れやすくなったような気がする。



テツコとギフは淡々の中に潜むチクリとする部分を感じながら一樹の死を共に悼み、そして気付かないうちに互いを支え合って生きてきたのだろう。
そしてテツコは知っている。


お風呂に入って気持ちがいいと唸るギフを。

女性の前ではカッコつけたいギフを。

天災に関しては突然厳しい寮長のように権限を発揮するギフを。

気象予報士のギフは雨と予報した日は、信じて傘を持って出た人に申し訳ないから、必ず自分も傘を持って出るギフを。

最後の焼売はドボドボのウスターソースにひたしひたししながら食べるのが好きなギフを。


ギフも同じようにテツコのことを知っている。そんなふたりの「淡々」の中でも、喪失感はそう簡単には消えることはないけれど、ゆっくりと流れる時間の中で、共に支え合いながらそれぞれの人生を進んでいく。
そしてテツコはギフに心の底にできた、前へと進む決意を伝える。


お義父さん。
もういいよね。一樹は死んだってことで。
もう、ここにはいないってことで、もう、そういうことで、いいよね?
ギフは、うんうん、とうなずいた。



遺された人は、その場所には止まってはいられないから、時に弱音を撒き散らしながら、人生といういつ終わるのかも定かではない道を歩いていかなければならない。
テツコとギフは「淡々」の中に潜む絶望と希望をゆっくりと食んで味わいながらこれからもやさしく、やわらかい時間を過ごしていける気がする。


そして私も、これから天涯孤独となっても、「北野、ひとりでも大丈夫や。」とこの本が背中を押してくれるから、限られた時間を母と淡々と生きていきたい。









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