見出し画像

谷川俊太郎 「これがわたしの優しさです」から、我が息子が感じている「死に対する恐れ」について考える

息子は9歳になり時間の流れと死について考え始め
「ママが死んだらどうしよう、僕どうしたらいいの?」と
泣いて訴えることが増えた時期があった。

そして「ママは、ばあばが死んだらどうしよう」って思わないの?
死んでも大丈夫なの?と息子に聞かれた。



私 「わたしは大丈夫だよ」

息子「どうして?辛くないの?悲しくないの?死んだらどうしよう!って思わない?」

私 「わたしは母が亡くなっても大丈夫」



息子からのこの質問について考えるうちに
急激にある詩を思い出した。

確か「あなたが死ぬ時に、、、、こんなに強くなっていいですか?」っていう詩。

そう、わたしがこの詩を読んだのは確か中学生の頃。
この詩の中の「あなた」が詩の主人公の母親に思えた。
そして
この詩の中の主人公「わたし」が、母親の死に直面しても
あまりにも堂々としていることに驚いた。

中学生当時のわたしの感覚では
「身近な人の死に遭遇したら、こわく、辛い、悲しいもの」
「本当にこの詩のように考えるくらいに強くなれるのかな」と感じていた。

いつかこのような感覚になるのかしらん、と考えていたのだ。、、

もう一度詩を読みたくて調べたら
谷川俊太郎さんの「これがわたしの優しさです」という詩だった。


「これがわたしの優しさです」谷川俊太郎 

窓の外の若葉について考えていいですか   
そのむこうの青空について考えても?
  
永遠と虚無について考えていいですか 
  
あなたが死にかけているときに
  

あなたが死にかけているときに
  
あなたについて考えないでいいですか
  
あなたから遠く遠くはなれて
  
生きている恋人のことを考えても
  

それがあなたを考えることにつながる
  
とそう信じてもいいですか 
  
それほど強くなっていいですか
  
あなたのおかげで 

谷川俊太郎 「これが私の優しさです」



あなたが私を産んでくれたからこそ、今、私は存在していて
あなたのおかげで
死が来ることを当然のこととして受け入れられるようになった。
さらには
あなたの死を飛び越えて、私は「自分のやること、興味のあることに集中する」
それほどの強さを私はあなたからもらったんです。ありがとう。

という詩かな、と感じました。


これを今読むと

確かに何年か前実際に父の死に遭遇した時、
ガクッと来たはきたけれど、
天地がひっくり返る!というほどの喪失感は無かった。

大人になって数十年経った自分は
この詩の人物のように“それほど強く”なったのだろう。


しかし息子は恐らく現在の段階では
わたしが死んだら天地がひっくり返ったような衝撃を受ける。

年齢を重ねたわたしにとっては
「死 は 死」だけれども
圧倒的にわたしの心を揺さぶって、何も手につかない!というものではなくなっている。

何故か?

大人になって親から精神的に自立したからだな、と。

息子からの問い
「ママはばあばが死んだら悲しくないの?辛くないの?」に関しては
「ツラい。でも大丈夫。立っていられる。死は避けられない、仕方ない。。(もちろん何ヶ月もせつない涙は続くでしょうが)」という答えが正直なところ。


この詩を読んだ中学生くらいの頃、
こんなに強くなれるのかな、と思っていたわたしは
数十年をかけてこの詩の人物のように強くなれていたのだ。
だから、ばあばが死んでも大丈夫、なのだ。

この感覚を息子にわかってもらえるだろうか。
今夜話してみよう。


少し深掘りして
わたしの育てられ方を考えてみる。

父の子育ての最終ゴールは
この詩の主人公「わたし」のように、
「自分が死んでも動揺しないくらい、精神的に自立した人間になってもらいたい」だった気がする。


とても愛してくれているのは伝わってきていたが、
程よく突き放してくれる人だった。

わたしも自分の息子には
わたしが死んだ時もへっちゃらで立っていてもらいたい。

親がいてもいなくても大丈夫。

自分の足でがっしりと立って、死を「ひとつの当然の出来事」として
正面から受け止めてほしい。

自分の中で消化し、
それをまた自分の強さに変えていける人間になってほしい。


スティーブ・ジョブスも
「死はほぼ間違いなく生命の最高の発明だよね」と言ってましたね。

そういうことなんだろうな。
死は必然。

息子もいろんな経験を積んで
親の死や身近な人の死を目の当たりにした時に、
人生の儚さを感じつつも、
「生きている時が勝負だ、やりたいことをやろう!」に
繋がっていけるようになってほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?