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ハラキリ奇譚 3/4


私が案内されたのは何もない十畳ほどの座敷でした。
「おや、こんにちは」
そこには私の連れと庭園で会った中高年の一団の中にいた瞼の腫れ上がった男性が胡座をかいていました。私は遅れたことをお詫びしました。
「なに、すぐ始まりやしないんだから」
と、瞼の腫れ上がった男性は扇子を扇ぎながら笑いました。

その男性は中曽根と名乗りました。中曽根氏によると、庭園の一団はこの屋敷内で出会っただけであって、元々の知り合いではないとのことでした。彼らは別の切腹を見学しに行ったとのことでした。

中曽根氏に教えられて、この時私は初めてこの日切腹する人は三人であり、驚いたことにそのなかに女性が含まれていることを知ったのです。
「女の切腹は人気があるからねぇ。特に若い女の切腹は」
かくいう中曽根氏も女性の切腹の見学を希望したのですが、定員オーバーでこちらに割り振られたとのことでした。
「男の切腹もいいんだけどねぇ。若くていきのいい子なら」
中曽根氏は含みを持たせた言い方で苦笑しました。中曽根氏の言動からなんとなく私たちがこれから見学する切腹する男性は、英二ではないと悟ったのでした。

それからややあって目の前の襖が開きました。現れたのは、庭園で西洋人の老夫婦を連れていた青年でした。青年は私の姿を認めると、あからさまに顔を顰めました。
「もうすぐお出でになります」
と、つっけんどんに言い放つと座敷の側に控えるように座りました。
襖が開かれて現れた座敷は、時代劇などでよく目にするセットそのものでした。
四書半ほどの座敷の中央には白縁の畳二畳を白絹で巻いたものが敷かれており、その後には白い無地の紙を貼った四曲の屏風が建てられいました。
そこへ慎ましやかに着物の女性が入ってきました。英二にシノと呼ばれていた江戸小紋の女性です。シノさんは両手で三宝を持ち、私たちに一礼すると、座の前に三宝を据えました。それから、青年に向かい合うように座の側に座りました。
三宝には当然のように短刀が置かれていました。こちらはよく時代劇などで目にする白鞘の短刀を抜き身にし、柄を奉書紙で巻いたものではなく、段平風の平脇差でした。三宝の上で平造りのその脇差が鈍い光を放っているのを見て、もうすぐいかがわしい催しが、決して公には認められぬグロテスクな欲望に飽和した見世物がはじまろうとしていることを了解したのでした。
 
それからしばらく私たちは無言のままただ待っていました。中曽根氏の忙しなく風を送っている扇子の音だけが、かすかに耳に届くばかりでした。ほどへて、右の襖が少し開き、一瞬の間を置いて一気に敷居を滑りました。現れたのは六十代ぐらいの男性でした。男性は一礼をする代わりに、じろりと私たちを睨みつけました。そして、ぴしゃりと襖を閉めると、険しい表情のまま座に腰を下ろしました。どうやら切腹するのはこの男性のようでした。私は男性を一目見て、これから始まる催しが、見るに耐えない醜悪なものになるであろうことを確信しました。というのも、まず男性の風采からして見苦しいものだったからです。白無地の小袖に紋無しの浅葱色の裃といういでたちは、このキッチュな場にはいかにも相応しいものでしたが、そのしまりのない体つきは、着物のうえからでも中年太りを通り越した脂肪と肉の塊であることが容易に見て取れました。ついさっき、切腹するために、ひたすら筋力トレーニングに励む英二の姿を想像してゾッとしましたが、このだらしない肥満体を目にすると、むしろ英二の美意識の方が正常な感覚にさえ思えます。
 
目算して背は百六十あるかないかで、短い白髪の角刈りの頭はてっぺんのほうが薄く、地肌が見えていました。細い目に団子鼻がぶらさがり、頬はブルドックのように垂れ下がっていました。言わば、「全く体を鍛えていない陰気臭いアニマル浜口」といった風貌でした。
「村上、これで全員か?」
座の男は私たちを憎々しげに睨み据えたままそう言いました。
「はい、先生」
青年はいくらか恐縮した様子で応えました。先生と呼ばれた男は、傍らに控えるように座る村上と呼ばれた青年に視線を移すと憤懣やる方ないという風に身を震わせました。
「たわけ!」
先生は村上を怒鳴りつけました。唾が四方に飛び散るのがはっきりと見えました。
村上はビクッとしてから、先生に対して少し頭を下げました。私たちの手前、平静を装っていましたが、明らかに怖気づいているのが見て取れました。先生は続けて村上に罵詈雑言を浴びせた後、
「この能無しめが!まともに客も集められんのか!こんな・・・」
と、再び私たちを権柄眼で見据えました。どうやら見物人が極端に少ないことと、その少ない見物人がよりによって私たち三人であることに腹を立てているようでした。さらにそうしたこと全てを村上という青年のせいにしているようでした。
後に聞いた話では、この日切腹する予定は三人、つまり英二と若い女性とこの先生と呼ばれる中年男性であり、屋敷に切腹を見学しにきている来客のほとんどが、当然のように英二と女性のほうに流れていってしまったとのことでした。
「申し訳ありません」
村上は蚊の鳴くような声で謝罪しました。
「だまれ!えー忌々しい!」
先生は村上に唾を浴びせるように痛罵しました。これも後に漏れ聞いたことですが、この先生と呼ばれる男は、この業界では有名な人物であり、切腹に関する書物も何冊か執筆しているとのことでした。さらに今回の催しを企画した主催者がまさにこの先生であったのです。たしかに自ら主宰し、自らがメインのパフォーマーとして企画した催しが、脇を固めるはずの他二人にお客様のほとんどをもっていかれたとあっては面白くないのは理解できます。だからといって、周囲に子供のように八つ当たりして怒鳴り散らしたりするのは、とてもこれから死のうとする人間の振る舞いとは思えませんでした。

不意にスッと先生の傍に寄って、シノさんが耳打ちするようになにかを囁きました。先生は、
「うぬぅ・・・」
と、唸るように唇を震わせました。シノさんが何を言ったのか聞こえませんでしたが、おそらく先生の怒りを宥める類いのことを囁いたのかと思われます。先生は仏頂面のままシノさんに向けて軽く肯きました。
先生は依然として眉間に皺を寄せてはいましたが、いくらか落ち着いたように見えました。
村上という青年もホッとしたように、強張った表情が若干緩んだようでした。
それから顔色を伺うように、恐る恐る
「舞われますか?」
と先生に尋ねました。すかさず、先生は、キッと村上を睥睨して、
「たわけ!」
と再び怒鳴りつけました。
「こんな連中の前で舞など舞ってなんになるというのだ!この大バカ者が!」
先生は村上を叱咤してから、まるで害虫でも見るように私たちを横目で見やりました。
村上は「しまった」という表情を浮かべて項垂れました。その所作があまりにわかりやすく、子供っぽかったので思わず吹き出しそうになるのを我慢していると、中曽根氏が身を寄せてきて、口元を扇子で隠して、
「誓願寺を舞うつもりだったみたいですよ、腹を切る前に」
と、耳打ちしました。
「誓願寺」といえば、清水宗治が、自刃して果てる前に、秀吉が差し向けた小舟のうえで謡い、舞った曲として有名です。先生と呼ばれるこの男は、日本一の武辺者と呼ばれた宗治に自らを投影して己の最期を「誓願寺」の舞で飾ろうとしたのでしょうか?

とまれ、一度は鎮まりかけた怒りがまたたぎり始めてきたようで、先生は仁王のような形相をして、犬のように低く唸っていました。
「先生、そろそろ」
すかさず、シノさんがフォローを入れるように、先生に声をかけました。
「わかっとるわい!」
先生は大量の唾を飛ばして声をはりあげると、もったいぶった様子で懐から短冊を取り出しました。
「ふん、うぬら俗人どもには豚に真珠、犬に論語じゃわい」
そうして、先生はあからさまな侮蔑に彩られた視線を私たちに投げつけました。
中曽根氏がまた顔を寄せて「ご自慢の辞世の句のお披露目ですよ」と耳語しました。どうやら短冊には既に辞世の句がしたためてあるようでした。
「武士(もののふ)の美学を解さぬ凡俗の輩が雁首揃えおってからに」
先生はせせら笑いを浮かべ私たちを見下すだけ見下してから、誇らしげに手にした短冊を読み上げました。
実をいえば、先生の辞世の句がどんな歌であったか正確には覚えておりません。が、だいたい次のような酷い歌だったと記憶しています。

この腹に鋭き刃突き刺せば鮮血飛び散る花咲くごとく

先生はこちらが赤面してしまうような呆れた歌を得意げに数首読み上げました。
そして茫然している私たちを前に、喉彦が見えるほど大きな口を開けて高笑いをしました。
 「凡夫どもが狼狽えておるわ」
先生は大笑いをしながら読み上げた短冊を横に差し出し、村上が恭しく受け取りました。
「後世に語り伝えるがよいぞ」
「御意」
村上は受け取った短冊を掲げ、頭を下げました。そうして、なぜか私をきっと睨んでから、薄気味悪い笑みを浮かべました。
先生はふんと鼻息を鳴らして、
「この世への置き土産に、うぬらに凡夫どもの蒙を啓いてくれよう」
 と小馬鹿にしたように言いました。
すかさず村上が
 「ありがたいことですよ。あんた方、鼠輩に対して先生自ら直々に善導していただけるのですから」
 と、付け加えました。そう言われたところで、私たちとすればぽかんと口を開けるほかはありませんでした。

中曽根氏があからさまに大きなため息をつきましたが、先生は気づいているのか、いないのか、全く意に介することなく、得意げに語り始めました。
ここで先生が語った論説を繰り返しても何の益もありませんので、省略させていただきます。自分は桓武天皇の男系の血筋を引く由緒正しい家柄であることから始まり、元士族の名家ゆえに幼少の頃から武士としての薫陶を受けてきたので、いつでも死ぬ覚悟があることを力説した後に、『太平記』や『北条五代記』などの軍記物を引き合いに出しながら、武士の本懐とは自らの腹を切り裂き果てることだとか、真実に到達するには今すぐ死ななければならないとか、絶対的な美は絶対的な苦痛の果てに現れるとか、死の情動的要素だけがこの世に属する隷属性の一切を解き放つなど、どこかで聞いたことある手垢のついた理念を振りかざして悦にはいっていたことだけ伝えれば十分でしょう。
 「であるからして、わが思想は思想そのものの死を要請するものなのだ。うぬらにはわからんだろうが」
 こんな調子で私たちはおそらく三十分以上、先生の長談義を聞かされました。いいかげんうんざりしてきた頃に、いいタイミングでシノさんが口をはさみしました。
 「先生、もう予定の時刻は過ぎております」
 先生は、まるでいたずらを咎められた子供のような顔をして、
 「わかっとるわい!」
と、何度目かの大声を張り上げました。
 
それから鬱積したような複雑な表情を浮かべたまましばらく虚空を見つめていましたが、意を決してたように小さく頷くと、おもむろに右手を袖の中に入れ、肌脱ぎになりました。そして左手で平脇差を取り、右手を添えると、刀の峰を左に向けて右手に持ち替えました。妊婦のように脂肪で膨れ上がった脇腹を左手で円を描くように撫で始めました。
私はその所作に背中に虫が這うような何とも言えない不快感を覚えました。
フガーと耳障りな鼻息がこちらまで聞こえてきました。どうやら切腹する間際になり大分興奮しているようでした。
脇腹が十分ほぐれたのを確認すると、こちらを見据えました。しかし、その視線は今までのような鋭さはありませんでした。
脇差を持つ右手に左手を添えました。先生はこちらを睨んだまま、
「とくと見るがよい。武士(もののふ)の最後の意地を」
と、強がるように言いましたが、若干声が震えていました。先生はしばらく両手で脇差を持ったままの姿勢で固まっていました。
一二分は不動だったように思います。ようやくして先生は深く息を吐くと、「いやー」とまるで調律の狂った楽器のような調子はずれの声をあげました。そして、間髪いれずに左腹に勢いよく脇差を突き刺すモーションに移ると、血みどろの光景が私の想像のうちでは広がっていました。しかし、現実には刃の切っ先はでっぷりとした脂肪に触れるか触れないかの位置で静止しています。先生は首を傾げながら、脇差を腹から一旦離すと、もう一度脇腹に突き立てる仕草をしました。が、やはり刀は脇腹のギリギリのところで止まりました。先生は三回四回と同じ動作を繰り返しました。それから「タイミングが合わん」と小さく呟き、おもむろに視線上げて、また私たちを睥睨しました。
「うぬらが調子を狂わせるのだ!」
先生は怒号をあげて、大きく首を横に振りました。
「ダメだ、ダメだ、やはりこんな凡夫どもの前で腹は切れん。仕切り直しじゃ」
と脇差を三宝に放るようにぞんざいに置きました。
「村上日程を組直せ」
突然そう言われた村上は阿呆のように口を開けて、「あ、はい」と気の抜けた返事をしました。先生はすでに腰を上げ立ち上がろうとしていました。

                続く

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