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ハラキリ奇譚 2/4

私たちは和室応接室に通されました。
応接室には既に十人ほど待機していました。
やはりみんな中年でどことなく陰湿な感じのする人たちでした。何人か女性も混じっていたと記憶しています。

その応接室は数奇屋風の作りで、仔細に見ると書院の欄間には近江八景を透かし彫りで現していました。
部屋の隅で控えている私たちを案内した江戸小紋の着物の女性に、御手洗いの所在を尋ねると、「ご案内いたします」と、スッと立ち上がりました。
この女性も素っ気ないですが、先程の青年とは違い、どこか気品のようなものが感じられました。女性に御手洗いを案内され、用を足して出てくるともう女性の姿はありませんでした。記憶を頼りに応接室に戻ろうとしましたが、極度に方向音痴の私は広い屋敷のなかで迷ってしまいました。

止むを得ず当てずっぽうに畳廊を歩いていると、ある座敷の奥の人影に目がとまりました。そこは、十畳ぐらいの広さの床の間で、部屋飾りとして床構えをしつらえていました。人影は枯山水に望んでいる濡れ縁にこちらに背を向け、あぐらをかいて座っていました。応接室への案内を請うべきか、束の間逡巡していると、背後に気配を感じたとみえて、徐にその人物が振り返りました。ほんの一瞬、不思議そうな表情を浮かべた後、その男性は私に手招きする仕草をしました。私は妙な好奇心もあって、彼の誘いに応ずるように、近いづいていきました。
というのも、彼の出で立ちからして相当に変わっていたからです。勝色の羅紗のマンテルに紫縮緬紐の義経袴、無地の鷹匠足袋という装いで、傍らには黒石目の日本刀が置いてありました。
鉢巻こそしていませんでしたが、あたかも白虎隊に扮しているような姿でした。そして、近づいてみてはっきりしたことに、彼はその姿に見合った十五六歳の少年だったのです。少年は私を見上げ「検使役の人?」と、尋ねました。私が何のことかわからず、曖昧に返答すると、今度は「見学の人でしょ? 切腹の」と、聞いてきました。
「そうだよ。あなたは? ここでなにしてるの?」
私は応接室への案内を請うのも忘れて、少年の側に腰を下ろしました。
「別に。まぁ、強いていえば、瞑想かな?」と、少年はしずしずと視線を前方に向けました。眼前には、満観峰と花沢山を借景とした枯山水の庭が望んでいます。中心のサンボリックな石と脇を固める石が非対称(アシメントリー)に配列され、絶妙な不調和の美を醸成していました。
そして、波紋に見立てた白砂に描かれた砂紋が、静謐な悠久の「時」を刻んでいるように中央の石から幾重にも広がっていました。
「ニ三十分後に死ぬなんて実感わかないなぁ」
唐突に少年がそう声を放ちました。その口吻は驚くほどあっけらかんとしていました。
私は何となく察していながらもーだからこそ、彼に興味をもったのですがー瞠目して少年を見据えました。
「それじゃあ、切腹するのはあなたなの?」
少年は返事をする代わりに少し恥ずかしそうに微笑を浮かべました。それから、枯山水の庭を見つめたまま、
「死を前にすれば、悟りの境地に達するかと思ってたけど、普段となんにも変わらない」
と、自嘲するように言いました。
観光地の着付け体験のような印象しか持っていなかった少年の白虎隊に扮した姿は、忽ちにして現実的な悲愴味を帯びてきました。
「どうして切腹なんかするの?」
少年は「どうして」と、私の言を反芻してから、ややあって、
「やっぱり切ってみたいからだな。痛いのは嫌だけど、それ以上に自分の腹を思いっきり切ってみたい」
と、幾分熱をいれて応えました。私は改めて少年の顔を見ました。
どこにでもいるようなあどけなさが残る男の子のです。
とてもそんな恐ろしいことを考えているようには見えません。
「俺、小松っていうんだ。小松英二」
と、少年は独り言のように言いました。自ずと私も自分の名前を告げました。
それから英二と名乗る少年となにやら世間話をしたように記憶しています。幼少の頃に両親をなくし、天涯孤独であること、驚いたことに彼は成人しており、私よりも年上であること(尤もこれは後に彼の虚偽だと判明しましたが)、白虎隊の格好をしているのは、特に白虎隊が好きなわけではなく、純粋に見物客からのリクエストに主催者側が応えただけであって、それ以外の理由はないことなどを話してくれました。
「白虎隊の自刃の話にはそんなに惹かれない。それよりも面白い切腹の話はたくさんあるよ。例えば氏家兄弟のエピソードとか」
 と、英二と名乗った少年は少し得意げに言っていました。

氏家兄弟の切腹のエピソードは、当時の私は知らなかったのですが、新渡戸稲造の「武士道」にも引用されている有名な話だそうです。英二は聞いてもないのに、その逸話を詳しく話してくれました。長くなるので詳細は省きますが、家康暗殺に失敗した氏家兄弟は名誉の切腹を命じられ、末弟の八歳になる八麿までが連座制により、切腹をすることになります。いざ切腹の局面では、切り損じないように二人の兄たちが見届けるべく、先に腹を切るように八麿をほどこしますが、八麿は切腹の作法がわからないので、兄たちの作法を見てから続きたい旨を伝えます。
兄たちは感心し、八麿を挟んで左右に座して順に八麿に切腹の作法や注意点などを諭しながら自らの腹を切ります。八麿は兄たちの教えに従い、晴れて見事に切腹して果てます。大筋はこんな話だったはずです。直接的には関わりないにもかかわらず、兄達の咎の連座による切腹を当然のごとく甘受して、あまつさえ名誉の行為として、幼い八麿が切り損ずることなく立派な最期を遂げたこと、つまり「死ぬ事と見付けたり」という武士道の精神を年端もいかぬ幼少のものまでが完遂したことこそが、このエピソードの重要なポイントだと思われます。事実、後年書物で知ったことですが、「明良洪範」や「自刃録」でもこの話は引かれ、八麿の武勇をたたえています。
十五六歳の英二と名乗るこの少年もやはりそのあたりになんらかの美しさや尊さを見出したのでしょうか? そして、いつしか自らも八麿のように勇壮に腹を切りたいと思うにいたったのでしょうか? しかし、武士道の厳格さや悲愴さに憧憬の念を抱くことと、現実に自分の腹を切ることは、あまりにも乖離しているように思います。

「ああ、暑いなぁ」
英二は氏家兄弟の話を終えたタイミングで、徐に勝色のマンテルを脱ぎ出しました。白木綿の筒袖姿になった彼は、前も開けて衿先を指で摘んで扇ぎはじめました。ギリシア彫刻のような見事なシックスパックの腹筋が純白(ましろ)な筒袖の衿から隠顕していました。細身のうえ撫で肩であったことから華奢な印象を持っていたため、鍛えられた腹筋を見せられたときはたしかに意表をつかれました。けれど、それよりも自慢の肉体を誇示するためにこれ見よがしに服を脱いだ彼の所作を可愛らしく感じたのでした。
「鍛えてるのね。すごいわ」
私は半ば義務感から英二の肉体を褒めました。
英二は、はにかみながらも、
「全てはこの日のためさ」
と、感慨を込めたように言いました。
「この日のためって......どういうこと?」
私の素朴な問いかけに英二は、
「だってだらしない体で死んだらみっともないじゃないか。だいいち、俺の美意識に反する」
と、どうしてそんな分かりきったことを聞くのだと言わんばかりに半ば呆れたように応えました。彼ぐらいの年齢で体を鍛えるとすれば、部活のトレーニングとか異性にモテるためとかが普通です。私は自分の腹を切って死ぬためだけに、ひたすら一人筋トレに励む少年の姿を思い浮かべて、そのあまりに非現実的な情景に気が遠くなるような思いでした。

私は傍らに置いてある黒石目の刀に目を向けました。
「それで切腹するつもり?」
英二はきょとんとした顔をして私を見た後、「ああ、これのこと?」と、刀を手に取って、素早く鞘を払い、あたかも敵を眼前にしたかのように構えました。午下がりの春の陽光(ひかり)のなかに突然現れた氷柱のように白刃が青白く輝きました。
と、同時に腹を切って血塗れになった少年のイメージが閃光のように私の眼裏を駆け抜けました。
「これは模造刀。偽物だよ」
そう言って英二は白い歯をこぼしました。
その刀が偽物だとわかっても私が一瞬のうちに垣間見たむごたらしい幻の残像は消えはしませんでした。
「そもそもこれが本物だとしても、こんな太刀で切腹しないよ」
と、英二は無邪気に笑いました。私が黙っていると、英二は刀を鞘に収め、すーっと息を吐き私を見つめました。既にその顔から笑みは完全に消えていました。
筒袖に義経袴の恰好で私を見つめる英二の顔には、彼の意に反して、死を前にした白虎隊士を思わせる悲愴な凛々しさが見て取れました。その時でした。だしぬけに英二が私の手の甲に自分の手を重ねてきたのは。びっくりして反射的に手を引っ込めようとしましたが、がっちり上から押さえてつけられてかないませんでした。
「よかったよ。見物客にあなたがいて」
そう呟いて英二はなお私の手を強く握りしめました。
「ちょっと、痛いってば」
英二は私の抵抗を無視して無遠慮に顔を近づけてきました。少年の顔は紅葉を散らしており、眸(ひとみ)は潤んでいました。
「姉さん、俺がお腹を切るところちゃんと見ててね」
それはまるで幼児が母親に甘えるような口振りでした。ついさっきまでの若武者のような精悍さは微塵もありませんでした。

義経袴のある一点が盛り上がっていました。英二は勃起していたのです。
 
ここで断っておかなければなりませんが、私はこの少年の切腹を見ておりません。
あとで知ったことですが、この日切腹する人は英二を入れて三人であり、私たちのコースでは彼ではなく別の人の切腹を見学することになっていたのです。
 この時はそんな事情を知る由もありませんでしたので、私は英二の異様な情熱に押され無言のまま頷くしかありませんでした。

「こちらにいらしたのですか」
思いがけず背後から女性の声がして、振り向くと例の江戸小紋の着物の女性が立っていました。着物の女性はいつまでたっても帰ってこない私を探しにきたのでした。
「お連れ様がお待ちでございます」
私はそそくさと立ち上がり、
「すいません、迷ってしまって」
と、謝りました。女性はそれには応えずに、英二に向かって、
「あなたもそろそろ準備なさい」
と、促しました。
英二は、
「わかったよ、シノさん」
と、応えて立ち上がりました。既に英二の顔は凛とした表情に戻っていました。 シノと呼ばれた着物の女性は、ついてくるようにと私に視線を送りました。私は英二に「それじゃあ」と、声を掛けましたが、彼は黙殺して目を逸らしました。私は気まずいのかと思い、それ以上声をかけずにシノさんの後に続きました。部屋を出る際に、もう一度英二を一瞥しましたが、彼はこちらを背にして枯山水の庭を眺めていました。それが私が見た英二の最後の姿でした。

                  続く

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