中村憲剛


あなたにとって、ヒーローとは誰だろうか。
1人の人間に、人生を変えられた経験があるだろうか。

好きなアイドルかもしれないし、好きな作家かもしれない、好きなバンドかもしれないし、身近にいる誰かかもしれない。

高校1年、小学校3年生から続けていた野球を、怪我で辞めることになり、くすぶっていた。
ある日、ニュース映像から流れてきた、中村憲剛、その人のスルーパスを見た瞬間、何かが変わった。
サッカーなんて体育の授業でやったレベル、何がすごいかなんか分からないが、とにかく目を引く何かがあった。
そこからは早かった。
それが中村憲剛であるということ、川崎フロンターレというチームがあること。
夢中になり、結果を気にするようになり、親に頼み込んでスカパーを契約し、毎週試合を観るようになった。

高校2年、初めて一人で夜行バスに乗り、神奈川県川崎市、等々力競技場に向かった。
フロンターレを、中村憲剛のプレーをこの目で観るために。
そしてその背中に魅せられた。
もう、オーラが違った。
身体を入れてボールを奪い取るシーンを未だも鮮明に思い出せる。

大学受験、神奈川に住みたい、下宿するなら国公立、簡単に目標は定まった。
そんな理由で大学を決めて、死ぬ気で勉強した。

センター試験で、過去のどの模試よりもいい点を叩き出し、なんとか合格し、神奈川県民となった。
スタジアムに通ううち、ボランティアスタッフの存在を知り、スタジアムで働き出した。
大好きなチームの手伝いが出来る、選手を間近で感じられる、ご年配から高校生まで、同じチームを好きという繋がりだけで、一緒に活動し、皆さんに可愛がってもらい、本当に貴重な経験だった。

サッカーチームで働きたいという漠然とした思いから、バイト代を貯めてスポーツビジネスを学べる場所に通ったりもした。

「好きなチームのために、横浜の大学を選んだ」
我ながら素晴らしい選択だと思う。
就活でもいいネタになったし、今でもウケは悪くない。

就職して、地元に戻る選択をしてからも、フロンターレはずっと心の中にあって。
地方銀行に決めたのだって、フロンターレと同じように、「地域のために働く」理念を仕事にしたかったから。
あとは、Jリーグクラブは財政的に経営厳しいところが多いから、いつかどこかの力になれるかもしれないって、笑わられるかもしれないけど当時は本気で思ってた。

2017年、シルバーコレクター、無冠ターレとか揶揄されてたチームが初めて優勝した。
憲剛がピッチに突っ伏して動けない姿を見て、涙が止まらなくて。
20代そこそこの若者でも、ああ、俺はこの瞬間のために生きてきたんだなって本気で思った。
憲剛が報われて本当によかった。

そこから、2018年の優勝。
2019年のカップ戦制覇。

こんな幸せなことはないと思いながら、詳細は語らないけど、プライベートでは大きな出来事があった。
今でこそ笑い話に出来るけど、2018年から2019年にかけては人生どん底で、大袈裟でもなく、血迷って自死を考えるほどの時期だった。

もう人生どうでもいいかなとか思った時、憲剛が大怪我を負った。

前十字靭帯、年齢、色んなことを考えると、引退しもおかしくないタイミング。
それでも、ピッチに戻るという決意を聞いた。
あぁ、この人がピッチに戻ると言ってる以上、それまでは生きなきゃいけないな、その姿を見たいなって心から思った。

そして2020年。
俺はなんとか生きている。
憲剛は戻ってきて、復帰戦でゴールを決めた。
40歳のバースデーゴールも決めた。

そして今日。
いつかは来ると思っていた日は、唐突に来てしまった。
死ぬほど泣いたけど、この涙は悲しい涙じゃなくて、心からの感謝の涙。

あなたのせいで進学した街で大切な友人たちと出会い、素晴らしい日々を過ごせたこと。
どん底の悲しい出来事があっても、なんとか前を向けたこと。

SHISHAMOの明日もという曲は、フロンターレのための曲なんですけど、我々サポーターはいつもこんな気持ちです。

憲剛が40歳になるんだから、そりゃ俺だって歳取るわけだ。

無名の大学生が、こんな選手になるんだもん。
39歳で靭帯やられても、復帰するんだもん。
何歳になっても、目の前のことをコツコツと。
人生の指針はこれからもあなたです。

今シーズンはまだ続く。
リーグ優勝して、喜ぶ姿を見るまでは死ねない。
1/1、天皇杯決勝で輝く姿を見るまでは死ねない。
そして、中村憲剛が監督として戻ってくる姿を見るまでは死ねないな。

中村憲剛は、今までもこれからも俺の人生。

だから、中村憲剛という選手が好きだったと、胸を張って言える日々を過ごしていかないといけない。

あなたのファンとして、恥ずかしくない日々を送らなければいけない。

読み返したらきっともっと書きたいことはあるんだろうけど、今日、とにかく形にしないといけないと思って、文章を書きました。
人生の約半分、あなたとともに歩んでこれて、本当によかった。

あなたのおかげで、今の自分があります。
現役生活、お疲れ様でした。
本当にありがとうございました。

#ケンゴありがとう
#OneFourKengo
#中村憲剛
#川崎フロンターレ

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2022/2/11
憲剛の映画を見てきて、この記事を思い出しました。
このnoteを書いてから1年半。
結婚もして、人生が動き出した。
憲剛に生かされたから今がある。
子供が出来たらフロンターレの英才教育をしよう。
初優勝のシーンは、何度見ても嗚咽するほど泣いてしまう。
フロンターレの歩みと、中村憲剛の歩み。
葛藤しながらも、前向きに捉えて生きていく。
今の自分の立場で、仕事でもプライベートでも、憲剛だったら、フロンターレだったら、と思いながら選択をしていくことで、人生が豊かになると信じて。

https://youtube.com/watch?v=n09HqlZYhEk&feature=share










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