見出し画像

おしゃべりは、いつもふたりで(3)

『二本足サイド(1)』

「あら、きなこチャン。お久しぶり、元気ぃ?」

頭のてっぺんから噴出したような高い声で、母はきなこにあいさつをした。

「相変わらずゴージャスなしっぽねぇ。襟巻きにしちゃいたい」

シルバーフォックスの襟巻きを外して壁のハンガーにかけながら、うふふと笑う母。彼女を見るきなこの視線はいつにもまして冷たい。

「で? こっちの黒いうさチャンは……さくらチャンだった?」
「道明寺だよ」
「ああ、そうだったわ。アナタ、桜餅は道明寺派だものね。葉っぱばかり食べる子だったのよ。虫みたいに」

母は大きな紙袋とビニール袋をソファに投げ出して「それ、お土産ね」と言い捨てると、待ちきれないようにうさぎ用ケージに手をかけて、長くてふさふさのつけまつげをバサバサと動かした。

「檻、開けていい?」
「ダメ。うさぎはナイーブだから、道明寺がこっちに興味を持つまで待って」
「なぁんだ、つまんない。うさぎって猫より手触りがいいっていうから、楽しみにしてたのに」

キラキラしたストーンをいくつもちりばめた爪の先で、母はケージの端をとんとんとたたいた。だが道明寺はこれまで経験したことがないであろう派手やかなオーラに怖じ気づいたらしく、ケージの中に設置したワラの小部屋にこもったまま、出てくる気配がない。
かしこい。
私も、許されることならそうしたい。

「かの子チャン、あたし、コーヒーね」

母はダイニングチェアに腰を下ろすと、まるでトイレに入ってズボンを下ろすが如く、いたって自然な流れでスマホを取り出し、テーブルに肘をついてそれをいじり始めた。アゴがあがってシワひとつないきれいな首が恐竜みたいに上向きにのびている。
本を読まず、字も書かなければ、年をとっても首にシワが寄らないのだろうか。それとも、日々アンチエイジングに苦心して、クリームを塗ったりマッサージをしたりしているのだろうか。そんなマメなことが続けられる性格とは思えないけれど。

「それにしても、なんだか嬉しいわぁ」

母が意味ありげににやりと笑った。

「何が?」
「興味を持つまでこっちから近づくのを待つ、なんて言葉が、かの子チャンの口から聞ける日がくるなんて、ねぇ」
「うさぎの話だよ」
「一緒じゃないの、うさぎも人も。男は男よ?」

出た。何でもかんでもピンク色に話を染め上げようとする、恋愛体質発言。さすがにこの年で頬を染めるような初々しい真似はできないが、いくつになっても居心地悪いことに変わりはない。
この人と血のつながりがあるなんて、何かの間違いにきまっている。実家に住んでいる頃から何度そう思ったことか。けれど何をどれだけ調べても、そんな証拠はひとつもあがらず、わかったことといえば、レースがもりもりに盛られたベビー服を着たことがあるという私の黒歴史だけだった。
私もいつしか母のようにキラキラヒラヒラした生き物になるのだろうか。想像するだけで胃の辺りがこむら返りを起こして今にも膝からくずおれそうだが、突然変異ということもあるわけで——など考えていたら、母の声が思考にカットインしてきた。

「で、どうなの? 彼氏とか結婚とか、なにかおもしろい話は?」
「ミルクと砂糖は?」
「なしでお願い」
「じゃ、私もなしでお願いします」
「なによ、それ」

ドリップしたコーヒーをジャグの中でひと混ぜして、私はふたつのカップに等しく注いだ。真っ黒い液体からほんのりと甘みを含んだ香りが立ち上り、思わず口元が緩む。いつの間にか母もスマホを脇に置き、カップを嬉しそうに覗き込んでいた。

「いい香りねぇ。あっ、ケーキあるわよ。お土産に買ってきたの。千疋屋のフルーツケーキ。あれ食べましょ」

千疋屋?
ここ数年、お店の前を通ることはあっても、私の喉を通った記憶のないあの千疋屋がこの部屋に……!?
思わず満面の笑みで母を見ると、母もうんうんと頷いて——がば、と立ち上がった。いきおいで、椅子が床にこすれて嫌な音が部屋に響く。
ワラの小部屋から顔だけ出して様子を窺っていた道明寺は慌てたチンアナゴみたいに首を引っ込めてしまった。ケージの横でうとうとしていたきなこは半目を開けてこちらをにらみつけている。

「なに? どうしたの?」
「ケーキ……忘れてた。まったくもう、なんで、私は……!」

母はばたばたとソファに駆け寄り、さっき放り出した紙袋の中から白い紙箱を取り出した。側面には千疋屋のロゴが入っている。

「袋、いらないわ、ってこっちにまとめちゃってたのよね……ああ、だからエコって苦手なのよ。前も同じことやっちゃって」

エコもとんだとばっちりをくったものだ。
けれど、私は母を責める気にはなれなかった。
ケーキをわざわざ買ってきてくれたから、というだけではない。
過去にもやった失敗を繰り返して、自分にがっかりする。きっとうちはそういう血脈なのだろう。
私は、母の肩に手を置いた。

「大丈夫だよ、食べよう?」
「かの子チャン……ありがとう」

はい、と渡された箱の中をのぞくと、ぐにゃりと歪んだロールケーキが入っていた。中のバナナがすこしはみ出している。これを道明寺にあげれば、すこしは母と打ち解けるかもしれない。
私はケーキを切り分ける前に、はみ出たバナナを一かけつまみあげ、クリームをきれいに流して、ケージの前で鼻歌を歌っている母にもっていった。

*-*-*-*

---
2018/03/10 初稿
2018/05/28 微修正、かつ改題。『3月10日(土)~二本足side(1)』から『おしゃべりは、いつもふたりで(3)』とし、本文冒頭にサブタイトルを挿入。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?