ダイアログ

音のない世界の方が、なぜ自由に話せるのか。

部屋を冷やすクーラーの風の音、パソコンのキーボードを叩く音、私の周りには音があふれ、日常生活で音の無い空間は存在しない。

目の前の人に何かを伝えたいと思えば、声に出して言葉を相手に投げかける。言葉でコミュニケーションをとっても、『人は見た目が9割』通り、まったくの言葉だけからの印象はたったの7%で、残りの93%は身ぶりや表情、声のトーンなどが影響している。

そう。言葉を大部分の要素としてコミュニケーションをとっている気になっているだけで、相手に伝わっているのは言葉ではない。

人と話すこと、人に伝えること、言葉の力について興味の真っただ中で出会ったこのイベント、何か糸口が見つかる気がして開催を楽しみにしていた。

『ダイアログ・イン・サイレンス』(https://www.dialogue-in-silence.jp/)は、音のない世界で、言葉の壁を超えた対話を楽しむエンターテイメント。体験を案内するのは、音声に頼らず対話をする達人、聴覚障害者のアテンド。参加者は、音を遮断するヘッドセットを装着し、静寂の中で、集中力、観察力、表現力を高め、解放感のある自由を体験します。(引用)

参加者は12人ほどのグループになり、90分間、これから始まる体験の運命共同体となる。

母国語が異なる人とでも、音が遮断されてしまえば言葉は壁にならなくなる。たまたま同じグループには、ほとんど日本語が分からない外国人と、少し理解できる外国人、夏休み中の小学2年生の男の子とその父親など、多種多様な人が集まった。

入り口で、のどにネジ巻きのカギをかけ『言葉』を封印し、(もちろん手話も禁止)、ヘッドセットを装着していざ、音のない世界へ。

参加者やアテンドとプログラムを進みながら、静かに自分と対話する。

体験が始まって、言葉が使えなくても、参加者やアテンドと情報を伝えあうのに、不思議と不便さはそこまで感じず、思いが伝わらないもどかしさもおそってはこなかった。

自分をとりまく音から一時的に離れてみて、無理に言葉を探し出さなくていい安心感が、ほんの少し心の中にあることに気付いた。

うまく気持ちを変換できない言葉のわずらわしさから解放されて、言葉を使わないコミュニケーションをとる時、心が軽く、手や目が普段以上に動いてしまっていた。

たしかに見えた言葉の壁が、音のない空間では跡形もなく無くなっていた。

体験を終えて感想を共有する場所で、音を手にして、言葉を話したとき、見えなくなっていたはずの壁は、また現れていた。

日常では見えない壁が見えたことで、私は自分の意識が作り出す壁がコミュニケーションを邪魔しやすいのだと分かった。

言葉に対する、うまく扱えていないとうつむく気持ちも、自分が勝手に作り出した幻影に踊らされていただけ。

音のない世界で、コミュニケーションがとりやすいと感じたのは、壁を作らなかったから。壁さえなければ、音のある世界でも自由にはなれるんだと可能性が見えた気がした。

伝わる文章練習中です。サポートしてもらえたら、小躍りするくらい喜んで、また書きます。