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No.20 母の家

へっぽこ娘

 私たち兄弟は母には何も伝えずに自分たちの判断で母の特養入居を決めた。認知症が進んでいる今の母の状況からするとそれは仕方のない事と思いながらも、少し後ろめたい気持ちは否めなかった。このまま何も伝えずに入居させるのはさすがに失礼であると思い、入居日までに伝えられればいいなとは思っていたが、それを知った母がどのような思いになるのか想像できず、少し怖い気もしていた。どのように伝えたら母が傷つかずに受け入れてくれるのかも含めて伝えるタイミングを見計らっているような日々が続いた。

 母はこれまでにも娘の嫁ぎ先の家で一緒に暮らすことに対して、何かにつけて「申し訳ない」とか「私はここにいるべきではないから出て行く」と言うことがあった。今より認知がしっかりしていた頃は、みんなで話し合った結果、母が望んだから私と同居したことを思い出させるために丁寧に説明するとその時は納得するのだが、少しするとそれを忘れてしまい、また同じことを繰り返し言うような状態だった。

 認知症が進んでからは自分の部屋で寝ることを嫌がることもよくあった。誰かが窓から入ってくるとか、物が盗まれると言っては「自分の部屋で寝るのは嫌だから2階のリビングで寝る」と言ったり、「ダメならこの家を出て行くわ」とまで言っていた。そんな時は「私が見張っているから大丈夫だよ」と言って納得することもあれば、それでも納得しないときには「そのうちお母さんの住む家を見つけるから少し待っていてね」と言って何とかなだめたこともあった。

 要するに母はうちで暮らしていることに対して、心の底から喜んでいないという現実があった。このことに関して私は、同居を提案した責任も感じ、申し訳ないと思う気持ちと母も納得して望んだのに今さら言われても困るという2つの気持ちの狭間で心がいつも揺れ動いていた。

 ところが、このことが入居を説明するためのいい材料となった。入居が決まった数週間後、そのタイミングは急に訪れた。その日も母は自分の部屋の西側の窓やカーテン、南側の掃き出し窓やカーテン、その外側についているシャッターをいつものように開けたり締めたりしていた。その音が2階の私の部屋まで響いてくる。その後私を呼んだと思ったらいつものようにあれがない、これがないと訴えてきた。私が知らないと答えると「誰かに盗まれたんだわ」と言い「だからこの家は嫌なのよ、もう出て行く」といつものように言い出した。

 今だ!とその言葉に反応した私は「お母さん、いつもそう言うから私お母さんの住む家をずっと探していたのよ。そうしたらすごく良いところが見つかったの」そう伝えるのが精一杯だった。母は「あらそうなの?」とひと言。「新築なんだよ。素敵なところだよ。お世話してくれる人もちゃんといてくれるの。良かったね。今度一緒に見にいこうね」そう言うと、まんざらでもない顔で「わかったわ」の返事。どんなところかさらに詳しく聞くでもなくその会話は終わった。ただ一つだけ家賃が心配だったようで、「お母さんの年金で払えるから大丈夫」と言ったらとても安心した様子だった。

 きっとこの会話も明日になれば全部忘れているだろう。でもとりあえず、何も話さずに入居させることだけは避けられたので、私の気持ちは少しだけ軽くなった。


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