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親子対決の果て

教会長:レディー・おカカ


先日、3年ぶりに主人と娘と3人で温泉に行ってきました。このご時世、三人の休日を合わせることが出来たのはラッキーなことです。冬の温泉で身も心もほっこりと温められ、解されて帰る頃。チェックアウトの時間が迫り、部屋を片付け見回して、私の一言「うーん、片付け早いね。〇〇、みんなやればできるねぇ…」すると、娘が「何を言ってんの。自然なことですよ。余計なことしなければ…」と、穏やかに笑いながら申すわけです。心がやんわりして一気に回想録が出現。娘の思春期、壮絶な部屋掃除の親子対決は、なんだったんだろうと。主人が支払いをしている間、しばし母娘で振り返りワーク。

その頃、子どもは思春期、私は親春期とでも言いましょうか、娘をコントロールしたかったんですね、私。ちゃんと育てなければとの親使命感の頂点でした。彼女に自分の部屋の掃除をキチンとしてもらいたい、それをさせるのが親の役目と思っていました。今でも覚えている彼女の言葉「私、チャンとできるから。勝手にやらないで、自分でするから」と。待ちきれずに掃除してしまった私を一瞥することなく、絞り出すように、でもはっきりと。娘の主体性、自主性、彼女の尊厳の叫びだったと思います。とても、尊いものに触れた感じがしました。

そういえば、幼稚園に入る前頃でしょうか。何でも自分でやると、「私、自分でやる。ママ、いいの。自分で」と。娘のあの一言が大切なものを大切にしていなかった自分に気づかせてくれました。ガチガチに気負っていた心を打ち砕いてくれたように思っています。その時から、徐々に手が離れ、追いかけまわすような目の働きも減っていったのではないかと思います。娘の持ち前のエネルギーを信じること、尊厳を大切にすることを。我が子であっても、目の前の人を大事にするという事の大きな学びでした。

彼女曰く「お母さんが言うほど私は覚えていないけど。」娘の成長に、深謝のひと時でした。


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