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No17.私が私で居られる場所

母はデイサービスから帰って来ると必ず私を探す。それは子どもが学校から帰って来て一番初めにお母さんを探すのと同じだなと微笑ましく思えるときもあるのだが…。
在宅ワークの日は私が家にいるのでそれでいい。問題は出勤日。デイサービスに行った母は私より2時間ほど前に帰宅する。すると真っ先に2Fに上がり、リビングに私の姿がないと手あたり次第部屋のドアを開けて私を探すのだと先に帰宅している主人が教えてくれた。それは、いつも帰るとトイレのドアや、すべての部屋のドアが開けっぱなしになっていることからもわかる。ああ、今日も私を探したのだなと思う。朝「今日私は出勤だから帰ってきた時いないからね」と言ったことなんてすっかり忘れ、小さなホワイトボードにメモを書いて出かけても見ちゃいない。それも理解できる。仕方ないよね。ドアの開けっぱなしぐらいなら私だって余裕で許せるんだ。
以前ここで話したように私の部屋のドアには母が入らないように簡易的なカギをつけた。ところがあの時から2度もその鍵をお見事に壊されてしまった。私を探す一心からとはいえ、90歳になろうとしているおばあさんが出すような力ではないと少しゾッとする。そこから再度知恵を絞り考え出した別の方法で部屋に入れないようにしたが、つい先日それさえも壊されてしまい、その時はさすがに堪忍袋の緒が切れてしまい、母を怒鳴りつけてしまった。
その翌日も出勤だったので明日はどうすれば母が部屋に入らないかを長い時間をかけて考えた。途中ふと我に返り「私はいったい何を考えているんだろう」とばかばかしく思えて情けなくもなる。それでも考え続けて、とりあえずの方法で翌日は事なきを得た。
職場の同僚からは「逆にいつでも入っていいんだよって初めから開けっぱなしにしておいて、娘がいないってわかればあきらめるのでは?」と提案された。なるほど…と思いながら、何とも言えない気持ちが湧いてきた。その言葉で自分の執着がハッキリと見えたからだ。私の中に「部屋には絶対勝手に入って欲しくない」という強いこだわりがあることを自覚した。母が私を探すのと同じくらいの強い気持ちが私の中にあるように思えた。
「何でこんなに嫌なんだろう」と自分に問いかける。念のため言っておくが、見られて困るようなものがあるわけではない。でも母の認知症が進んでからは、職場のパソコンをいじられたり、バッグやお財布を勝手に開けられたり、タンスの引き出しを開けられたりすることが何度もあった。気がつくと母が平気な顔をして私のバッグを持っていることさえ数回あった。そんなことが私はすごく嫌なんだと思う。こんな風に思ってしまうのは私だけなのかなぁ。誰かに聞いてみたい気もする。
お互いが嫌な気持ちになるのを少しでも回避したくて懸命に考えている私なのかなと思うが、正解は見つからない。

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