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読書日記「愛がなんだ」

角田光代著「愛がなんだ」

映画がちょっと気になっていたところ、原作が角田光代さんだと知り小説を読んでみた。恋愛で、いわゆる都合の良い人になってしまう人をさすがの描写力で書いていてところどころで頭が真っ白になった。
主人公の山田テルコは、好きになった人(そしてちょっと恋人っぽくなった人)・マモちゃんに執着し、彼からくるあらゆる自分本位な依頼を「ちょうどよかった、私もいま」と返事をしてほいほいと引き受けてしまう。お金も時間も仕事も、自分の人生をすべて犠牲にして、自分を本当には愛してくれないマモちゃんに捧げてしまう。

こういうのって「男がずるい」という話になるし、実際そうだろうと思うし、色々過去を思い出すと爆竹を鞄にしのばせて丸の内線に乗りたくなったりもするけど、山田テルコの行動はやっぱり愚かだよね、と思った。仕事はやっぱり辞めちゃダメなんだよね、ふふふ、などと思いながら読んでいた。
自分の友達やメイがこんな風になったら怒るわよ。なんか胸に沁みるのかしくしくするわ。目にも沁みるのか涙が出そう。なんとなく他人事で読み進めていたら、私の中のリトルらに子が何かを言っているのが聞こえたのでいったんkindleを閉じました。
聞いてみよう。なんだね。


どうしろってんだよ、じゃあ!!!



すげ〜キレてた。
好きなんだから、会いたいんだから、相手に合わせなきゃ会えないでしょ!
それでセックスしたいって言われたらするでしょ!!
これから先の展開なんかどうでもいいんだよ、いま、会えなきゃ、息ができないんだっつうの!!!

私のなかにまだほんの少し残っていた山田テルコが、泣きながら出てきた。すこし頭がわるそうだった。
若い頃の私には、ちゃんと向き合ってくれないけど、ものすごい好きな人がいた。彼に会うために、毎日終電まで仕事がある会社を辞め、残業のない会社で適当にコピーを書いていた2年間がある。電車がない時間でも彼に会うために、彼の家からタクシーで行き来できる場所に引っ越しをした。会社でもいつも、携帯を開いて彼からの連絡を待っていた(ダブルモニター先輩と呼ばれていた)。いつも私は彼と一緒にいたかった。だけど、そうはできない人だった。彼は言った。
「おまえが仕事を辞めたらいいじゃん、ひまなのがいやなら、お金は出すから、ヨガとか料理の教室に行ってさ」

こらハゲ〜。

(山田テルコみたいに)全部振り切って彼に向かえたら私たちはうまくいっていたかもしれないと思ったこともあった。本当に仕事を辞めてしまおうかと思ったときもあった。だけど私は、人の生活や大切なものを簡単に変えられると思っている人がどうしても嫌だった。大好きなのに、ダメだった。振り切れない。当時はそういう自分をふがいないと思っていた。好きならばどこまでも行けよと。思い返せばハゲ彼だけでなく「香港でディスニーランドをつくるからついてきて」からも、「上海で仕事を立ち上げるからサポートして(オレの面倒を見て)」からも、私は逃げた。そして私と付き合った人で「仕事を辞めて」と言わなかった人はひとりもいないことにいまちょっと引いている。唯一、そう言わなかった人と結婚しているということだ。私もっと恋に生きてるイメージだった。全然自分がいちばん大事だった最高。
映画も観ることにした。いつも思うのだが、素晴らしい小説を映画にするのって難しいんだろうな。文章でもう感動しているから、セリフが文字で見えてしまうのね。

そして、角田さんといえば先日友人のみどり丸が、愛猫のことを書かれたエッセイを鞄から出して言った。「これ、すごく面白くて…よかったらあげる。なんていうかすごい…文章、うまいよ。」
誰のこと言ってんだ。お?



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