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15.コピー書きたい!(「半分、青い。」は本当に面白いですね)

3ヶ月の休職期間を終えて復職後は、大学や官公庁など、固めのお仕事を担当するようになりました。穏やかな性格のメンバーに入れてもらうことにもなりました。(当時の上司には感謝しています。)社内で仕事が辛くなってしまう理由は、人にありました。金額が大きなコンペや、これから開拓していきたいクライアントの仕事などだと、チーム入ってくる人たちがキツイのです。私が担当することになった大学をクライアントとするチームは、私と同年代の女性が営業でした。私は彼女の落ち着きぶりを遠くから見て、なんとなく良い感じを最初から持っていました。チームを組み、毎日話すようになって、彼女が私にないたくさんの素敵なところを持っていることが分かりました。なかでも最も学んだのは、徹底した観察に裏打ちされた器の大きさでした。頭の良さと言い換えてもいいと思います。そこに天性の明るさと育ちの良さが加わり彼女からはいつもぽっと明るい光が出ていました。例えば彼女は、Sさんのような人を怒らせません。怒った方がバカだと思わせる空気をしっかりと作っていました(無意識かもしれませんが)。また彼女は意地悪をしたり、自分が誰かより上にいるという発言をするようなことが、私が知る限りありませんでした。私はそれに、かなり驚いていました。一皮むけば、人ってみなそういう発言をするものなんだと、そうしないと損するんだと思うようになっていたくらいだったからです。そして大事なことですがメグさん(という名前です)は、仕事ができる人でした。写真は、メグさんが私のデスクに置いてくれたおやつです。

ある大学の学校案内を作っていたときのことです。色校正をチェックしていたときに、印刷会社の営業さんから電話がかかってきました。「…ページの《年間スケジュール》に入っている写真、別の大学のものではないでしょうか」

え。
全身から血の気が引くのを感じました。色校正なので本番の印刷前なのですが、「抜き刷り」と言ってページの一部を先に刷って配ることになっていて、それはすでにデータの入稿が終わっていました。(余談ですが、データ管理などデザイナーの領域の仕事も私にとっては苦痛度高かったです)メグさんに内線を入れました。「ちょっとご相談があって、そちらに行きます」行きますと言ったものの、立てないくらい腰が抜けていました。ショックで。

当時私は、ミスはすべて自分のせいだと思っていました。クライアントも、営業にもチェック義務はあります。まして、クリエイティブはふたりでやっていたのに。こういう思い込みも自分を追い詰めていたのだなあと、今は思います。メグさんは言いました。「…この写真、◯◯大ですね」。代わりに入っている大学の写真を一発で当て、誰のことも責めませんでした。彼女がどうやってクライアントに話したのか分かりませんが、「お咎めなし」でした。刷り直しもしなくてOK。彼女の大きな人柄と営業力に支えられて、私は安心して会社に行けるようになっていきました。それまで私は毎日「今日こそもうだめだ」と思いながら行っていたのです。

この「もうだめだ」は具体的にどういうことだったのか、後でゆっくり考えてみました。以下のふたつに絞られました。
① 私のミスで、クリエイティブが作り直しになり制作会社に徹夜をさせるなど、迷惑をかけること。
② Sさんに「どう責任とるんだよ」と怒鳴られ、フォローの仕方もわからずパニックになること。

ということは制作を外注せず、Sさんがいない会社に行けば良い、ということになります。制作会社の人に無理を言うこと、板挟みになることが、私は何より嫌でした。しかし友人が言ったようにそれが代理業の仕事なのです。

私は精神的な疾患で休職をしたので、基本的に定時に帰れる穏やかな日々を会社は用意してくれました。そのころ、私が夢中で通った場所があります。角筈図書館です。固い本ばかりがあるとなぜか思い込んでいた図書館、行ってみたら、紀伊国屋書店のように本がたくさんあるではないですか。「読みたい本がありすぎる!」というのは鼻血がブっと出るくらい興奮する幸せです。ちなみに私は現在新宿区・練馬区・港区の図書館を利用して常に3〜4冊を併読しています。
「こういう穏やかな毎日がなくなるのはちょっと恐い」転職するぞ!と思ったものの、この考えから私は実際に転職に向けて動けないでいました。しかし今の会社では撮影に行っても、取材をするのは発注先のコピーライターです。同じく発注先のデザイナーが指示を出し、カメラマンが撮影をします。クライアントをアテンドするのは我が社の営業。私は、やることがありませんでした。もちろん人がいれば何かの役には立ちます。それを一生懸命探しました。具体的には、モデルになってくれた学生さんの緊張を解くために話しかける、髪形や服を直す、クライアントが安心するようにカメラのモニターをみて「すごくいいですね〜!」と言う、など。自分が何を生み出しているのか分からないけど、穏やかな仲間に囲まれた、残業のない日々をなかなか捨てられず私は、迷いながらその会社にいました。会社にはフラ部があり、私はそこでコアなメンバーのひとりとして所属していました。すごく練習をしていましたし、フラを踊ることを愛していました。8年くらい続けましたが、自分はそもそもなぜこんなに踊りにはまったのかというと「踊ることによる高揚感は、書くことに似ていたから」だと気がついたのです。だから仕事で書けないストレスをすべて部活に捧げていました。書く仕事をやろうと思ったら、私の中から急激に踊る欲が消えていきました。

ある日、会社の管理部から、雇用の規則に変更があるということで個人面談がありました。60歳までだった雇用が、5年間のびるという話でした。その話を聞きながら私は、鳥肌が立ち、汗が出ました。そして「あと20年、ここにいる」ということが自分のなかでありえないことだという気持ちに気がつきました。さらに、ある出来事が私の転職の大きな引き金となりました。5年ほど担当していたクライアントからメグさんと私は、TVCMをやりたいと相談を受けました。コンペですが金額も大きく、会社としてもぜひ受注したい案件です。しかし私は、制作会社へのオリエンの15分前に上司に呼ばれ、案件から外れるように言われました。代わりに入ったのは、Sさんでした。

転職をしたい理由をもういちど考え、希望をリストアップし、それに対しての分析を試みました。
① Sさんのような人がいないところ
→入ってみないと分からない。しかし、コピーライターとして入社すれば、連日怒鳴られるようなことはないだろう。「苦手なこと、正解が分からないことで勝負すれば負けたりカモにされたりする」ということだ。
② 制作会社と会社の板挟みが辛い
→自分が手を動かし、作れる会社に行く。無理を言われるのもいやなので代理店を挟まず、直接クライアントと接する会社に行く。
③ コピーを書きたい
→セールスコピーよりも、1社目のように人を取材し、その人の良いところを長めの文章で伝えるコピーが書きたい。「人生」のような大きなことに触れる文章が書きたい。しかし求人広告はひとつに時間をかけない「作業」になりがちなのでいや。さらに、ディレクションの割合を全体の2割くらいに減らしたい。コピー書きを主な仕事にしたい。
④ ひどい残業がない
→週に2回は家で作ったものを食べられる生活をする。
⑤ おしゃれな環境で働きたい
→新聞社のような味のないグレーな雰囲気よりも、今っぽいおしゃれな環境で働きたい。
⑥ 朝のラッシュを免れたい
→朝は早くても10時スタートを希望。
⑦ 年収を上げたい
→上がる見込みがあれば最初は今と同じでも良い

「よし」と私は思いました。願えばかなうでしょ、と割と思っているところがあるのです。

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